大河ドラマ
「いだてん～東京オリムピック噺～」
第32回～独裁者
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全種目金メダルを目標に臨んだ1932年オリンピック
ロサンゼルス大会で、まーちゃん率いる水泳チーム
は大活躍します。自由形は、100、1,500、800ｍリレ
ーで金メダル。背泳ぎでは、なんと、金銀銅を獲得。
表彰台を日の丸が埋め尽くした。平泳ぎでは、ベテ
ラン鶴田がなんとなんと、２大会連続の金メダル！
そしてなんなんとなんと、女子平泳ぎ200ｍでは、チ
ーム最年少18歳の前畑秀子が、女子水泳初となる
銀メダルを獲得。結果、全種目金メダルとはなりま
せんでしたが、金銀銅合わせて18個のメダルを取
った日本水泳チームは、現地の日系人を、歓喜さ
せました。そして、まーちゃんにとっても、生涯忘れ
られないオリンピックとなったのです。
帰国するや、大勢の人たちがその姿を一目見よう
と、東京駅前はご覧のありさま。選手たちはその
まま、日比谷公園で行われた大市民歓迎会に招
かれたのですが…。
志ん生） あっ、どうも。え～長嶋茂雄です。いや
いや…。え～うそですよ、志ん生です。弟子の
五りんは頑張りすぎて、熱出して寝込んでおり
ます。え～今日のところは、私で、勘弁して下
さい。悪いようにしませんから。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
昭和7（1932）年9月8日
その控え室で、事件は起こりました。
選手たちが健闘をたたえ合っておりますと、
一人のご立派なお年寄りがやって来た。
永田） 前畑さんは、どこにおるかな？
前畑） あっ、私でございますが。
永田） あなたが、前畑君か。
前畑） はい。
その立派なお年寄りは、穴が開くほど彼女の
顔を見た。そして、銀メダルには目もくれず…。
永田） あなた…
なぜ金メダルを取ってこなかったんだね～。
前畑） えっ？
政治） 何だ？
永田） たったひとかきで、たった10分の1秒の
差で、２着になったそうじゃないか～。
なぜ１着じゃ、ないんだね。
前畑） そ…そやけど…。
永田） 分かっとるよ。日本記録を、6秒も縮めた
と言いたいんだ。分かっとる。でもだったらなぜ
もう10分の1秒縮めて、金メダルを取ってこなか
ったんだね～。
この立派なお年寄りが、東京オリンピック招致の
中心人物、東京市長、永田秀次郎であることを、
前畑秀子は、後で聞かされました。
永田） この悔しさを忘れずに、
４年後は頑張ってくれ。
前畑） ４年後？
永田） ベルリンオリンピックだよ。日本の女子で
金メダルと取れるのは君しかいない！ 頼むよ。
なっ？ もう銀とか、銅要らんよな。あれは１位
じゃないっていうメダルだよ。
政治） 永田さん。
永田） お～田畑君！ 君からも言ってくれよ。
政治） だったらあんたが泳いでみればいい！
永田） えっ、ええっ？
政治） ６秒縮めた？ 簡単に言うな！
松澤） まーちゃん。
政治） 血のにじむような努力を重ねて縮めた
10分の1秒、その10分の1秒の積み重ね、10
分の1秒の集合体、10分の1秒の60倍がすな
わち６秒なんだよ！ 前畑君は苦しんで…苦
しんで苦しんでもぎ取ったんだ銀メダルを！
その上10分の1秒縮めて金メダルを取れだ
と？ そんなことがよく言えるな！
岸） 田畑、それくらいにしとけ。
大横田） すいませんでした！
自分の責任です！ 自分が…。
高石） 大横田。
岸） 永田さん、
これは讃える会じゃないのかね、選手の健闘を。
なぜ泣いてる者がいるのかね。ええ！？
永田） 申し訳ない。
岸） 申し…申し訳ないじゃないよ！
のびたうどんみたいな顔して。
政治） 岸さん、それはちょっと…。
岸） もう始まってしまったんだ。
最後まで言わせてくれ。
いいか、国を背負って戦ってる者は、
選手も、我々役員も、命懸けなんだよ！
政治） 岸さん、もうその辺で…。
岸） スポーツの精神も、解さぬこの田舎者めが。
ど素人はすっこんでろ！
政治） すいません、もう本当すみません。
岸） さっさと引退して、
縁側で、俳句でも、詠んでたらど、その顔は。
政治） 顔はやめましょう顔のことは…。
岸） おい！ 覚えてやがれこの野郎…。
政治） もういいよ…すいません！
（岸を連れ去る政治）
永田） はあ…。申し訳なかった。ただね、
期待してたのはね、私だけじゃないんだ。
全国民が君を、応援してたんだよ。
だから、悔しいんだよ。分かってくれ。
その言葉を裏付けるように、寄宿舎へ帰ると、
