揺れとともにある時間 | \出会ったからにはしかたがないっ/

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ツインレイを通して出会う、本当の自分

こんにちは、ぴぴです。
自分の中であれこれの方針が定まってきたからなのか、程よく力が抜けて書くことに向き合いやすくなった気がします😌

 

 

 

 

今日のタイトル、ですが。
今とても悔しい気分で一人過ごしています。

理由は「本来私がいるはずだった場所に私がいない」から。

今、私の師匠の一人が少し離れたところに遠征しています。
厳密には師弟制度がない世界なのですが、そんななかで私のことを「愛弟子」「一番弟子」と呼んでくれる師匠。
その愛弟子の私が、そこにいない…
というか、行きたくても行けなかったという現実に打ちひしがれています。。。

 

 

 

 

その中で、心の底から悔しいという気持ちを初めて抱いたかもしれないと気付きました。
悔しいとはこんな情動なのかと、なんだか初めて知ったような気持ちです。

 

 

この少し前には心の底から寂しくて仕方ないという感情を知りました。
これは今海外にいる彼に対してです。
彼が出発した直後寂しくて寂しくて、こちらも初めて感じるような情動でした。
彼が海外で離れるなんて言うことは今までに何度もあったのに、このさみしさは何だろうかと自分でも不思議になるほど。

 

 

共通しているのは、どちらも生のまじりけのない情動だったということ。
自己否定や、自分の価値への不信感を含まない
「純粋にさみしい」、「純粋にくやしい」
心から望むものに対する、まっすぐな情動です。
それを知らなかったのか、忘れていたのか…少し持て余しています。

 

 

 

 

持て余しつつも思うのは、これが等身大の私の望みなのだなということ。

 

 

感情は手に取れないけれど、私という身体を介して現実に在るもの。
この揺れがあるから自分の心からの望みを”見る”ことができる。

 

 

揺れているからわかる
揺れに対処しようとするから持て余すんだ、と。

 

 

この時間は自分の内と外とのすり合わせの時間かもしれないなと、そんなことを思いました。