私は一所懸命派!
もともとは、鎌倉時代、日本が攻めてこられたときに、九州
を守った人たちがいてね、そのときに、一つのところを懸命
に守るということから「一所懸命」になり、それがだんだん
「一生をかけて…」っていう意味で「一生懸命」っていう表記
も使われてきたっていわれている、ということですが・・・。
どちらを使っていたか、気にしたことがなかったのですが、
二つの意味を知って、「一所懸命」のほうが、ピンとくるかな
あと思いました。「一生」というのは、ちょっと大げさというか
荷が重くなりそうなので、一つのことを懸命に、というほうが
ぴったりくるような気がします。自分の気持ちとしては。
そしてまさに、一所懸命に、シュークリームを想った人が↓
グレーテルのかまど (11月3日放送)
内田百閒のシュークリーム
そのシュークリームにある特別な想いを抱いていた
人がいました。内田百閒(1889-1971)。
人がいました。内田百閒(1889-1971)。
夏目漱石の弟子であり、幻想的な世界観の小説や
日常をユーモアたっぷりに綴った随筆を数多く残し
ています。たとえば・・・
日常をユーモアたっぷりに綴った随筆を数多く残し
ています。たとえば・・・
●エッセー「漱石遺毛」より
私の所蔵する遺品の中に、漱石先生の鼻毛がある。
今この稿を草するに当たって、そっと開けて見たら、
大変長いのやら、短いの合わせて丁度十本あった。
その内二本は金髪である。
本名は内田栄三。百閒というペンネームは、地元
に流れる百閒川にちなんで自ら付けました。
に流れる百閒川にちなんで自ら付けました。
そして、シュークリームを初めて口にしたのは、
明治40年、18歳の頃。
明治40年、18歳の頃。
●エッセー「シュークリーム」より
夜机に向かって予習していると、何か食いたくなり、
何が食いたいかと考えて見ると、シュークリームが
ほしくなって来る。
その時分は一つ四銭か五銭であったが、そう云う
高いお菓子をたべると云う事は普通ではない。
しかし欲しいので祖母にその事を話すのである。
(略) それなら自分が買って来てあげると云って、
暗い町に下駄の音をさせて出かけて行く。
(略) それなら自分が買って来てあげると云って、
暗い町に下駄の音をさせて出かけて行く。
(略) 祖母の手からそのシュークリームを貰って、
そっと中の汁を啜った味は今でも忘れられない。
百閒が食べたシュークリーム。
それは、一体どんな味がしたのでしょう。
それは、一体どんな味がしたのでしょう。
**********
●エッセー「怒髪上衝冠」より
その當時からの病みつきで、私はシュークリーム
となると目がない。
ある日のこと、体調の悪い百閒を見舞いに後輩
がシュークリームを持ってきてくれました、口に
した百閒はこんな感想を・・・
がシュークリームを持ってきてくれました、口に
した百閒はこんな感想を・・・
(略) 中のクリームは洗濯シャボンが水についた
様で、そのプリプリする口ざはりは、昨日似たこん
にやくにさも似たり。
様で、そのプリプリする口ざはりは、昨日似たこん
にやくにさも似たり。
クリームに対する百閒独特の批評。なめらかな
クリームじゃないとダメなんです。
クリームじゃないとダメなんです。
さらにその翌日、後輩は別のシュークリームを
差し入れ、しかし百閒は・・・
(略) その皮のかたい事、おできのかさ蓋が大分
よくなつて乾いて來た様だ。あんなのは駄目だ。
続いては皮にダメ出し。そしてついには・・・
劣化の如くにいきどほり、
劣化の如くにいきどほり、
怒りて髪は冠を衝いた。(略)
要するに、いい歳をして、大袈裟な自分の氣持を
制御する事が出來ないからいけない。
**********
シュークリームへの強い想いをあらわした作品が
「七體百鬼園」
百鬼園とは百閒の別名。この中で七人の百閒が
集まり、話を始めます。
落ちぶれた旦那、志保屋栄造(しほやえいぞう)。
借金ばかりの百鬼園(ひゃっきえん)先生。
職業不詳の哈叺入道(かっぱにゅうどう)
