ユダヤ教は虐げられた民族の怨念  | ポポ山に祈りを込めて

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しばしの休憩を。

茂木誠先生は駿台予備校の世界史科の講師で、

「東大世界史」、「難関国立大世界史」等の講座を担当しています。

先日、その茂木先生からお話を聞く機会がありまして(とても気さくで楽しい方でしたよ)

茂木先生は今のイスラム国についてこう話していました。

「世界中の人々の貧困と差別がある限り、彼らのような過激派が消えることはないでしょう。」


(後半に茂木先生の著書をご紹介いたします)


エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 旧約聖書 出エジプト記

「この月をあなたがたの正月とし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。

イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。


それはこの月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、子羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。


その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。

また、エジプトの国のすべての神々に裁きを行う。 わたしは主である。


あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。

血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。


わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」


ユダヤ教の大切な祭事である今年2015年の「過越の祭」は4月4日から始まります。

過ぎ越し祭とは昔エジプトの奴隷だったユダヤ人が解放され

自由になったことをお祝いするお祭りです。

イスラエル人(後のユダヤ人)の家では子羊の血を塗り終わり、

夜になると死の天使が一軒一軒家々を確認して通り過ぎていきます。

そしてエジプト人の家の子どもは次々と死んでいったそうです。


また、日本のお正月の起源はイスラエルの過ぎ越しの祭りからきているともいわれています。


過越しの祭りのときにはイーストが入っている食べ物は一切食べてはいけません。

そのため、イーストを入れないパンを焼くのですが、

「種を入れないパン」、「種なしパン」と呼び、

種なしパンをヘブライ語では「マッツァ」、この複数形を「モチ」と言います。


日本のお正月に飲むおとそですが、

漢字で書くと「お屠蘇」 これは神がモーセに言った

皆で夕暮れにそれを屠り(ほふり)、その血を取って、子羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。

おとその屠とはほふ(屠)る、殺すこと、そして蘇はよみがえるという意味です。そ

して初詣は神社に行きますが、鴨居を赤く塗れば、神社の赤い鳥居のようになります。

私たちも知らず知らずにユダヤ教のお祝いをしているのです。


もうすぐ4月4日が近づいてますね。 

その前にはキリスト教の重要な祭り、イースターもあります。

(追記、すみません、今年はイースターと過越祭が重なるんですよね?あとで気づきました。)


本茂木誠先生の著書 「世界のしくみが見える世界史講義」より

(質問形式です) (詳しくは茂木先生の本を読んでみてくださいね!)

「ユダヤ教は虐げられた民族の怨念」


日本人が中東情勢をなかなか理解できないのは、日本文化に一神教の影響がないからです。


神様が一人しかいない宗教ですね?


そうです。逆に、神様がたくさんいる宗教を多神教と言います。

インド・東南アジアの仏教やヒンドゥー教、中国の道教、そして八百万の神々を祀る日本の神道がそうです。ギリシア・ローマ時代のヨーロッパも多神教でしたが、キリスト教によって根絶されてしまいました。


現在、世界の人口70億人のうち、キリスト教徒が23億人(33%)、イスラム教徒が15億人(21%)合わせて38億人(54%)が一神教です。


イスラム教徒はものすごい勢いで増えていますので、いずれキリスト教徒を追い抜くでしょう。

実は、キリスト教とイスラム教というのは兄弟なんです。同じ神を祀っている・・・。


待ってください!キリストとアッラー、別の神じゃないんですか?


