∫ にこいち Days ∬  ~ ♂ ツインな魂 ♀のちいさなお話 -2ページ目

∫ にこいち Days ∬  ~ ♂ ツインな魂 ♀のちいさなお話

魂の片割れ、あなたはもう出逢いましたか?
この存在を知ることは、愛を知ること。
それは、これまでのあなたの人生をすべて覆すほどの衝撃かもしれません。
2009年4月現在、mixiに載せた翻訳や日記の保管倉庫にしています。

understand
語源 under 下に stand 立つ
= 理解
 
先の日記に書いた、インディアンの話の中に
「愛とは理解のことだ」という一節

ふと
自らの心を省みる

たしかに
理解できないものに、
私たちは 恐れを 憤りを感じる

いくら見せかけの好意を取り繕おうと
そこに愛はなく
いくら優しさを叫ぼうとも
魂までは偽れぬ

お面を被った
虚しい偽善者に他ならぬ

物事のひとつひとつを理解していくことは
心を広げて、
目に見える現象のひとつひとつを愛することに
等しいのかもしれない

今日出会うすべての 景色 出来事 現実を
そっと手に取りながら みつめて問う

私は
ほんとうに あのひとを このひとを
愛せているのだろうか?

怒れる人を理解するには  
みずから 怒りを知らねばならない

頑固を理解するには 
みずから 頑固を知らねばなるまい

憎しみを理解するには 憎しみを

意地汚さを 貪欲を 殺意を 暴力を

罪人をも赦し愛する心とは
罪に触れ 知り 理解した心だ

それは 単なる頭の中の 知識の上の理解ではない

DNAに刻まれた 
はるか先祖から受け継いだ
数々の「経験」の恩恵を
愛に代わる「理解」と呼ぶのかもしれぬ

ああ
私は どれだけの心を
「理解」できているだろうか?

私という器には
どのくらいの数の
理解の小船が浮かぶのだろう?

ひとつ言えることは

たった一人の人間を 
心から愛したとき
それまで 否定していたものたちを 
なぜだろう 手に取るようになった

両親から受けた愛の深さ 言葉の意味を
なぜだろう 思い知るようになった

私のDNAに 何が起こったのか
何が 今 
私の心の深きに起こっているのかまではわからぬ

しかし
今も加速度に そんな変化が動いている

見える世界が変わっている

「理解」できぬ方が
「理解」を無視するほうが
ラクに器用に生きられたのかもしれぬ

ときにはそんなふうに感じさえするが

それでも 尚
安住の知(地)を後に
「理解の筏」に乗るならば 
それはまた
別の大きな「理解の船」を招き寄せる

いずれ 重ねるうちに
広い意識の川を泳げるようになるだろう

私は この人生で
いったい
どのくらい「理解」を辿り
どのくらい遠くの海まで 辿り着けるのだろう?

それは大きな挑戦だ 

あわよくば

精神の 古きも 若きも
心の豊かなるも 貧しきも
神聖さも 邪悪さも

どうせなら
まとめて多くの魂が 泳げるくらい
広く 深ければ  深いほど 
いいのになあ
いいのになあ

そう 未だ
ちっぽけな私は 思うのです

  
昔、私がとても感動した本のひとつに、「リトル・トリー」があります。
あまりに素晴らしかったので、縁のあった子供たちに何度か送った、
インディアンの児童書です。
  最近読んで、やっぱり好きなので、今日はそのなかの一節を塾の授業
中、生徒と一緒に読みました。よく理解する子供たちでした^^

祖母は静かに言った
「だれでも二つの心を持ってるんだよ。
ひとつの心はね、体の心―ボディーマインド、つまりからだがちゃんと生
き続けるようになって働く心なの。
体を守るためには、家とか食べ物とか、いろいろ手に入れなくちゃいけな
いだろう?おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、子供をつく
らなくちゃならないよね。そういうときに、体を動かすための心を使わなく
ちゃならないの。
でもね、人間はもうひとつの心を持っているんだ。
からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは霊の心-スピリッ
ト・マインドなの。いいかい、リトル・トリー、もし体を守る心を悪いほう
に使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手
を利用してもうけようとしたりしたら、スピリット・マインドはどんどん縮
んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。
 体が死ぬときにはね、ボディー・マインドも一緒に死んでしまう。
でもね、スピリット・マインドだけは生き続けるの。
そして人間は一度死んでも、また必ず生まれ変わるんだ。
ところが生きている間、ヒッコリーの実みたいにちっぽけなスピリット・マ
インドしか持ってなかったら、どうなると思う?
生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさのスピリット・マイン
ドしか持てない。だから、何も深く理解することができないんだ。
 それで、ボディー・マインドがますますのさばるから、スピリッド・マイ
ンドはますます縮んじゃって、しまいには豆粒くらいになって、見えなくな
っちゃうかもしれない。
もうスピリットをなくしちゃったのとおんなじだよね。
 そうなったら、生きてるくせに死んでる人ってことになるの。そんな人は
いくらでも見つかるわ。
 そういう人はね、女の人を見るといやらしいことしか考えない。
 他人を見ると、なんでもケチをつけたがる。
 木を見ると、材木にしたらいくらもうかるかってことしか考えない。
きれいなことなんかちっとも頭に浮かばないのさ。そんな人がうようよして
るよね。
 スピリット・マインドってものはね、ちょうど筋肉みたいなもので、使え
ば使うほど大きくなっていくんだ。どうやって使うかっていうと、ものごと
をきちんと理解するのに使うのよ。それしかないの。ボディー・マインドの
言うままになって欲深になったりしないこと。そうすれば、物事がよーく理
解できるようになる。努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。
 
 いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。
でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。
 理解してもいないのに、愛しているふりをする。
 それじゃなんにもならない。」
 
 ぼくはすぐに心に決めた。すべての人を深く理解するように努力しようと。
ヒッコリーの実の大きさのスピリットしか持てないなんていやだから。

「スピリット・マインドが大きく力強くなってきたら、昔自分の体に宿って
いた命も全部見通せるようになるの。そこまで行くとね、体が死ぬことなん
て事はもうないのとおんなじになっちゃうの。
 いいね、リトルトリー、こんなことはしゃべっちゃだめ。世間の人にしゃ
べってもなんにもならない。でも、お前はしっておかなくちゃいけない。
だから私はしゃべったんだよ。
 おまえのおじいちゃんもね、自分では気づいていないけれど、深い理解に
どんどん近づいている。
わたしたち二人はずーっといつまでも一緒さ。霊どおしが理解しあった仲だ
からね。」


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「理解してもいないのに、愛しているふりをする。」
子供たちは、特にこの感覚にとても敏感です。
幼い子は、大人の嘘を、瞳を見ればわかってしまうように。

ヒーリングについて、2012年に向けて綴られたチャネリング文献
「ラー文書」が語る内容です。
邦訳は難解で長いので、一部を掻い摘んで私なりの表現に要約し
てみました。

「一なるものの法則」のうち最も重要なもののひとつに、
ヒーリングがある。
心・魂・霊が自分の奥底で「一なるものの法則」を悟ったとき、
ヒーリングが生じる。
その法則―、つまり

不調和も不完全も両極性も善悪も元々は存在しない、
すべては完璧で健全な一つのしくみである

この理解を、知識だけでなくヒーラー自身が身を持って
獲得していくことである。

「不完全である」という自分自身の「幻」を、
この理解によって「一なる意識」と調和させること、
その極めて個人的なプロセスの中で、ヒーリングは生まれる。
自分自身が囚われている、苦しみの根源の正体を掴み、未知なる自分を知ること、
そう活用される道具として、「不完全」という幻は存在する。

つまり、ヒーリングプロセスとは、
自分の「知的な無限性」とつながるための思考の修練である。

自分の思考を、その無限性を開拓することによって、
   自己に奉仕することは他のすべてに奉仕すること、
     他に奉仕することは自分に奉仕すること     
になる。
 
具体的なひとつ目のプロセスは、 
自分をよくみること そして自分の両極性を知ることである。
辛抱さがあれば短気で性急な部分もあるように、
どんな思考や性格にも、それぞれに正反対の自分が存在している。
自分のうちにある許せる部分と許せない部分を認識するなかで、
自分の心にはあらゆる性質が包含されていることを思い出すのだ。
 
ふたつ目は、自分の意識の完全性を受け入れることだ。
自分が自分を裁いていること、自分はこうだと決め付けていること、
自己への観念と称されることそのものが、ゆがみを作っている。
そのゆがみをまずは知り、受け入れることで
ヒーリングの障害が省かれていく。
 
みっつ目は、他者の完全性を理解すること 
他人の弱さ(として感じられること)を見るには、
自分の弱さを忠実になぞる必要がある。
なぜなら、他者として見えるものは、自分にすでにあるものだからだ。

他人の完全性を知るならば、それは自分の完全性を理解することになる。
自分の両極性を知るならば、それは他人の両極性を知ることになる。

この作業は表裏一体であり、
どちらも同じように物事を見極める洞察力を培うプロセスとなる。
 
よっつ目は、繰り返しになるので詳しくは書かないが、
自分と同じように、他者の完全性を受け入れることである。

つまりー
自分の両極性を知り、完全性を受け入れる。
他者の両極性を知り、完全性を知り、受け入れる。
この四つのプロセスから得られる自分の思考の癒しを通してこそ、
他者へのヒーリングプロセスは成り立つ。
また、逆も然り、である。

このプロセスを通して、
自分の感覚、偏見、感情という「意識的」領域が、
身体の・精神の様々な部分という「物理的」領域に
どのように影響を与えているのかを知ることになるだろう。

肉体は、思考によって創造されたものだからだ。

深い洞察力と、調和の取れた識別力を培うことー、
自分の思考を知ること、自分自身の無限性への探求、
この過程がヒーリングの本質である。

・・・・・・・・
また、おまけですがこうも書かれていました。
人間が個人レベルで成しえる最大の奉仕とは、たったひとつ、
みずからを創造主―、つまり
「自分の知らない何か」に向かって手放しで差し出すことである と。

それでもなかなか流れに従えない、私の無知の知・・

自分のおバカさんを認めるが一番ってことかなあ・・(阿呆の曲解・・^^;)