琴の名人、土手之都勾当(どてのいちこうとう)
風流人の、志道山人(しどうさんじん)
大学教授のフォン・ジャリヴァー、
そして百閒。
互いの懐具合や、趣味趣向についてなど
話をする七人。そのうち、話題は食べ物のことへ。
●エッセー「七体百鬼園」より
志道山人
「(略)哈叺さんはどう云う物がお好きですか?」
哈叺入道
「私はシュークリームの皮が好きだ」
志道山人
「それは逆の話です。シュークリームは皮を捨てて
中のクリームだけ食うのですよ」
土手之都
「シュークリームの皮を剥いて中身が摘まめますか」
志道山人
「尤も蜜柑は中を食って、金柑は皮を食うから一概
には云われないが、シュークリームの皮はおかしい」
哈叺入道
「可笑しくはない。一番うまい所だけ食っておけば
いいものだ。(略)」
結局、シュークリームについては決着がつかず、
七人は相容れないまま散り散りに去っていくので
す。自分の中でも論争してしまう。シュークリーム
への愛着は、それほどにも熱かったのです。
七人は相容れないまま散り散りに去っていくので
す。自分の中でも論争してしまう。シュークリーム
への愛着は、それほどにも熱かったのです。
**********
どうしてもシュークリームが食べたい。そんな孫
のわがままを聞いてくれた祖母・竹。誰よりも百
閒に誰よりも愛情をそそいでくれた人物でした。
のわがままを聞いてくれた祖母・竹。誰よりも百
閒に誰よりも愛情をそそいでくれた人物でした。
しかし、実は百閒と祖母に血のつながりはなか
ったのです。祖母にとって百閒は実の孫ではな
く、夫と妾との間にできた孫でした。
ったのです。祖母にとって百閒は実の孫ではな
く、夫と妾との間にできた孫でした。
●エッセー「枝も栄えて」より
しかし祖母お竹には何のつながりもない。
全くの他人である。
ところがその祖母が私には、
生みの母お峯よりも、父久吉よりも、
一番大事なのはどうする事も出来ない。
よわい八十に届いた今でも、
毎夜のお膳に少しくお酒が廻れば、
必ずと云っていい程老妻を相手に
思うに、人生のつながりは血ではなく
心に在るのではないか。
**********
大人になった百閒は、どんな思いで
シュークリームを食べていたのでしょうか。
●エッセー「シュークリーム」より
●エッセー「シュークリーム」より
(略) いい若い者の使に年寄りが
シュークリームを買いに行ったりするのが、
いいか悪いかと云う様な事ではないのであって、
(略) シュークリームをたべると、
(略) シュークリームをたべると、
いつでも祖母の顔がどことなく
目先に浮かぶ様に思われるのである。
シュークリーム、それは百閒の心の中に
いつまでも祖母への温かな想いを抱かせ
てくれる大切なスイーツだったのです。
**********
「内田百閒」の名前は知っていたけれども、なんと
なく、ムズカシイような気がしていて、手にとったこ
とがなかったのですが、とても面白い人だったよう
なので、書いた物を読んでみたくなりました。
シュークリームも大好きなので、とても共感できた
し。シュークリームって、簡単なようで、ありふれて
いるようで、好みに合うものってなかなかなかった
りするんですよね。皮がイマイチだったり、クリー
ムがイマイチだったり。両方が好みのシュークリー
ムというのは、なかなか難しかったりするのです。
番組では、硬い皮でカスタードクリームと生クリー
ムが入ったシュークリームが一番人気となってい
ましたが、私は、柔らかい皮にカスタードが一番好
きです。(古い世代の人間なので)
そして、シュークリームへの想いが、おばあちゃん
に愛された思い出につながっていたことで、とても
親しみが持てました。そう。愛された思い出は、こ
んなにも深く、心を温めてくれる、素敵な心の糧に
なるものだと。
思うに、人生のつながりは血ではなく
心に在るのではないか。
人生のつながりは心に在る、素敵な言葉ですね。
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