向田邦子の水ようかん(完全版) | 日々のダダ漏れ

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グレーテルのかまど (アンコール放送)
作家・向田邦子の水ようかん
(完全版)



日本の夏の風物詩、水ようかん。
基本の材料は、小豆、砂糖、寒天と水、のみ。
シンプルだからこそ、素材の力や、作り手の技が、
奥深い味わいを生み出します。
そんな水ようかんを、こよなく愛した女性がいます。

彼女は、水ようかんを食べる時の、
BGMやしつらえ、器にもこだわりました。



脚本家で、直木賞作家の、向田邦子。
彼女は、エッセーの中で、「自分は脚本家というよりも、
水ようかん評論家という方がふさわしい」と、その偏愛
ぶりを記しました。あまたあるお菓子の中で、水ようか
んに特別な思いを寄せた、向田邦子。彼女の水ようか
んは、どんな味がしたのでしょう。

**********

向田さんは、エッセー「水羊羹」の冒頭に、
こう書いています。

まず水羊羹の命は切り口と角であります。
宮本武蔵か眠狂四郎がスパッと水を切ったら
こうもなろうかというような鋭い切り口と、
それこそ手が切れそうなとがった角がなくては、
水羊羹といえないのです。
              (『眠る盃』「水羊羹」より)



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向田さんと、仲のよかった9歳年下の妹、和子さん。
姉は、水ようかんの切り口には、なみなみならぬこ
だわりがあったと言います。



和子) 切り口がしっかりしてるうちに食べないと、
    姉はあんまりうれしくないもんですから。
取材者) そういう事はもう仰ってたんですか?
和子) うん。「今日まっすぐ帰る?」とかって言わ
    れて、「何?」って言うと、「水ようかん、持っ
    てって」という時は、寄り道するとガタガタし
    ちゃったり、形が崩れちゃったりするの、あ
    んまり、気に入らないんですよね。自分の、
    わがままなんでしょうかね。


そんな邦子さんの、思い出の品。



和子) うちの姉は、これに水ようかんを入れるの
    が一番いいと思ってた。


水ようかんを頂く時は、
決まってこのお皿を使っていました。

和子) こういうふうに、ピッ。



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向田さんは、水ようかんの色にも、
独特な思いを綴ります。

小学生の頃、お習字の時間に、
どういうわけか、墨を濃くするのが
はやっていましたが、今考えてみますと、
何も分かっていなかったんだなと、
思います。

墨色の美しさは、
水羊羹のうす墨の色にあるのです。
はかなくて、もののあわれがあります。

切り口に命を感じ、
うす墨の色にはかなさを思う。
向田さんの水ようかんは、
生きているお菓子でした。
その文章は、
どこか恋人を、探しているみたい。
 
水羊羹は気易くて人なつこいお菓子です。
そのくせ、本当においしいのには、
なかなかめぐり逢わないものです。

**********

水ようかん一つの命を慈しむように、
向田さんは、食べ方にも、礼節を尽くします。

心を静めて、
香りの高い新茶を丁寧にいれます。
私は水羊羹の季節になると
白磁のそばちょくに
京根来(ねこみ)の茶卓を出します。

ライティングにも
気を配ろうじゃありませんか。
すだれ越しの自然光か、
せめて昔風の、少し黄色っぽい
電灯の下で味わいたいものです。



ついでに言えば、
クーラーよりも、窓をあけて、
自然の空気、自然の風の中で。




ムード・ミュージックは何にしましょうか。

私は、ミリー・ヴァ―ノンの
「スプリング・イズ・ヒア」が
一番合うように思います。

冷たいような甘いような、
けだるいような、
なまぬくいような歌は、
水羊羹にピッタリに思えます。

水羊羹は江戸っ子のお金と同じです。
宵越しを
させてはいけません。
水気が滲み出てしまって、水っぽくなります。
水っぽい水羊羹は(略)始末に悪いのです。
            (『眠る盃』「水羊羹」より)



**********

水羊羹と、
羊羹の区別のつかない男の子には、
水羊羹を食べさせてはいけません。
そういう野郎には、(略)
安ものの羊羹を
あてがって置けばいいのです。
              (『眠る盃』「水羊羹」より)

