中央構造線は東北の秋田まで続く。 | ポポ山に祈りを込めて

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神社でよく見かける巨石を祀っている信仰を磐座(いわくら)といいますが、
この巨石のある場所の下には断層があることが多い。
そして中央構造線沿いには西から東北まで神社が建てられている。


古代の人は知っていたんですね。。
「中央構造線が動くとき、ヤマトは滅ぶ。」ということを。
だからその上に社を建ててその土地を鎮めたのかもしれません。
「このヤマトを天から照らす神となろう。そして中央構造線が永遠に動かぬよう鎮めよう。」と。


関東で有名な深谷断層は「地震断層」と呼ばれ、
その何千メートルという地下奥深くの岩盤を引き裂いているのが、中央構造線という「震源断層」と呼ばれる大断層です。
日本には地震断層は数多くあり、地球は天変地異のサイクルの真っ只中にあるそうです。

福島県須賀川市の桙衝(ほこつき)神社に行きました。
ほとんど人の出入りの少ない神社のようですがここも歴史の深い場所のようです。
「大和武尊が御東征の折、この亀居山に上り巨石の前で柊の八尋の矛をつきたて、武甕槌命に対して戦勝祈願をしたと伝わるのが、神社草創の初めで、約2000年前といわれている。」

御祭神は、
武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

本殿

随神門扁額は鹿嶋神宮となっていて、
桙衝神社は昔は鹿島神宮と呼ばれていたそうです。
 
主祭神のタケミカヅチは、茨城の鹿島神宮の主神。
フツヌシは香取神宮の主神です。

>上代において、関東・東北の平定は、この二大軍神の加護に祈祷して行われた。
(日本書記)

建設当時、鹿島神宮と香取神宮の社の間には海が広がっていて、お互いをよく見通せる位置にあったそうです。

断層研究家の澁谷ヒロキさんが仰るには、
中央構造線は茨城の鹿島神宮で終わるのではなく、

このように鹿島沖でぐるりと向きを変え、名前を棚倉構造線に変えて秋田の方向へ伸びていきます。
鹿島から途中、会津磐梯山、出羽三山があります。
(この線沿いにも神社が並んでいます)
それを思えば出羽の辺りは過去に大きな地震が起こっています。

これはある科学者の方が教えてくれたのですが、西端の阿蘇が揺れれば東端の茨城に電気が飛んで、茨城が揺れれば、阿蘇が揺れる。これが繰り返されることによって、その場所の火山が徐々に活発化していくそうです。

実は中央構造線は、西から伊勢、その先は伊豆衝突のために地形が歪んでいて、今も確実なラインは解明できていないそうです。

福島県須賀川市は鹿島神宮から構造線のライン上に位置しています。

亀居山には今も遺跡として残されている要石(かなめいし)と呼ばれる巨石があります。
その場所で大和武尊は矛を衝き立てた。
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昔は戦(いくさ)の前に、関東の兵はまずは鹿島神宮に挨拶に行くのが礼儀のようでした。
それほど鹿島神宮は関東では重要な場所だったのです。

須賀川の亀居山も構造線に近い場所にあります。
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どんなに外側から研究しても結局のところ地震を予知する事は難しい。

見えないものを敬う心とは、
どんな時代でも忘れてはいけない神々への感謝の気持ちだと思います。


 
参考文献 「なぜ神社は崖の上にあるのか?」澁谷ヒロキ AmazonKindle