全国から激励の手紙が山ほど届いていました。
「悔しい。4年後のベルリンでは金メダルを」。
まるで自分が泳いで負けたみてえな言い方で。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
前畑） 分からへん…どないしたらええんよ。
初っちゃん、かずちゃん…。
一枝） あのつらい練習をあと４年続けても、
勝てる保証ないもんな。
前畑） ４年後って、うち22よ？
女でそんな年まで泳ぐなんてあほよ。
そやなかったら河童や。
河童の秀ちゃんやわ！ 河童…。
初穗） 落ち着いて。せやけど、自分の
人生やもの、最後は自分で決めなね。
前畑） うん…。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
（ベッドで眠る前畑）
そんな秀子を案じ、死んだ父と母が、
夢枕に立ったのです。
前畑） 早いわ…まだ８時やで。
母・光枝） ごめん。豆腐屋は、朝早いさけ。
あんまり夜更かしできんのよ。
脳卒中で死んだ母は頭を
父・福太郎） 惜しかったな、秀子。
肝臓を悪くして死んだ父は、腹をさすりながら…
光枝・福太郎） あと10分の1秒やったのにな～。
前畑） お父ちゃんお母ちゃん、うち、悔しいん？
福太郎） 悔しいな！
前畑） 分かれへんのよ。うちが何か言うより先に、
みんなが悔しい悔しい言うさけ。なあ、教えて。
うち悔しいん？ そない、金メダルが欲しいん？
光枝） 秀子よ、一旦やり始めたことは、
途中やめたらあかん。
前畑） 途中…？ 銀メダルって、途中なん？
光枝・福太郎） 途中よ。
（寝巻き姿でプールサイドに立っている前畑）
前畑） な…何で？ えっ？
えっ？ うそやろ？ またここ？
政治） 前畑！
前畑） わっ！ はい！
政治） 何だその格好は！
前畑） あっあっ…。
政治） 早く着替えろバカ野郎め！
早く！ 急げ！ ほら、もう鳴っちゃうだろ。
前畑） あっ…すいません！
政治） いけ！ 飛び込め～！ や～！
（号砲）
（飛び起きる前畑）
前畑） ハァ…ハァ…やらな！
10分の1秒、10分の1秒、10分の1秒、10分の1秒。
ハァ…10分の1秒…。ああ…悔しい！ あ～悔しい！
悔しい悔しい！ 勝つんだ…勝つんだ…。
取るんだ！ 金メダル～！
（プールに飛び込む前畑）
４年後のベルリンオリンピックに向けて、
前畑秀子の闘いが、始まってしまいました。
前畑） やるんだ…やり抜くんだ…。
最後までやるんだ！
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
岸） 前回、アムステルダムにおいて…。
昭和7年9月29日、体協会長、岸清一は、なんと、
昭和天皇にロサンゼルスオリンピックの成果を
ご進講申し上げるという、大役を仰せつかります。
岸） 18のメダルを獲得した、日本選手団の活躍
で、米国の、排日気分は、除去されました。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜銀座・体協本部＞
野口） 断るだ！？ 体協理事を？
政治） ああ、断るよ。
野口） 私が望んでもいまだ就くことができない
体協理事というポストを断るとは！ 貴様…。
政治） もうちょっとロスの余韻に浸りたいじゃんね～。
野口） フンッ、行ったやつは浸ればいいさ。
政治） どうでした？ 野口さん。お留守番ピックは。
野口） 退屈の極みだったさ。恥辱の２週間と言っ
てもいい。金だ銀だ、圧倒的勝利だと、日本中が
上を下への大騒ぎ。なのに私は…。
政治） あっ！
野口） お留守番ピックだと！？
政治） あ～あ…何か違う気がするんだよな～。
野口） 何がだ。
政治） 日本人がスポーツに感心を持ち、熱狂するの
はいいことだ。よくぞ勝ってくれたと手を握られ、ば
んざ～いばんざ～い…。しかし何か違和感を覚える。
野口） 贅沢な悩みだな。
政治） うん？
野口） 金栗さんや私の時代の悩みは、日本人が、
スポーツの意義を理解してくれないことだった。
駆けっこごときで洋行するのかと、国も民衆も、
鼻で笑った。スポーツで国を明るくするなんて、
俺たちにそんな力があるなんて思いもしなかっ
た。それを成し遂げたんだ。
（政治と握手をする野口）
野口） ありがとう…貴様。
政治） 何か貴様に言われると…。
野口） どうだ？ 違和感は。
政治） めちゃくちゃ感じる！
野口） ハハハッ、だろう。会長！
岸） 水くれ、水…。水…。おっ、田畑君来とったか。
政治） どうぞこれ。
野口） お帰りなさい。いかがでしたか？
