11. テンプル騎士団の創立者とマタイ受難曲「ポルトガル旅行記」 | ポポ山に祈りを込めて

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久しぶりのポルトガル旅行記です。

2019年4月27日、
ポルトガル、ファティマに滞在中にトマールキリスト教修道院を訪ねました。
ここは1160年にイスラムからこの地を奪還したテンプル騎士団によって建設されました。

テンプル騎士団は、1307年に彼らの財産に目をつけたフランス王フィリップ四世から不当な罪をかぶせられ逮捕され、罪を認めるまで拷問され続けた。そして騎士団の資産を没収したフランスは、口封じの為に、1314年テンプル騎士団長ジャック・ド・モレーをパリ市のシテ島で、生きたまま火あぶりにして処刑した。

その後もテンプル騎士団の弾圧はヨーロッパ各地に広がり、多くの団員が逮捕される中で、一部の騎士団は「聖杯」や「契約の箱」、病を癒す力のある「イエスゆかりの十字架」などと共に忽然と姿を消したのです。(聖地アッコンに巡礼者が多く押し寄せた理由には、これらの聖遺物が強大な力の源だと噂されていたから)

騎士団の行方は今現在も真実は解明されていないそうです。
聖遺物も見つかっていません。

ある説では、弾圧から逃亡した団員は、その後、キプロス~フランス~ロンドン~スペインと転々と逃げて、最終的にこのポルトガルの地に落ち着き、騒ぎが収まるまで聖杯を守り続けながら復活の計画を立てていたのかもしれないと。
入口で入場チケットを購入しました。
1983年に世界遺産に登録されました。
ここは1417年~1460年、
キリスト騎士団の団長エンリケ航海王子が増築したといわれるゴシック様式の回廊です。
白い回廊を引き立てるブルーのアズレージョのコントラストがとても素敵でした。
テンプル騎士団は、1318年ポルトガル王ディニス一世の保護を受け、ポルトガルで新たなキリスト騎士団が結成されました。

かつての正式名は、

「主イエス・キリスト王立騎士団」。


テンプル騎士団没落後、わずかな期間でキリスト騎士団が跡を継いだのである。


彼らは全滅を免れ、新たな進化を遂げた。


団員が立てる誓願は、テンプル騎士団と同じ、

清貧、貞潔、服従」。

(ヒストリーチャンネル、伝説の騎士と聖杯より)

ポルトガルは聖ベルナール、
(クレルヴォーのベルナール 1090~1153年クレルヴォー修道院で死去)による、
用意周到な計画の元に建国が始まった。
 
聖ベルナールとはフランス出身の神学者、カトリック教会の聖人、教皇ピウス8世から教会博士の称号を贈られているほど頭脳明晰な人物。欧州の有力者でもあったベルナールは騎士団の立案者。

彼が騎士団の創設を支援した中心人物です。
テンプル騎士団の会則もベルナールが作ったものです。

あの有名なバッハの「マタイ受難曲」は、 
ベルナールの詩文(第七部の頭への祈り)を賛美歌にしたもの。
最後の著書は「デ・コンシデラチオーネ」
 (聖ベルナールについては、
ポルトガル最終日にも少しだけ書いています)
当日多数のテンプル騎士団がキリスト騎士団に入会しました。
1319年ベルナールは教皇に多くの事柄に関する承認を申請。 
細則の中に重要な項目があった。

旧騎士団の本部トマールを新騎士団に与える件です。


申請は認められ、キリスト騎士団はトマールを手に入れた。

彼らはトマールにおいて強固な要塞の防衛ネットワークを築いていきます。

それは騎士団がエルサレムの聖地から始まり、数回に渡る戦闘、虐殺の中で得た教訓、

そして1307年に経験したフランス王の裏切りからも得た教訓が生かされている。

彼らのモットーは、「誰も信じないこと」。


キリスト騎士団は本部トマールをテンプル騎士団から受け継いだ資産だけでなく、DNAも継いだ。

彼らは1307年の悲劇を乗り越え復活した。

本拠地を要塞化した後、キリスト騎士団の中枢部は密かに会合を開き、世界を変える計画を練っていたと考えられる。

これはPORTAと書かれていると思います。
ポルト、PORTはラテン語で「PORTA」(門という意味)と書きます。

2000年前のローマ時代初期の頃は、
ポルトの場所が国の中心として栄えていました
そしてポルトの町はカレ(Cale)という名で呼ばれていたそうです。

ローマ人たちが港を築き多くの人々が行き交うようになり、
カレの町は「PortusCale」と呼ばれるようになります。
ポルタスカレとはラテン語で「カレの港」という意味です。

まだポルトガルが建国する前だったのですが、
このポルトが中心地でもあり、PORTUSCALEが国名でもあったのです。

しかし、テンプル騎士団は国名を従来の、PORTUSCALEとせずに、
PORTUGRAL、後のPORTUGAL、ポルトガルとつけたのです。
なぜならば彼らは、
PORT-U-GRAL 
聖杯の港を意味する国名をつけたのです。
PORT OF THE GRAIL 聖杯の港
↑と、番組ではこのように説明していた。
これが今のポルトガルPORTUGALの名前の由来だそうです。
修道院の中に入っていきます。
絵画はイエスの物語が描かれていた。

高い天井を見上げると、
ここにも騎士団の十字のマークがありました。

つづく。