向田さんにとって、水ようかんは、
大人の味、自立の味でもありました。



子供の頃、向田家には、
毎日おやつの時間がありました。





母が子供のために、お茶をいれ、
決まった器に盛られた、2~3種類の駄菓子。



お客様用の、ようかんの切れ端は、
姉妹で奪い合うほどのごちそうでした。
そんなみんなで頂くおやつの時間が、
邦子さんを育んだのです。

**********



うちを出たのは35歳。
脚本家として、多忙を極めながらも、
お気に入りを味わうひとときを、
大切にし続けました。

徹夜続きで、アイデアが煮詰まると、
財布を片手にふらりと立ち寄った、
ご近所のお店。


「菓匠 菊家」

お気に入りの水ようかんは、
ここにありました。



お目当ては、
水ようかんだけではありません。
他愛のないおしゃべり。





朝8時前から訪れて、
先代の女将と長話をする事も、
珍しくはありませんでした。



(女将・松田隆子さん)
母も、おしゃべりが大好きなので。
ほっとけばいくらでもしゃべってましたから。

水ようかんの角が崩れないように、
家路につく緊張感は、
仕事の慌ただしさを、ひとときだけ、
忘れさせてくれました。
居ずまいを正して頂く、一切れの水ようかん。
それは、大切な、おやつの時間を取り戻せる、
魔法の、お菓子でした。

**********

ちょっと一息。ティーブレイク。
お菓子のふるさとを訪ねましょう。

2010年12月29日

帰省客で込み合う年末。
妙な話を聞きつけました。

水ようかんの旬は、「冬」と言い張る
不思議な土地があるらしいのです。
噂を確かめるべく、向った雪国は…。
福井! 冬の水ようかんの王国で~す。



コンビニのレジ横には、肉まんの代わりに、
なんと水ようかん。しかも冬期限定。



市内だけでも70以上の味があるそうで。

冬の中でもとりわけ年末年始が
福井の水ようかんの最盛期。

大量のニーズに応えるべく、工場はフル稼働。
作り出される水ようかんは、
今日一日だけでも、なんと2万箱!



実は水ようかんが
日本の夏の風物になったのは最近の事。
冷蔵庫がない時代、
日持ちのしない水ようかんは、
日本中どこでも、冬のお菓子でした。
更に福井で年末年始に食べるのは理由があります。
その昔、都会で働く丁稚さんたちが、
年末の土産に持ち帰った貴重なようかん。
それを水で薄めて固め直し、
分け合って食べたのが始まりとされているのです。

福井の冬の水ようかん。
それは、家族で味わう、
思い出が詰まった味でした。

**********

水羊羹は、ふたつ食べるものではありません。
歯をくいしばって、
一度にひとつで我慢しなくてはいけないのです。
その代わり、その「ひとつ」を大事にしましょうよ。
               (『眠る盃』「水羊羹」より)



40代半ば、
小説も手がけるようになった向田さんは、
突然、ガンの告知を受けます。

退院してしばらくは、
「癌」という字と、「死」という字が、
その字だけ特別な活字に見えた。

厄介な病気を背負い込んだ人間にとって、
一番欲しいのは「普通」ということである。  

二年目に入ると、
「生」という字が心に沁みた。
                (『父の詫び状』より)


水ようかんのエッセーは、「生」という字が心に沁みた、
手術から二年後に書かれたものでした。向田さんは、
エッセーの最後、こう結んでいます。
 
水羊羹が一年中あればいいという人もいますが、
私はそうは思いません。
新茶の出る頃から店にならび、
うちわを仕舞う頃には
ひっそりと姿を消す、
その短い命がいいのです。
                 (『眠る盃』「水羊羹」より)

はかなさ、もののあわれ、そして短い命。
向田さんの水ようかんは、
今ここにある生を慈しむ、心のお菓子です。

**********

2年前に書いた記事を訪れて下さる方が多くいらっし
しゃるので、今回、アンコール放送から完全版として、
新しく記事を書き直してみました。自分でも忘れてい
た部分もあり、新鮮な気持ちで観る事ができました。
2年前の記事はこちら→ 向田邦子の水ようかん

向田さんが愛した水ようかんも食べてみたいけれど、
福井の冬の水ようかんも、ぜひ食べてみたい。向田
さんのように、こだわりを持って食べたいものが、人
生の中で見つかればいいなあと思いつつ…。やはり
適当に食べてしまうんだろうなぁ…。大好きなものを、
歯を食いしばって一つだけと我慢することもできそう
にないし…。そういう緩い楽しみ方もアリってことで♪


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