岸） はあ～いかがも何も…。
（水を飲む岸）
岸） 天皇陛下であられたよ。
政治） おお…。…で、陛下は何と？
岸） ちょっと待ってくれ。
少し、余韻に浸らせてくれ。陛下に…生きて、陛下
のご尊顔を、拝し奉った上に、オリンピックについ
て報告申し上げる日が来ようとは…。あっ？
政治） えっ？
（鏡を見る岸）
岸） こっちの瞼だけ、二重になってるじゃないか！
政治） えっ？
岸） あっ…なぜ今日に限って…。
政治） あっ、本当だ。
岸） 陛下は、お気付きになられただろうか？
お気付きになられたかどうかは分かりませんが、
この時、岸さんは、東京オリンピック招致につい
ても、ご進講申し上げました。
岸） 非常なる、難事であります。もし、ナチスが
政権を握るに至らば、ヒトラーは、オリンピック
無用論に固執しておりますから、ドイツが返上
すれば、ローマが、11回大会に繰り上がり、案
外、楽々と、第12回大会が、東京に転げ込む
かも、分かりませぬ。
しかし、この読みは、残念ながら、甘かった。
首相に就任すると、ヒトラーは態度を変え、
ベルリン大会支持の、声明を出したのです。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
昭和8（1933）年2月
岸） 話が違うじゃないか、山本君！
もう陛下に申し上げてしまったよ。
陸上総監督・山本） 申し訳ございません。
岸） 何なんだよ、ヒトラーは。
山本） ええ…。ナチスの宣伝相、ゲッペルスの
助言によるもので、オリンピックを利用して、
ドイツを、世界の一流国として認知させるの
が、ねらいのようです。
岸） 何だよそれ。
ローマと一騎打ちじゃ勝ち目ないだろう。
しかも言いだしっぺが…。
永田市長は、
部下の汚職の責任を取らされ、突然の辞任。
岸） のびたうどんめ…縁側で俳句詠むつもりか。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜東京市庁舎＞
永田） いい、見送らんでいいから。
いい、僕が閉める閉める…。
政治） 永田さん。
永田） よう！ 前畑君は、どうしてる？
政治） 大いにやってますよ。あなたにハッパかけられて。
永田） ハハハ…そうかそうか。あ～その部屋だ。
政治） あっ、どうも。えっ？
（「紀元二六〇〇年国際オリムピック競技大会 東京
開催に関する実行委員会」と書かれた貼り紙）
永田） 田畑君。
政治） はい。
永田） いいオリンピックにして下さい。
（一礼し、去って行く永田）
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜会議室＞
山本） 西洋人からしてみれば、パリ、ロンドン、
ベルリンと来たら、次は当然ローマです。これ
までやってないのが不思議なぐらいで。何しろ、
移動距離が短くて済みますし。
岸） だったら、
日本を地中海に持っていけばいいのかね？
政治） こんちは！
岸） 遅いぞ田畑！
政治） いやいや…名前が長すぎるじゃんね～。
「紀元二六〇〇年国際オリムピック競技大会
東京開催に…」って、舌かんじゃったよ。えっ？
…で、ご用件は？
杉村陽太郎） 貴様がメダル亡者の水泳総監督か。
政治） 何！？
杉村） （英）自分でメダルを獲ったわけでもない
くせに、調子に乗りやがって このカッパ野郎！
政治） ほかはともかく「カッパ」は
聞き逃さんぞこの野郎。表出ろ！
うわ～！ 背負い投げ～！
治五郎） ハハハハ…私が呼んだんだよ。
噛みつくなら相手を選べ田畑。杉村陽太郎君は、
元国際連盟事務次長、嘉納塾出身、柔道六段、
私の自慢の、弟子だよ！ハハハ…。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
1933年2月、ジュネーブで開かれた国際連盟総会で、
日本は満州事変に関して、世界各国から糾弾され、
全権を託されていた、松岡洋右が退席。日本は国連
を脱退することとなり、杉村も職を失った。
杉村） 日本が、国際社会で孤立しつつある今、
オリンピックの東京招致は名誉挽回の好機です。
治五郎） しっかり頼むぞ、杉村。
杉村） はい。
治五郎） 副島君もな。
副島道正） はい。
政治） えっ…誰ですか？
岸） 彼も、国際人でね、元貴族院議員で、
英国留学の経験もある、伯爵だ。
政治） 伯爵！？
岸） 副島君と私は、ビリヤード仲間でもある。
副島） しばらくやっていませんな。
政治） 伯爵初めて見た。
副島） まずは、次のＩＯＣ総会で、オリンピックを
アジアで開催することの、意義を訴えましょう。
