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ツインレイを通して出会う、本当の自分

こんにちは、ぴぴですにっこり

 

 

『統合期の女性レイ』というテーマでこの2カ月ほどツインレイに関する内容を書いてきました。

短い期間で、スタイルも定まらずにやきもきしながら進めてきましたが、私にとっては学びの多い時間になりました💦笑

自分の学びが一つの節目を迎えたこともあり、今思っていること、今後のことも含めてどうしたいかを書いてみたいと思います。

また長くなりますがお付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

ただ一つのシステム

 

 

 

私は用語に疎いままここまで来てしまったのですが、統合はいわゆるワンネスを体感理解することかなと思っています。

深く自分の中に潜るほどに一つの真理に戻っていく感覚があるのです。

真理というと仰々しいですが、私は『ただ一つのシステム』という感覚でとらえています。

 

 

私たちはそのシステムの中にいて、私たち自身もそのシステムなのです。

そして、現実に対する出力(どんな現実を望むかということ)に関しては自由が与えられています。

意思決定は自由ですが、その際介入する思考に対して、恐怖に合わせていくのか、愛(もしくは喜びなど)に合わせていくのかが大切になってきます。

(例えば「彼と幸せになりたい」と思ったときに、不安を感じるようなノイズのほうが大きくないかという話です)

 

 

恐怖がなくなるというよりは、愛という選択肢が増えるという感覚です

明らかに周波数的な違いのある選択肢をちゃんと感じられる状態になっているかという話ですね。

そのためには一度自分の中にある恐怖と愛という対極のものをそれぞれ徹底的に感じ切らなくてはいけません。

彼を通して学ばされるのはそこです。

 

 

知れば終わりではもちろんなく、今度はその視点を三次元に落としてきちんと私という人間を生き、そのフィードバックをもってさらにシステムへの解像度を上げていく…

そんな絶え間ない学びそのものの中にいるのを感じています。

 

 

 

本音が最優先

 

 

ツインレイという言葉に出会った時から長らく、『統合』=彼と三次元的に結ばれるというイメージに終始していました。

そして早い段階から「ただの恋愛じゃない」とか「女性レイは使命を帯びている」といわれ、おそらくみなさんもでしょうが、意識的にそれを成そうとしていました。



でも、本音は「そんなのどうでもいいから彼と結ばれたい」だったと思います爆笑

本音は使命なんてどうでもいいし、彼と結ばれるために必要だからやるしかない。

でもそんなこと表に出すわけにはいかないから自分に嘘をついてしまう。。。

そんな風になっていました。

 

 

でもいいんです、本音で。

むしろ最終的には本音じゃないとだめでした。

ほんとうは高尚な考えで上書きなんかしなくてもいいんです。

いきなりは無理だから、何度も何度も同じことを切り崩すように学ばせてもらえるのだと思います(渦中にいると苦しいですが、過ぎるとこれじゃなきゃダメだったとわかります。)

本音を洗いざらい吐き出して、すっからかんになって、何にも属さない自分に戻ること。

それが最優先です。

 

 

 

 

統合に向けて必要なこと

 

 

統合に必要なのは自分に向き合うことだけだと思います。

あとはそのための物理的な時間。

うまく進まないのは単純に時間が足りていない部分が大きいと思います。

周囲のために一生懸命にならざるを得ない人ほど、自分のための時間の取り方もわからないでしょうし、意識の割き方もわからないはず。

自分のためにエネルギーを残すことすら知らないかもしれません。

スピリチュアルワーク的なサポートが必要になってくる方もいると思います。



まずは自分がそういう状態なのを自覚できるようになること。

使命だなんだとまた新たに自分の外側に頑張る何かを作ってしまっては、自分に向き合うどころではないんですよね。

 

 

ツインレイという形は学びのための一形態なのだと思います。

本音を偽れない相手が目の前に現れることで、ワンネスへと意識を戻され始めるのです。

相手はある意味はじめて、もしくは思い出せないほど久々に、自分だけのためにする『意思決定』ともいえるかもしれません。



ですがその段階ではまだ等身大の自分ではなく、目指すべきものの姿が完全には見えていません。

そのためこれまで自分につけてきたラベルを一枚一枚はがしていくことから始まります。

視界を曇らせているラベルを剥がし、のぞみの形を正しく把握するためです。



そうして無属性の自分になって初めて、愛の周波数を自らの意思で選び取っていく(合わせていく)という話になります。

 

 

 

 

繰り返しになりますが、相手を通して学ばされるのは「等身大の自分に戻ること」「すべてにおいて愛という選択肢があることに気づくこと」です。

とにもかくにも自分に向き合うことです。

甘やかして、本音を認めて、思いっきり喜んで、悲しんで、怒って…

そんな人間らしさをとことん自分に許すこと。

いろんな情報が溢れていますが、大事なのはそれだけだと思います。

 

 

 

 

 

 

…と、こんなかんじで

 

「結論自分だね…!!」

 

となってしまいまして…。

発信していくにしても、「これしかなくない!?」と思ってるのが私の現在地です。

ただ、それは言語化するための知識や技術を積極的に学んでいないという私の問題もあるので…

次回はそのあたりについて触れながら、今後このブログをどうしていこうか考えてみます。

 

 

 

今日もお読みいただきありがとうございました°✧˖°

あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように°˖✧˖°♡

こんにちは、ぴぴです。

 

 

