行ってきました。クラブチッタ
火曜日まで咳が全然止まらなくて
やっぱりやめた方がいいかな~とか
整理番号80番だったのだけど、前の方に居て
咳が止まらなくなって呼吸困難になって倒れたらどうしよう
楽しいライブに水を差すような事はしちゃいかんぞとか
あえて出口付近に居てすぐ退場できるようにした方がいいかなとか
色々考えが巡りましたが、医者に3回も行ったり
咳を止める呼吸法をマスターしたりしてギリギリで回復したので
ど真ん中の4列目ぐらいで堪能してきました
飴ちゃんを補給しながらドキドキだったけど
咳は3回くらいしか出なかった。
しかも、この日を境に夜の喘息みたいな咳がピタリと止まった
凄いぜスピッツパワー
で、ライブの感想とかすぐ書きたい派なのだけど
友人もまだ参戦これからだし、4列目でも全然後ろから圧縮されなかった
本当にスピッツファンってマナーいいな。と
それを見習ってライブの感想は後日にします。
その日の夜空
めっちゃやり終えた充実感、なにもやっちゃいないけど
参戦できたって事で満たされてる帰り道。
川崎と言えば母の実家があるので小さいころ
お正月にはお年玉目当てで遊びに行ってました。
ただ、いい印象はなく、母はいつも父の事で怒られていたし
母が私を生んだのは38歳だったので親戚が集まってもみんなめっちゃ大人で
遊び相手がいなくてつまらなかった。
ただ、お年玉、いとこのお姉さん、お兄さんまでくれるから
10万越えの金額に目がくらんで、必ずお邪魔していたなあ。
庭に鯉が泳いでいて、門もすごく立派で
苗字も厳つくて、母のお兄さんは正月は和服で、今思い出すと
めっちゃ金持ちのお嬢さんだったんだな~なんて
帰りの電車でおもひでぽろぽろ
母になんでお父さんと結婚したの?と聞いたら
「手に職があって、いつも美味しいものご馳走してくれたから」
お弁当まで母に作ってくれたことがあったそう(中華料理人です)
でも、母は若いころすごくお金持ちのご子息に気に入られて
求婚されたらしいけど、お断りしたそうで、その理由が
「デブだったから」と。
お嬢様の選択ってこわ
その後、貧乏に泣くことになるけど
電気が止められてもそれに気づかず
お隣さんに「ヒューズが切れちゃったみたいなので替えて貰えますか?」
なんて頼んで替えて貰って、それでもダメで
「あ、電気代払ってないからか」ってそこでやっと気づく母。
通知とかなかったのかな?いや、いくら昔でもそれはあったはず。
ヒューズってなつかし~
(短歌)
その昔震える家に住んでいたどぶ川沿いの銭湯通い
線路の近くの家で貨物列車が通るたび震度3ぐらいに揺れて
友達がビックリしてた。玄関開けたらすぐさま急な階段があって
みんなよく転げ落ちていたし、お風呂がなかったので
一日おきに銭湯へ通ってた。
近所のちいちゃんがよくどぶに落ちていたな~
今だったら、感染症だのなんだのって、お母さんも発狂しちゃうだろうに
そもそも、どぶって死語になりつつあるね。
なす田楽
なんて感傷に浸ってる場合ではなく、実は私にもしっかりやらないといけない事があって
今週の土曜日、いよいよ発表会となりました。
空先輩、見守っててね~
ギターレッスン
いつもの基礎練から
カルカッシ、アデリータ、ラグリマと弾き
先生が「ん?」となってるのに気づき
やっぱり隠せなかったので白状しましたが
体調悪くしていたのでまたまた筋肉のこわばりが
出てしまっている状態。
mがどうしても曲がる、そして遅れる
なんつータイミングなんだ恐ろしすぎ
ただ、漠然と私は大丈夫。って思える不思議。
去年だったら、絶対ちゃんと弾きたいって思ってたけど
今年はとんでもないどん底を味わったので
参加できるだけで幸せ、な気持ち。
今回は症状軽めだから、これ以上悪くならないって言う実感がある
今日弾いてみたけど、昨日よりはいい感じ。
弦の交換も済ませました。
アミノバイタルゼリーをのんでビタミンも採ってるから
土曜日までにはなんとかなるかも