治五郎） よ～し、山本君が、陸上の総監督、田
畑君が、水泳の総監督、これに、新しい市長
を加えたメンバーが、来る東京オリンピックの、
実行委員となる！ よ～し、記念写真撮ろう！
おい君、撮ってくれ。
政治） ちょちょ…待って。来るってまだ決まって
ないじゃんね～。その前に、体協理事の件…。
治五郎） いいからいいから。
政治） 水泳だけで結構なんですって。
男性） まいります。
政治） いや…。
（シャッター音）
え～体協理事の件はうやむやにされ、オリンピック
招致委員にされちゃったまーちゃんですが、話が
トトト～ンと進んじまったので、ここで一回状況を整
理しておきましょう。関東大震災から復興した東京
を更に盛り上げるべく、紀元2600年記念行事として、
東京オリンピック構想が発案された。東京開催を夢
みる嘉納さんはやる気満々だが、まーちゃんはいま
ひとつピンとこ来ない。そして、ロサンゼルスオリン
ピック開催中に開かれた、IOC総会。日本は、10か
国中最後のエントリーとなり、状況は圧倒的に不利。
最有力地ローマは、イタリアの独裁者ムッソリーニ
が指揮を執り、巨大なスタジアムを完成させつつ
あった。一方、日本は満州事変を世界中に非難さ
れ、国連脱退。こりゃどう考えても、東京オリンピッ
クどころじゃないですな。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜朝日新聞社＞
細田） 連盟脱退を批判して、
軍が何か言ってきたらどうするんです！？
緒方） 構わん。今までうまくやってきた。
そのまま載せよう。
細田） いやいやちょっと、いやしかし
このままじゃ、あからさまですって。
政治） バシャ～！ キラキラ～！
緒方） おいそこ！ そこ！
政治） はい？
緒方） いつまでオリンピックの思い出に
浸っとるんだね。ここは政治部だぞ。
政治） はい。まだまだ１年ぐらい持ちますよね。
キラキラ～キラキラ～！ ハハハ…。
男性） 宮崎のおじいさんの談話がありますよ。
政治） おい読んでないぞ。貸せほら。
「今年81歳になる、宮崎柳吉翁は、『孫が…
そうか、よくやったのう』と」。たまらんね～。
おじいちゃんよかったね。
緒方） （ため息）
政治） はい、続きまして男子背泳ぎ…。
緒方） おい、おい、おい！
政治） はい？
緒方） そんなにな、浸りたいんだったら、
回顧録でも書いたらどうだ？
政治） いいんですか！？
緒方） そのかわり、それは、夜やるんだぞ。
昼は、政治部の仕事をするんだ。分かった？
政治） 分かりました。
緒方） よし。
政治） 日の丸が３つ揚がったわけだ！
緒方） おい！ だから、それ、夜やれ！
政治） 夜？
緒方） 夜。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜夜＞
政治） 「食堂は世界の若者が集まり、
談笑する場であり、全く開放された光景は、
これが、本当のオリンピックだと思った」。
思ったな～！ 楽しかった～。また行きたいよ～。
（包みを差し出す菊枝）
政治） えっ？ 何これ。
菊枝） 一人で食べるのも気が引けますので。
政治） あっ…すまんね。
（包みの中に巻き寿司）
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜バー・ローズ＞
マリー） 毎日夜食を？
政治） うん、料理の腕前はなかなかのもんでね、
こっちも頂きっ放しじゃ悪いから、毎日、ロスの
思い出話をしてやるんだけど…。
（回想）
政治） ただでさえ西洋人の顔は見分けがつかん
のに、アメリカチームにカリリ兄弟というのがい
てね、そっくりなんだ顔が！ 辛うじて、髪の毛の
縮れ具合が、弟の方がほら、やや直毛なんだ。
でも、水に濡れたら一緒だよ。ハハハハ！
カリリ、兄、弟、兄、弟。ハハハ。…という話。
政治） ものすごくつまらなそうなんだ。そのくせ、
俺が社を出るまで帰ろうとしない。ずっと二人
っきり。何なんだ一体…酒井菊枝。
マリー） やっと夢中になれるものが見つかったのね。
政治） 何？
マリー） だって田畑さん、ここんとこ抜け殻みたい
だったじゃない。まるで心をロサンゼルスに置い
てきたみたいに。
政治） 夢中になれるか？ あの女に俺は。
水泳日本に懸けた、一夏の情熱。
それに見合う女か？ 酒井菊枝…地味な女。
マリー） 田畑さん、お見合いするんじゃなかった？
政治） えっ？ あっ…ああ、そっちは断るよ。
もともと乗り気じゃなかったし。
写真も、ろくすっぽ見てないしね。
