正岡子規の桜餅 | 日々のダダ漏れ

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日々想ったこと、感じたこと。日々、見たもの、聞いたもの、食べたものetc 日々のいろんな気持ちや体験を、ありあまる好奇心の赴くままに、自由に、ゆる~く、感じたままに、好き勝手に書いていこうかと思っています♪

グレーテルのかまど (アンコール放送)
正岡子規の桜餅




紙雛や 恋したさうな 顔許(ばか)り

雛祭りが、1年のうちで最も楽しく、嬉しい遊びと語っ
た男性がいます。正岡子規。35年の生涯に、
膨大な
量の俳句や、短歌、随筆を生んだ子規に、
の歌は
ごくわずか。21歳の夏、桜餅屋の娘へ
の恋の噂が
立ちました。どんな味なの?どんな
恋? 
青春の味に迫ります。

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包んだ葉のほのかな香りが春を告げる桜餅。
桜餅には大きく二通り。



薄く焼いた餅の皮で餡を巻くのは、江戸生まれ。



道明寺粉の餅で
餡をくるむのは、関西生まれと言わ
れます。
ほんのり赤いお餅の色は、春の深まりと
もに、
色を濃くするんだとか。一年ごとの季節を映す
桜餅には、さまざまな
気持ちが込められるようで。

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いつか我 思ひのたけや いひてまし
涙の川に こひわたる身ハ

いつか気持ちを伝えたい。
君を思う涙が川のようだよ。

作者は正岡常規。のちの子規です。



ふるさとから東京に出て5年。友人と文学を熱く語り
合い、スポーツに熱中する、硬派の快男児。

彼が恋を歌ったのは、21歳の夏でした。
7月、夏休
みの間を過ごす為、子規は、向島
やってきます。



小林昭彦住職) 
この長命寺の門前にありまし
         た。桜餅屋の二階に、下宿
して
         たって風に伺っておりますがね。

隅田川が見渡せる部屋を、子規はすぐに気に入り、
月香楼」と名付けます。

学生の世話をするのは、娘のおろく、美人で評判の
19歳。甘いもの好きの子規と、自然と仲良くなり、
恋の噂がたちました。
バリバリの硬派の子規は、冷
やかす友人に、やっきになって噂を否定。
部屋にこ
もり、文章修業を始めます。

その時書いていたのがこちら。



七草集。戯曲や俳句などで、向島を記した手書きの
文集です。
この中に、恋の短歌をたくさん書き連ね
ているのです。







これって、にじみ出た恋心なのかしら?

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七草集にこんな句を見つけました。

葉にまきて出す まこゝろや 櫻餅



遊びに来た友人に、桜餅をふるまった時の一句です。
子規の嬉しそうな顔が目に浮かぶよう。おろくさんが
運ぶ桜餅は、格別な味わいだったに違いありません。

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桜餅の仄かな香りは、桜の若葉の塩漬けがもたらし
ます。その始まりにはこんな話が伝えられているの。

時は300年前のお江戸。隅田川に桜が植えられます。
やがて育った並木に手を焼く男が一人。あの長命寺
の門番、
山本新六。ところが新六閃いた。こんだけあ
る葉っぱ、何かに
ならないか。塩漬けにしたら、桜の
なんともよい香り。
餅を挟むと、花見の客に大評判。
飛ぶように売れたのです。
売上げ年間なんと38万個。
この店が、後に子規が下宿した店なのよ。

店にはもう一つ名物が。看板娘。



手に提げているのは長命寺の桜餅の籠。桜餅屋の、
おとよさんです。
代々の娘は、老中や外国大使に見
初められる、美人で評判の家系でした。
子規の恋バ
ナに友達が焼いたのも、無理なかったということね。



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9月、夏が終わります。学校には野球や文学の仲間
が待っていました。
七草集は、推敲を重ねて翌年の
春完成。
ごく親しい友人たちに、回し読みされました。

巻末には、子規が心を許した若者たちの、熱く手厳し
批評文が並びます。子規の才能に感服したのは、
夏目漱石。
熱い交流が始まったちょうどその時のこ
とです。



大量の喀血。当時の不治の病、結核のしるしでした。
ふるさとに帰ると決めた子規に、漱石は、

帰ろふと 泣かずに笑え 時鳥(ほととぎす)

と励まします。覚悟を決めた子規の、壮絶な文学の道
が始まります。

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向島で過ごした夏から10年、子規は、根岸の家で、
松山から出てきた母と妹と暮らしていました。病は
んでいました。
全身に結核菌がまわり、這って動くの
がやっと。左足が
曲がったまま、伸ばせないため切
込みを入れた机。



