今日は、とにかく
思った事を吐き出す。
その第一弾。
うちの親は、私ぐらいの年齢の親というより
兄達の世代に多い親だ。
どちらもバブルを経験していて
父親は、ヘッドハンティングされた
経験もあるからか、
とにかく仕事において
「勝つ」事に拘りがあるし、
時代変わってるんだよと言いたくなる
ようなアドバイスばかり言う。
幼い頃から才能が見出され、
手に職を20代にはつけていた
次兄以外とは、真面目に
子どもとの折り合いが悪い。
私も今も親との確執で
苦しむ部分あるけど、
それ以上に兄弟は苦しんだ。
他人事の感想だが、
父親は性格変えられなかったとこ、
カルマになりそうとか思っちゃった。
極めて、芯があると言えば良いが
自己中とも私視点からは言える。
そんな親は、子どもが公務員だったら
安泰とか考えてたり、
大手だったらホッとするどころか
周りに吹聴してまわる。
これが本当に厄介だった。
私の場合は、大学院修士に
入学する時、修了する時。
で、今まさに
また仕事辞めようかとなると、
院に行く前の
規模がでかかった独立行政法人を
辞めた事を今だに持ち出すのである。
いやいや、そんな行政法人でも
私よりもとっくに辞めた同期の一人は
命大事にしたい
って言って辞めたくらいのとこなんだが?
人の感覚はそれぞれ。
これでも、私はそれなりに
親の希望は、言いなりにはなってきた。
不登校にはなったけど、
現役で国立大ストレートだし、
新卒から約7年半は、一つの場所で
働いてきた。
習い事は、塾と画塾だけ。
しかも楽しいからではない。
どちらも受験のためである。
結局、画塾は本当にあんま行ってないし、
次兄からの影響である。
正直に言うと、
私は兄弟からの影響で
20代までを過ごしてしまった。
兄弟からの影響がなければ、
絵を描く事に固執しなかったし
就職氷河期で身内が苦しまなければ
仕事ももっと20代から違ってたと思う。
影響で流されて生きてきた事に
私は薄々気づいていたけど、
完全には気づいていなかったんだ。
さて、親の話に戻ると
最近では、子どもじゃないんだから
みたいな不安煽り説教を
不安定で支えてもらいたかっただけの
私にぶち込んできてくれた。
本当に厄介である。
じゃあ、いつの頃に
子ども扱いしてくれて
安心させてくれたのさ??と。
小学生の頃、
フリだとしても孤児院に
電話をかけて引き取ってもらうみたいな
事を言った親である。
中学、高校生の頃は、
他の兄弟に対しての子育ての
愚痴を聞いたのは私である。
不登校になった時には、
金物定規を寝ている私の真横に
叩きつけた親である。
もちろん私は大人げないし、
いまだに人生不安定である。
けど、本当は、
自分の不得意を冷静に一緒に
考えてほしかった。
自分の得意を冷静に一緒に
考えてほしかった。
それらを一緒に考えるきっかけが
実は、行政法人を辞めた後に
巡ってはきたんだけど、
「勝つ」事ばかり強要されて
何もそんな話にはならなかった。
むしろ、親への諦めと後悔が増した。
悲しい事にきっと
仕事に対しての価値観や
行動スタンスが真逆なのだ。
そして、私の方が
さらに、悲しい事に
マイノリティなのだ。
私は興味ある事を
軽やかに体験したいのだ。
本業の仕事でも。
これからも埋まらないであろう
親との確執。
それでも、絶望しても
命ある限り生きるのだ。