マリー） 占ってあげましょう。
政治） いい…やめてよママ。
よけいなお世話だよママ。離せよババア。
いいんだそういうのは占わなくて…。えっ？ えっ？
（政治の手相を見るマリー）
政治） 何だよ。どうなんだよ。早く言えよ。
マリー） 残念、どちらとも、結ばれないわ。
政治） どっちも？
マリー） うん。
政治） 酒井菊枝とも、知らねえ、見合い女とも？
マリー） （ため息）
政治） えっ。どっちもダメ？
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜朝日新聞社＞
緒方） 断る？
政治） ええ、お断りします。きっぱりと。
緒方） いいのかい？
政治） まだまだ仕事に打ち込みたいし、
それに、気になってる人が、いますので。
（チラッと菊枝を見る政治）
緒方） ふ～ん。社長令嬢なんだがね…。
ちゃんと写真は見たのかい？
政治） いえ、見てません。３年後にはベルリン
オリンピックもある。東京招致も本腰を入れ
ねばなりません。身を固めるのは、まだ。
（机の上に置かれた写真）
緒方） （ため息）
酒井君、まあ聞こえていたと思うが、
残念ながらこの話は…。
（机に置かれた写真と菊枝を見比べる政治）
緒方） まあこういうことを、本人に直接伝えるのは…。
しかたない。お父上には、私から…。
政治） 待って下さい！ お下がり下さ～い！
緒方） 何かね？
政治） お下がり下さい！ 結婚しよう！
緒方） えっ？
（菊枝を見つめ、にんまりする政治）
（回想）
マリー） どちらとも、結ばれないわ。
政治） えっ、どっちも駄目？ …の反対は？
マリー） どちらとも…。結ばれる？
政治） 結婚しよう！
（微笑む菊枝）
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
昭和8（1933）4月
４月、田畑政治と、酒井菊枝は、めでたく結ばれます。
政治） ありがとう！ ありがとう、ありがとう！
（拍手と歓声）
松澤） よっ、まーちゃん！ おめでとう！ 奥さん！
政治） やめろ。
松澤） 我らのまーちゃんを、頼みますよ。
結婚にはね、３つの袋が…。
野田） えっ？ ３つの坂ですよ。
松澤） 袋だろ！？ 胃袋…池袋…すいません忘れました！
政治） 何だよ～。
（笑い声）
河野） 胃袋、おふくろ、給料袋。
一同） お～！
緒方） おっ、みんな、河野一郎先生が到着されたぞ。
（拍手と歓声）
河野） オリンピックに続いて、幸運続きだな、田畑。
政治） お前こそ、たった１年で政界進出とはな、おい河野。
河野） 水泳でアメリカをやっつけたのは、痛快だったぞ。
政治） スポーツを任されたからな！ ハハハハハ。
河野） いいんですか？ 奥さん。
こんな豆タンクで。口悪いでしょ？
菊枝） 口が悪いということは、
心は口ほど悪くないということですから。
一同） フ～！
政治） 菊枝、やめろ…照れるぞ。
（笑い声）
政治） おっ！ さあみんな、余興を見よう。。
今日はね、今一番面白い落語家呼んでっから。
松澤） 誰誰誰？
河野） どうですか？ 新聞は。
緒方） きびしいよ。軍の圧力がきつくてな。
河野） 連盟脱退で、今後は、
ますます困難を極めるでしょうな。
政治） 面白いぞ！
松澤） よっ！
（拍手）
一同） 志ん馬…。
孝蔵） え～…。（せきばらい）
古今亭志ん馬でございます。
政治） あれ？ 円蔵か金語楼よこしてくれってそう言ったよ。
孝蔵） 冗談言っちゃいけませんよ旦那。えっ、？
そんな金語楼だ円蔵だなんてのがこんなしけた、
席に出るわけねえじゃございませんか。
（笑い声）
政治） 何だこの野郎、おい。何が志ん馬だよ。
おい、勝鬨亭の朝太じゃねえか。
孝蔵） あれ！？
おめえ誰かと思ったら…浜松の河童だ！
政治） 世界の田畑だこの野郎め！ おい、お前
酔ってんな？ おい。酒飲んでんなこの野郎。
さっさと一席やりやがれ、バカ野郎め！
孝蔵） このね、新郎の旦那ってのはね、
ご覧のとおり、口も悪けりゃ、顔もまずい。
（笑い声）
志ん生） この時分には私も、どうにか食えるよう
になりまして、お座敷や結婚式の余興なんかで、
小遣い稼いで…それと、ラジオね。師匠連中や、
売れっ子が嫌がって出ねえんで、私ら中堅にお
鉢が回ってくる。随分助けられました。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜熊本・池部家＞
ﾗｼﾞｵ・孝蔵） 「いや、それじいさんが昼寝してん
だよ」。「おめえが太ったせいだよ」。「えっ？」。
スヤ） また聞こえんばい。