これにかがみこむようにして、
次々と書を世に送りだします。



支えたのは、大勢の友人でした。子規をかこんでは、
句会や
歌会を開いたり、ごちそうを食べたり、激論を
交わしたり、ちい
さな家に、友人の姿が絶えることは
ありませんでした。

死が近付いていました。自分の墓は、石ころにして
ほしいと、ふるさとに遺言の手紙を送った、一週間
後。
人力車にかかえあげられて、子規が外出しま
す。年に
数度も味わえない、久しぶりの外の空気。
見るものみんな新鮮で、友人の家を訪ねたり、
のにぎわい
に驚いたり、あっという間に夕闇が近づ
いていました。



最後に向かったのが、隅田川の向島。10年ぶりの、
あの長命寺です。
みやげに桜餅を買いたい、と人力
車の車夫に頼むと、土手上で待つ
子規のもとに、話
を聞いたおかみさんと、おろくさんがやってきました。

葉櫻や 昔の人と 立咄(ばなし)
葉隠れに 小さし 夏の櫻餅

桜餅の句が、久しぶりに生まれました。病んだ身で、
どのくらい話せたのでしょう。
空を見れば、10年前と
ちょうど同じ三日月で、
心を打たれたと、子規は記し
ています。



家に戻り、病の床でいただく櫻餅。
噛む度に、若い夏の味が蘇ります。

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ほのかな香りが、時の流れや秘めた思いを包み込む、
桜餅。
ヘンゼルが心をこめたその味を、グレーテルは
気に入ってくれるかしら?

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向島の再会から3年。子規は、外出はおろか、身体も
ほとんど動かせなくなっていました。寝たきりの布団
一枚。
病牀六尺が、彼の世界。当時高級品だったガ
ラス戸は、せめて景色が楽しめるようにと
友人が贈っ
てくれました。



身体のあちこちに、膿の穴があき、激痛に泣き叫ぶ毎
日。もはや
食べたものを消化することすらできません。
それでも子規は、
生きようともがき、作品を世に出し続
けます。

毎日の食事と、おやつの献立を記した当時の子規の
日記(仰臥漫録)。一度に十数個の菓子パンを食べた
り、
団子を買う買わないで、妹と口論したり、壮絶な食
欲は衰えません。
子規が食べ続けたのは、生き続け
る執念と、そしてもう一つ。

九月二十五日 午後 
三人集って 菓子をくふ

三人とは、子規と母と妹。



家族団欒というのをやってみようと、子規が発案
して、家族でお菓子を食べた日の記録です。

九月二十六日 午後 
家庭団欒会を開く 
隣家よりもらひし おはぎを食ふ

友人や家族と、好物の菓子を食べる。死を目前
に感じていた子規には、かけがえのない時間、
かけがえのない、甘さだったに違いありません。

四月、最後が近い子規の看病に徹する、母や
妹を、友人たちが、気晴らしに連れ出します。
子規はその日も布団に喘ぎ、横たわりながら、
母の花見を思いやります。

たらちねの 花見の留守や 時計見る

母が出かけた花見の先は、
くしくも隅田川、向島の桜でした。

5ヶ月後、子規 永眠。



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正岡子規の句で、思い出すのは、あの有名な句↓

柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺

思えば、この句も食べ物が印象的で、心に残っている
るのかも。長い間、私にとっての正岡子規のイメージ
は、教科書に出てくる人で、最近では、NHKのドラマ、
「坂の上の雲」で、香川照之さんが演じた正岡子規が、
私の中での「子規」像となっています。今回の「グレー
テルのかまど」を観ていても、香川さんは上手に演じ
ていたのだなあと、感心してしまいました。そのおかげ
で、正岡子規の青春の様子も自然に想像することが
できました。彼の病と闘う日々を思うと、21歳の夏の日、
硬派の彼は、それを「恋」とは認めないかもしれないけ
れど、恋のような、恋を連想するような、青春の時間を
過ごすことができたことを知って、少しだけホッとして。

二通りある桜餅。どちらの存在も知っていたけれども、
私の好みでは、道明寺のほうがどちらかというと好き。
でも、長命寺の桜餅の云われを知ると、江戸の桜餅
も食べてみたいなあと。できれば、あの籠に桜餅を入
れて、のんびりお花見をしてみたいなあと、思います。


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