昨晩寝床について、いつものように


「今日も1日楽しかったです、

素晴らしい1日をありがとうございました。

明日も素敵な1日になります。

ありがとうございます。」


と言って


私の胃さんに


「ありがとう、愛してます、本来の位置にお戻りください」


と声をかけながら撫でていたら


突然湧いてきた言葉


「私は私を赦しています」


一瞬何だろう?

と思ったけれど

すぐに


「これはホ・オポノポノに対する答えだ」


と感じました



私は愛の瞑想として

「私は私を愛しています

私は私に愛されています

〜〜〜」


と唱えて瞑想をしています


自分のチャクラを意識して

活性化させながら

深い幸福感を感じるという

瞑想法です


この愛の瞑想の言葉が出てきた時に


ホ・オポノポノに対する違和感がすごく強くあったので


昨晩の言葉がその違和感に対する答えなんだなと思ったのです


ホ・オポノポノを良く知らない方のために簡単に説明しますと

古代ハワイアンに伝わるもので


・ごめんなさい

・ゆるしてください

・ありがとう

・あいしています


の4つの言葉を唱えて潜在意識の記憶をクリーニングすることで運氣が上がる、物事が上手く進むというようなことが言われています


この4つの言葉はハワイ語から英語に訳され、それが更に日本語に訳されたために、この言葉になってしまいましたが、ハワイ語から日本語に直接訳すとずいぶんと違った意味あいになります





英語は言葉の捉え方にクリスチャン的な要素があるために「神の赦しを乞う、人は生まれながらに罪人である」という要素が潜在的に潜んでいます


ところが古代ハワイアンや日本の古神道にはその要素がありませんので、1度英語を挟んでしまったために意味が歪曲してしまったのだろうと思います



「カラマイ」という言葉の英語訳は
「I'm sorry」で「光を見せてください」とは随分かけ離れています
日本の古神道的に解釈しますと
「光=神=自分自身」
神を見せてください
私を見せてください
そのままの自分、ありのままの自分を観るとなります

ですが、日本人は小さい頃からの親の教育として、悪いことをしたときに謝罪をさせられて育つ事が多く
「ごめんなさいは?」
と何度も何度も
「自分は悪いことをしました」
と認めるまで親に言わされてきました


「ミヒ」という英語での表現は
「forgive me」
罪の赦しを乞うことになりますが
ハワイ語では「認めます」です
光で観たものを認めます
全て受け入れます
抗わず全受容します

日本人には神の赦しを乞うという意識はほとんどありませんが、大人からの教育で、罪を認めた後の赦しを乞う行為として
「許してください」
という言葉を使い育ちます

どちらの言葉にも、自分自身の中に罪悪感を募らせていくという、強烈に過去のトラウマを刺激する効果があり、使えば使うほど自動的に罪の意識がインストールされてしまいます

これが負のエネルギーが蓄積する原因になるようで、だからこの2つの言葉を唱えることに違和感があったんですね

これらの説明を一切なしに
「ただ、これが良いからやりなさい」
といわれてやっていけば、猜疑心・嫌悪感がどんどん湧いてくるのも頷けます

わたしが最初にホ・オポノポノを聴いた時に感じた嫌悪感は正にコレでした

「ごめんなさい」誰に?
「ゆるしてください」誰から?

もちろんその後、自分自身に対して、自分自身がすることなのだとわかりましたが

それにしても言葉に抵抗感があるなと
言霊の強さを知ってからは更に唱えたくないなと思っていたんです

そして湧いてきた

「私は私を赦しています」

あぁ、これだわ~

この言葉ならしっくりくる……


もう既にまるっと全て出来ている
生まれながらに

「愛しているし、愛されている」

「赦しているし、赦されている」

もう感謝しか湧いてこないよ

ありがとう
愛してます

➖追記➖
この2つの言葉を唱えるだけで十分なんだそうです

私はこの2つと一緒に
「かむながらたまちはえませいやさかましませ」
「とほかみえひため」
を唱えています

こちらの言葉の意味はまた今度
お伝えします
ハワイではないけれど、琉球の地のエネルギーをおすそ分け

※ホ・オポノポノを否定しているのではなくて言葉の捉え方に違和感があったというお話です