（ラジオを叩くスヤ）
四三） スッスッハッハッ、スッスッハッハッ…。
ハァハァ…ただいま。
スヤ） 帰ってきた！ おとうちゃん、お客さん。
四三） んっ？
小松勝） 金栗…四三…。
四三） んっ？
小松） あっ！ すんまっせん。おるは、九州一周
ば目指しとります、熊本中学の、小松と申すも
んです。金栗先生の、「ランニング」ば読んで、
感銘ば受けました。97ページ5行目、競走につ
いて、百敗を意とせず最後の勝利を得ることを
決して忘れては…うん？うん？あっ…はあ！？
（小松の足を触りまくる四三）
四三） うん…。足、何文？
小松） はっ？
四三） こん足袋では、無理ばい。
（小松が履いていた足袋）
四三） 来なさい。スヤ、出して。
スヤ） はい。ほら、こっち来なっせ。
小松） はあ…。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
（紐付きゴム底の足袋を履く小松）
小松） お～なんと…ピタ～ッと来る。かかとも、
厚かばい！ へへへ。こりゃ快適ばい！
四三） うん。それはやる。
小松） 先生、ありがとうございます！
四三） おう！ （水を浴び）ひゃあ～！
かあちゃん、ち～っと彼の、
九州一周の、伴走ばしてくるけん。
スヤ） 着替えは２、３枚でよかね？
四三） ああ。
小松） えっ、九州一周ですよ？
失礼ですけど、先生おいくつですか？
四三） おる？ 42。ばってん、
まだまだ負けんけん。ハハハハ。
スヤ） ほら、小松さんも水ばかぶって。
小松） えっ？
四三） はよ来んか。
小松） はっ？
四三） はい…脱がんね。ほらほら…。
ほっほっほっほっ。ほい…。
子ども） 見たらいかん。
子ども） 見えとらん。
四三） よ～しよかよかよかよか。
スヤ） はい、おとうちゃん。
小松） あっ…。
四三） よし、いくばい！
小松） はい！
四三） それ～！
小松） ひゃあ～！
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜志ん生の家＞
五りん） ひい～！
志ん生） 大丈夫か？ おい。
もう…もう２、３日、休んでもいいんだぞ。
五りん） いや…。ひい～！
いや…そういうわけには…いかないんで…。
今松） それ、よしなよ。体に毒だし、あと…近所迷惑。
五りん） すいません。
あの、死んだ親父の、言いつけなんで。
ちょっと…今松、タオル取って！ ひい～！
今松） え～？ 呼び捨て！？
五りん） ハ…ハ…。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
五りん） （くしゃみ） すいません、すいません。
え～「オリンピック噺」に戻しましょう。え～永田さん
の後任として、牛塚虎太郎氏が、市長に就任。
牛塚虎太郎） 紀元2600年のオリンピックは、
全東京市民の、悲願です！ よろしく、頼みます。
治五郎） お任せ下さい！
五りん） ５月、嘉納先生は、IOC総会に出席する
ために、ウイーンへ旅立ちます。このウイーン
総会で、うれしいニュースがありました。杉村陽
太郎氏が、IOC委員に選ばれたのです。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
＜岸の病室＞
岸） あ～素晴らしいね。
ひとえに、嘉納さんの功績だよ。
野口） 議員を３人出してる国は、
ほかにどこがあったかね？
岸） アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス。
これで、日本も、国際スポーツ界で、
一流国の、仲間入りを果たしたということだ。
野口） 日本の票が２票から３票になるわけです
からね。これで、招致活動もグッと有利になる。
政治） でもな～
あの杉村陽太郎って野郎が私はどうも好かん。
杉村） 私も貴様が好かん。
政治） あっ、どうも。
岸） 杉村君、ご苦労だったね。
杉村） お加減いかがですか？
岸） いやいや、ぜんそくの発作で、
大したことはないんだよ。
杉村） 嘉納先生は、講演でヨーロッパ諸国を回る
そうで、帰国は10月になると。貴様、生けてこい。
政治） はいはい。
（花束を受け取る政治）
杉村） 朗報です。40年の候補地が、東京、ローマ、
ヘルシンキにほぼ絞られました。
岸） おお…。
杉村） 投票は２年後、ノルウェーの首都、
オスロでのIOC総会です。
岸） そうか～ハハハハ。
任せっきりにしてすまん…。（咳き込み）
杉村） 大丈夫ですか？
岸） 大丈夫だ…。
杉村） 総会では、日本を代表して、