自分の最大級の闇と対に対面することになったわけですが、大きな山は越えたようです。
3人いた苦手な人、残りの2人についても、彼らを鏡としていったい私の何が映し出されているのかに向き合いました。
まだすべてではない可能性もありますが、大方外れてはいないと思います。

 

 

やはりすべては、『父の盾としての私』『父の付属品としての私』という根っこに繋がっていました。

特別な人の娘だから、特別でなければいけなかった。
父の死後、他人からも同じものを求められ続けました。
「○○さんの娘だからお父さんの遺志を継いでいるはずだ」と。
とくに父を慕っていた方には少し落胆されてしまったようです。
ですが、今思えば失礼な話じゃないですか。
私は私です。
私という以外の属性は必要なく、特別である必要もない。
何もなくてもいい。
ただここにいて、息をして、生きている。

それで十分。
全ての属性を外そうとしている自分が今ここにいます。

 

 

彼を拒んでいるのは私のほうかもしれないと気付いたのは、心の奥に小さな恐怖を見つけたからです。
今思えば、自分のすべてと繋がり直すことへの恐怖だったのかもしれません。

 

 

まだ澱みが残る現実ですが、闇の形はもう見えています。
同時に、愛と豊かさの光もはっきりとその姿を主張し始めました。
これまでに何度かあった光の瞬間はこの一部を見せられていたのだなあと思います。
無属性になりつつある今やるべきことは、澱みに引きずられることなく、愛と豊かさに波動を合わせていくことなのだと思います。
大切なのは『統合』という結果ではなく、よりよくなろうとし続けられることそのもの。
それ自体が祝福だと感じます。

 

 

目の前にはほんの少しの恐怖があり、その向こう側には自由があります。
渡るには少し勇気を出してジャンプしなければいけない。
恐怖しても誰も代わりに飛び越える人はいません。
できるのは自分を信じて足を踏み出すことだけ。
止め処なく現れる課題も、永遠にさえ思えるような苦しみも、すべてが自己信頼の糧です。
自分にとって一番大切な瞬間を自分自身で支えられるようになるため。
どの瞬間も絶対無駄になりません。
どうか焦らないで目の前の道を進んでいきましょう。
あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように。

こんにちは、ぴぴです。
統合期の本音や、これまでの学びをシェアしたいという思いでしばらく書いてきましたが、なかなかシビアなゾーンに突入したのを感じている今日この頃です。
そんな今の本音を書いてみます。

 

 

 

 

 

 

発端は彼の帰国でした。
彼が渡欧していた間これまでにない感情を総ざらいさせられたのですが、再会の喜びに浸る間もなく課題が始まりました。
何を言われたわけでもない、何かをされたわけでもない、彼はいつも通り。
にもかかわらず何らかのスイッチが入った私。

「統合を拒んでいるのは私のほうかもしれない」

その疑念が放置できなくなってきたのです。

 

 

『どうしても許せない人物に見え隠れする自分の闇』、それを介してパンドラの箱を開けてしまった感じです。
今思えばずっと触れないようにしていたのだと思います。
やっと得た彼との穏やかな日々を自ら手放さなければいけなくなるから。
私の世界を根底から丸ごと変えてしまうかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

ラスボスは他者ではなく自分自身だと、よく言われます。

もしこれがラスボスなのだとしたら、何度も何度も克服したはずの、同じテーマです。
「まだそこにいたの…」と膝から頽れるような気持ちです。
激情をあおるでもなく平然とそこにいて、動かせそうにない。
私の自我をこれまで支えてきた骨格そのものなんです。

 

 

ラスボスという言葉を初めて見たとき、何か強く心を揺さぶられるような、そういう苦痛を想像していました。
でも今私が対面しているのは、そんな感情すら生まれないレベルのものです。
ずっとそこにいたのに、見えなかったのでしょう。
これに触ると、”私”がいなくなる。
そういう類のものでした。

 

 

 

 

 

 

具体的に何がラスボスになるのかは人それぞれだと思いますが、私の場合は父でした。

「私が私を選べば父を見捨てることになる」
この思いが私の屋台骨でした。
亡くなって数年、彼と出会ってずいぶん手放させられましたが、あくまでも表層的な部分だけだったのだと思い知らされました。

 

 

父はある世界で名の知れた人でしたが、いつもひとりになる恐怖心と戦っていたのだと思います。
そして私は「絶対に父の価値観から出ない」ことで、父をひとりにしないように頑張っていました。

 

 

たとえ価値観が違っても、道が違っても、愛は成り立ちます。
父も私もそれを信じられなかったんだなと、気づきました。
父は私が父の庇護下以外で生きられると信じられなかった。
私は父が道を違えても愛が残るということを受け入れる強さのある人だと信じられなかった。
…そして私のツインレイ彼への不信はここに起因しているのだということがはっきりわかりました。

 

 

親は良くも悪くも子供に呪いをかけます。
本来は祝福だったものを、エゴが呪いに変えてしまうのでしょう。
そうして気づけば彼らの課題まで背負ってしまう。
でも、自分の道を選ぶことは、誰かを否定することにはつながりません。
むしろ、信頼があるから手放せる。
そこにはちゃんと愛が成り立ちます。
やっと、腑に落ちました。

 

 

 

 

 

 

一度課題が始まると完結するまで自動操縦状態です。
苦しくても、つらくても、止まれません。
私のこの学びもまた、行きつくところまで流れることになるのだと思います。
結果はわかりません。
でも、向き合いきった心の奥底に温かさが生まれつつあるのを感じています。

 

 

 

今日もお読みいただきありがとうございました°˖✧˖°
あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように°✧˖°♡