いやいや、キリストとアッラーは同じ神なんです。この講義でくわしく説明します。


さて、兄弟ということは、共通のお父さんがいるはずでしょう。そのお父さんがユダヤ教です。


ということは、ユダヤ教がわからないと、実はキリスト教もイスラム教もわからない。まずこの話からしていきましょう。

ユダヤ人というのは、中東を彷徨っていた少数民族です。

常に弱くて、常にいじめられていた。

強大な民族によって奴隷にされたり、殺されたりしていたわけです。


ある時代には、エジプトに捕らえられて奴隷として使われていました。

あまりの苦しさに耐えかねて立ち上がったユダヤ人は、

モーセという指導者に率いられてエジプトから逃げ出したという話があります。

「出エジプト記」という話ですね。

後ろからエジプト軍に追われ、前には紅海が広がっていて絶対絶命・・・というとき、

モーセが杖を振り上げると海がザァーッと割れて道ができ、

ユダヤ人は無事に対岸に逃げ、また海が閉じてエジプト軍を呑みこんだ、という有名な話。

戦後の日本の教育は「神話は歴史ではない」と軽んじてきましたが、

神話というのは、歴史的事実かどうかは問題ではありません。

その物語が伝える価値観を知ることが重要なのです。

もう一つは新バビロニアという国に五十年間にわたって捕まっていた「バビロン捕囚」という話。

ペルシアが新バビロニアを滅ぼしたので、ようやく解放されます。


こういう苦難の歴史が、ユダヤ人にはずっと語り継がれている。


「なんで俺たちはこんな苦しい目に遭うのか。

それは神に選ばれたからだ。神が与えた試練なのだ。」と彼らは考えた。


この試練に耐えれば、神はわれわれユダヤ人だけを救い、異民族をすべて滅ぼすのだと。

これがユダヤ教独特の「選民思考」です。


こうしたユダヤ人の物語は、「旧約聖書」という本に書かれています。


先ほどの「出エジプト」の途中で指導者モーセが、

エジプトのシナイ半島で神と出会ったという話です。


このときモーセと契約を交わした神が、唯一の神ヤハウェです。

シナイ山は砂漠にそびえる岩山です。


そのてっぺんが雲に覆われていて、中で雷鳴が轟いていた。

モーセは見上げて「神が呼んでいる」、「誰もついてくるな」と一人で登っていきます。


そして、山から戻ってきたときに大きな石版(タブレット)をモーセは持っていた。

そこに文字が刻んであり、十箇条の掟が書いてあった。

モーセはこれを掲げて「見よ、これが神自ら刻んだ文字だ」と言ったのです。

これを「モーセの十戒」と言います。


まぁ実際には、誰も見ていないので、誰が刻んだのかはわかりませんね。


それはさておき、

この十戒の中身は「神一人」、「神の名を唱えるな」、「偶像を祀るな」、「父母を大事にしろ」、

「殺すな」、「盗むな」・・・・といった十のルールです。これを守った者が救われるというのです。


しかも旧約聖書ではそのあと何十ページにもわたって、神がお告げをします。

あれもするな、これもするな、・・・と細かい決まりを与えるのです。


どうしてですか?


「神が定めたから」です。


こんなふうに、ユダヤ教には生活のありとあらゆることを神が定めた掟がある。

これを「律法」と言います。

ユダヤ人として生まれても、律法を守らない者は救われないのです。

律法では安息日というものも決められています。

唯一の神ヤハウェが六日間で世界を作って、七日目に休まれたので、

人間も六日間は働いて七日目は休まなくてはいけない。

これは絶対命令です。ユダヤ教では安息日は土曜日です。


土曜日に働いたらどうなると思いますか?


律法では、「死刑」ということになっています。 すごいでしょう。

これだけすごい律法を守れば、どんな恩恵を神から与えられるのか。

これが二つあります。


一つは、救世主が現れるということ。他の民族にいじめられたときに、

ユダヤ人を救う英雄が現れ、彼はユダヤ人の王となって敵を倒すというのです。


この救世主を「メシア」と言います。


「メシア」はユダヤ人の言葉(ヘブライ語)です。ギリシア語で言うと「キリスト」です。


ユダヤ教ではメシア=キリストは何人もいます

。実在したユダヤの王であるダヴィデ王やソロモン王も、メシアと呼ばれていました。


もう一つが「最後の審判」です。


世界には「始まりと終わり」があって、その世界の終わりは迫っている。

そのときに何が起こるかというと

唯一の神ヤハウェが姿をお現しになって全人類を裁きにかけます。


律法を守った者は天国に導き、異教徒は地獄に落とすというのです。


これに期待して頑張る、というのがユダヤ教です。


こののちユダヤ人は、ギリシアのアレクサンドロスに制服され、

最後にはローマに征服されますが、国が滅びても民族は滅びない

。ある土地を追放されても、別の土地にコロニーを作って生き延びる。


しかも「われわれは選ばれた民である」という上から目線で、異民族とは融和しない。

だから逆に嫌われる。これが、ユダヤ人差別の源泉となってしまったわけです。