スピーチをして頂かなければならない。
今は治療に、専念なさって下さい。
岸） 思えば、昨年、ロサンジュレス大会で、
田畑君が、メダルを取り…。
野口） 田畑ではなく、水泳が取りました。
杉村） はい。
岸） ようやく、可能性が見えてきたと
思ったが…また一歩近づいた。
そして…生涯の光栄と言ってもいい、
陛下のへの、ご進講…。（泣）
更なる喜びが、７年後、1940年の、
東京にやって来る。
病に伏せってなどおられんぞ。
政治） そうですよ。
野口） そうです。
岸） ああ…きれいな花だ。
（政治が生けた花を見る岸）
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
残念ながら、その日を迎えることは、
できませんでした。10月29日、
大日本体育協会会長、岸清一、急逝。
この訃報を、嘉納治五郎は、
日本へ向かう船の上で聞きました。
政治） ハハハ…よかった。
これでようやく納骨できます。
治五郎） 岸君…なぜだ…。
なぜこんな時に逝ってしまうんだね。
副島） 全くです。なぜ東京オリンピックまでの
10年を、天は彼に与えなかったのか。
ＩＯＣ委員には、岸の後任として、
副島道正氏が選出されます。
治五郎） 涙も出ないよ。
男泣きは、君の専売特許だったもんね。
（岸の回想）
野口） 本当…泣くか、文句言ってるか、
どっちかでしたね。（泣）
治五郎） 岸君…
君がその目で見たかった光景を、我々は、
必ず、現実にしてみせるぞ！ この東京で！
政治） 私も腹くくりましたよ。
めんどくせえけど、体協理事として、岸さん
の遺志を継いで、東京招致に邁進します。
野口） 貴様…ちゃんとやってくれよ！ 貴様！
政治） ああ。見てろ貴様。
治五郎） うん？ おい田畑君。
政治） はい？
治五郎） まぶたが…これ左だけ、二重になっ
てるじゃないか。ほかになかったのか？
政治） これがいいんですよ。
「生涯の光栄」の証しですから。
治五郎） えっ、そうなの？
政治） はい。
（岸の写真を見つめる治五郎）
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
翌、1934年、アテネで開かれたＩＯＣ総会から帰国
した、嘉納治五郎は、いつになく、悲観的でした。
治五郎） このままでは東京は、
甚だ望み薄であると言わざるをえん。
杉村） ローマを視察してきましたが、設備は相当
なものです。大理石の荘厳な競技場が既に完成
間近。道の整備も整っている。
牛塚） やはり、ムッソリーニが…
独裁者がいると仕事が早いね。
政治） 早いっすね～。
治五郎） そんなイタリアに、諸外国は遠慮しているよ
うだ。ローマ支持を表明する委員は、圧倒的に多い。
政治） 多い、うん。多い。
男性） 東京は、どうします？
治五郎） 神宮外苑競技場を改修すれば、
まあ６万人は収容できる。
政治） ６万か～６万ねえ…。
副島） 君、自分の意見はないのかね？
政治） えっ？
副島） さっきから、
誰かの発言を繰り返すばかりじゃないか。
政治） 私の意見？ さ～て、私の意見…。
ロサンゼルスのオリンピックは実にあれでしたな～。
楽しかった。ハハハ…。
杉村） 貴様、真剣に考えんか！
政治） 誰のためのオリムピックかって話じゃんね～！
ムッソリーニもヒトラーもいないんだから日本には。
嘉納治五郎はいるけどね。誰のためのどういうオリ
ンピックなら日本はできるのか。選手のため？国民
のため？ 軍のため？ それによって、自然石か大
理石かコンクリートか、自信持って決めませんか？
牛塚） 自信はある！ 昭和15年、紀元2600年の記念
すべき年を、市を挙げ、国を挙げて盛大に祝うため…。
政治） もちろん紀元2600年は大事。
日本人にとってはね。でもそれだけではローマには
勝てません。遠方から来る外国人選手にとっては、
飯は口に合うのか？ 練習は十分にできるのか、便
所は、和式か、洋式か、そっちの方が大事でしょ。
副島） いい加減にしたまえ！
杉村） 耐えましょう。最後まで聞いた上で
私がぶっ飛ばしますから。
政治） 何か違うんだよな～。何期待してんの？
オリンピックに。ただのお祭りですよ。走って泳いで、
騒いでそれでおしまい。平和だよね～。政治がどう
の、軍がどうの、国がどうの…違う違う違う。簡単に
考えましょうよ！ ローマには勝てない！ じゃあどう
します？ 「逆らわずして勝つ」の嘉納さん。潔く諦め
ますか？ それとも、４年後を取りに行きますか？
治五郎） これは、極論だがね…。
政治） はい。
