とんび 第8話 「父と息子の遺言状」 | 日々のダダ漏れ

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日曜劇場 「とんび」

第8話
父と息子の遺言状


ヤス(内田聖陽)に石鹸の舟を見せ、子供の
頃の話をするたえ子(麻生祐未)


ヤス) 姉ちゃん。悪いけど、俺、全然・・・
たえ子) だろうね。でもね、やっちゃん。やっちゃん
     は覚えてなくても、やっちゃんにはお父さん
     の
こと大好きだった時期があるよ。待って
     待って、待ち焦がれてたときがあったよ。
ヤス) 何が言いてえんだよ。
たえ子) 別に。ただ、そういうことがあったってこと。
     あっ、もう一つあった。小さいやっちゃんに
     会わせてくれて、ありがとう。
     あの日は、私の最高の一日だった。



**********

ヤス) 小さい頃のことは、あんまりよく、覚えてない
    ですけど、ヤンチャ
ばっかりしてたんだと思い
    ます。おば
さんは、よく学校に呼び出されてた
    記憶がちょろっと
あって、よく追ん出されなか
    ったもんだって思います。
同じ並びに、たえ子
    姉ちゃんってのがいてね、これ
が、まあ、おせ
    っかいなたちで、よく面倒みてくれた
っちゃあ
    聞こえがいいけど、あれやこれや口うるさく
    ね。
たまったもんじゃなかったです。

    それから、幼なじみに、ナマグサ
っちゅう、坊
    主の息子がいるんですけど、これがもう、訳
    わからんヤツでねえ、俺のヤンチャすんの止
    めりゃあ
いいのに、いつもボケーっと笑って見
    ててね。で結局、
そいつのメチャメチャ怖い親
    父に2人まとめてゲンコくらって。
    俺、そうやって育ちましたよ。あの町で。



ヤス) 大学行ったり、偉い人にはなれませんでし
    たけど、
トラックの運転手にはなれましてね、
    トラックを乗り
回すのは、性に合ってて。あっ、
    トラックに乗ってた
から、美佐子っちゅう女房
    にも出会いまして。これ
がもう、明るくて、優し
    くて、ホント、俺にはもった
いねえような女房
    でね、それで、息子の旭っての
がね、これが
    また、
俺にちーとも似てねえ出来のいい息子
    で、こないだ
東京の大きな出版社にも就職し
    まして。とんびが鷹を生んだ
なんだって、ま
    わ
りの奴らがみんな、憎たらしい口ばっかり
    ききや
がってね。悪くない47年だと思います。

    もし、あなたがですね、あなたが迎えに来て
    くれれば、別の人生があったのかもしれませ
    んけど、それも悪くなかったかもしれません
    けど。俺、バカだから、別の人生がいいと思
    ったことなんかない
んです。ホントにいっぺ
    んもないんです。
あんたがくれた俺の人生
    は、なんも、なんも悪いことなかった
です。



ヤス) 全部・・・あんたのおかげで。
あんたが俺を
   作ってくれたから、
いいことたくさんありました。
   生まれさせてくれて、ありがとうございます。

**********

旭の上司・小林(長谷川朝晴)に話を聞くヤス。

小林) これ、市川君が就職試験の課題で書いた
    ものなんですけど。
ヤス) いいんですかあ? こんなもん読んで。
小林) ダメです。だから秘密にしておいて下さい。
    市川君にも。
ヤス) はあ。



小林) 市川君バイトしてたから僕達としてはどう
    しても目が甘くなっちゃうなあって
思ってた
    んですけど、そんなこと吹き飛ばすような、
    いい作文でしたよ。
ヤス) はあ。

**********

嘘と真実について

僕には母がいない。
僕が3歳の時に、事故で亡くなった
のだ。
事故の経緯は、小学校を卒業する時に父に聞
かされ
た。荷物の下敷きになりそうだった父を、
母が身代わりに
なって救ったのだそうだ。僕は
それからずっと、その言葉
を信じて育ってきた。
本当に、何の疑いもなく。

それから、8年ほどたった頃のことだった。
大学2年の冬、父の幼なじみで、僕も赤ん坊の
頃から
可愛がってもらっていた、照雲さんという
和尚に一通の手紙
をもらった。その手紙は、照
雲さんの父親、故・海雲和尚
からだった。

海雲和尚の手紙には、おそらくまだ父は何も話
していない
だろうからと前置きがあり、母の死の
事が書いてあった。

海雲和尚の言うとおり、父はあの小学6年生の
時以来、
母の死については一度も話題に出さな
かった。
やはり母への贖罪の意識があるのだろ
うと思っていたが、
そうではなかった。