治五郎） 譲ってもらうっていうのはどうだろう？
牛塚） 譲ってもらう？
治五郎） うん。譲ってもらうんだよ。
副島） 譲ってもらう？ 誰に、何を？
治五郎） ムッソリーニに、オリンピックを。そりゃ
簡単にはいかない。ムッソリーニも一生懸命だ。
だが、直接会って、理由を話して、譲って下さい
って、頼んだら、案外譲ってくれるんじゃないかな。
出た～嘉納先生お得意の、開き直り発言。
牛塚） 譲って…くれますでしょうか？
副島） いや、その前に、会えるかどうか。
杉村） いや、会うことはできる。
治五郎） うん？
杉村） 実は、10月からイタリア大使として
働くことになりまして。
治五郎） 何！？ なぜそれを早く言わん。
よし、譲ってもらおう！
副島） ちょっと待って下さい！ 万が一会えたとして、
辞退するよう働きかけるということですか？ スタジ
アムも完成してるんですよね？ 相手は一国の元首
です。しかも、気分屋だと聞く。万が一逆鱗に触れ
たら、国家対国家の、問題になりますぞ。
杉村） ですが、向こうだって、戦って東京に負ける
のと、戦わず東京に譲るのじゃ、譲る方が、体裁
がいいはずだ。
治五郎） そこだよそこ！ まさに、逆らわずして勝つ！
杉村） そうですよ！ トップがひっくり返れば、
国がひっくり返る。これが独裁国家！ いけます！
ムッソリーニを口説き落とせば、大逆転できる！
副島） そんな杉村君まで…。
治五郎） よ～し決まった！ ムッソリーニに直談判だ！
田畑！ 君は、日本の魅力を世界に伝える資料を作れ。
政治） はっ？
治五郎） 写真集だよ写真集！ これまでヨーロッパを巡
ってつくづく思い知らされた。彼らは日本を知らない。
言葉も通じない。だから、目に訴えるんだよ。日本の
魅力をふんだんに盛り込んだ写真集を作って、IOC委
員に配るんだよ！ ここでオリンピックやりたいなって、
その気にさせるんだよ。さあ早く！ ハハハハハ！
政治） すいませんちょっと分かんない。もう一回言って。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
五りん） 嘉納さんの鶴の一声で写真集の担当にさ
れちゃったまーちゃん。新婚だってのに、部下や
後輩を連日家に呼んで、泊まり込みで編集作業。
政治） 菊枝菊枝菊枝！
あれだ、あれ持ってこい、あれ、あれ。
菊枝） はい。
政治） もっと、日本をアピールできる写真ない？
そう、お握り！ うん！ 世界中のIOC委員に配る
んだよ。…で、ここで、オリンピックがやりたいな
～ってさせるんだよ。
男性） じゃあ題名は？
政治） 題名？
男性） 表紙に題名付けますよね？
男性） それ「JAPAN」だろ。
男性） そりゃ「JAPAN」だよ。
政治） 違う。「日本」だよ！ 「日本」でいこう！ うん！
男性） え～？
政治） 漢字でいこう！
男性） 漢字？
政治） 漢字で「日本」だバカ野郎め！ ハハハハ。
五りん） これがその、現物です。
一同） おお～！
五りん） あっ、ちょっと重い…。え～神宮競技場、
神宮プールはもちろん、え～富士山や京都など
景勝地の写真も。うわ～立派だな、これはもう…。
おっ！ お～へえ～すごい！ へえ～！ えっ、
まーちゃん、やればできるじゃん。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
（およそ縦30センチ、横40センチ、厚さ10センチの横型）
（布張りの表紙を左に開くと、富士山、舞子さん、
相撲、柔道、日本がぎっしりつまっている）
治五郎） やればできるじゃないか、田畑、えっ？
これだよこれ！
政治） さっきから柔道の写真ばっかり見てるじゃんね～。
治五郎） これいい写真だな～。
政治） でしょうね。
治五郎） 何しろ、この題名が気に入った。「JAPAN」
ではなく、「日本」としたところに、気概を感じるよ。
これさえあれば、「鬼に金棒」！ まずローマに赴き、
ムッソリーニを説得し…。
（治五郎の動きが止まる）
政治） 嘉納さんどうされました？
治五郎） ううっ！
政治） 嘉納さん？ 嘉納さん…嘉納さん！？
ちょっ…ちょっと嘉納さん！
治五郎） うっ…。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
セリフ量が多すぎるので、感想は超～短めで。
岸さ～ん…！（涙） まーちゃん結婚おめでとう！
譲ってもらおうって…治五郎先生面白すぎっｗ！
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