母が自分の命と引き換えに救ったのは、本当は
僕だったのだ。父の噓を許してやってほしい、と
そこには書いて
あった。お前の為を思って、悩ん
で悩んで、
悩みぬいた挙句ついた嘘なのだ、と。

お前は、母に命を守られ、父に育てられ、沢山
の人に
助けられて、成人式を迎えるまで大きく
なった。
それをどうか幸せだと思ってほしい。生
きて今、あることの
幸せを噛みしめ、これからの
長い人生を生きてほしい。
感謝の心を忘れない
大人になってほしい。母に、周りの
人達に、そし
て、何より父に、お前を誰より愛してくれた父に、
いつか、ありがとう、と言ってやってほしい。

手紙を読んで、涙がとまらなくなったのは生ま
れて初めて
だった。誰に向かって、どんな思い
で泣いているのか自分
でもわからなかった。

ただ、泣いている時、ふと気づいたことがある。
鼻をすするとき片方の穴に指でフタをして、右、
左、右、左、
交互にすするのは、父と同じ癖
だった。



そして、自分はもうじき逝く、と和尚は書いていた。
美佐子さんに、僕の母に会えたら、お前が文武両
道、立派に育っていることを伝えてやる、と和尚は
書いていた。
美佐子さんはきっと喜ぶだろう、と。

それから、最後の最後にこうあった。だが、美佐子
さんが一番うれしく思うのは、お前が父の偽りの告
白を聞いた後
も、一度たりとも父を恨まずにいてく
れたことだろう、と。

僕は和尚の手紙を読んで初めて気づいた。

僕は確かに母が父をかばって死んだのだと思い
込んでいた。だが、本当に、ただの一度も父のせ
いだとは思わなかったのだ。
父を恨むことは本当
に一度もなかった。我慢していたのでは
なく、そん
な思いは一切湧いてこなかったのだ。
そのことが、
僕はうれしい。
僕自身ではなく、僕に恨みを抱か
せなかった父を、誇りに思う。

父は嘘をついた。僕は 二十歳になって事実を知
った。
だけどそれが、それが一体何だというのだ
ろう? 
大切な真実というものは、
父と過ごしてきた日々にあるのではないだろうか。



**********

ヤスに東京でのことを聞く葛原(音尾琢真)

葛原) あの・・・お父さんには会ったんすか?
ヤス) 会った・・・、と思う。
葛原) 旭君には会ったんすか?
ヤス) 会った・・・、ようなもんだ。
葛原) ようなもんって?
ヤス) クズよお。
葛原) はい。 
ヤス) あいつ、やっぱ天才だわ。
    俺が今日やっとわかったことを、20年か
    そこらでわかってやがった。

**********

長々と父の話をする旭に由美(吹石一恵)は・・・。

由美) 長いよ。
旭) 言ったじゃないですか。
由美) 編集者なら、もっと上手くまとめなさいよ。
旭) まとめると・・・
   まあ、結婚してくださいってことです。



親子は、自分でも気が付かなくても、どこか似てる。
DNAのなせる技なのか、遺伝子というのは、不思
議だなあと思う。似た者同士だから仲良くもなり、似
た者同士だから反発しあうこともあるし、近いからこ
そ許せたり許せなかったりもして。

ヤスが素直に父親に、生まれさせてくれて、ありが
とうございますと思えたのは、旭と過ごした時間が、
旭の親として、旭と一緒に親子の時間を過ごしてき
て、幸せだったから。今の自分を肯定できる生き方
をしてきたからだろうなあって。生まれてきてよかっ
たと思えれば、生まれさせてくれた人にも、素直に
感謝できる。愛する人に出会えて、自分を愛してく
れる人がそばにいれば、幸せな人生だなあと思う。
旭が、旭を愛する人たちに囲まれて、誰を恨むこと
なく大人になれたように。父親に感謝できたように。

それにしても、やっぱり、なくてはならない人、海雲
和尚!海雲和尚の深い言葉に、涙が止まらず・・・。
ヤスも旭も、まとめて愛してくれた人。ヤスも旭も幸
せだなあと、羨ましく思えてしまう。人が人を大事に
思う気持ちって、何よりの宝物だと心から思います。


●日曜劇場「とんび」HP

「とんび」関連ブログ↓
第1話「昭和を生きた家族の愛と命の感動物語」
第2話「最愛の決断―」
第3話「父と子の反抗期」
第4話「本当のお母さん」
第5話「さらば愛しき人」
第6話「父と息子の最期」
第7話「父と子の巣立ち」
第8話「父と息子の遺言状」
第9話「突然の終わり・・・」
第10話(最終話) 「終幕~父が息子へ・・・」


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