悪性胸膜中皮種と診断がでるまで | お父さんを中皮種から守ってみせる

お父さんを中皮種から守ってみせる

2012年7月。大好きなお父さんが悪性胸膜中皮種になる。お父さんを助けたい・・・

お父さんから「肺に水がたまっちゃったよ」と言われたのは、2012年の5月の終わりのことでした。


私は現在、10歳、7歳、5歳の子を持つ母です。お父さんの住む私の実家は家からほんの100メートル先。実家にはほぼ毎日顔を出しています。


お父さんは、むかしっから子煩悩で有名でした。私は子供の時からお父さんが大好き。今も頼りっぱなしです。そして、今はすっかり、良きじいじとなり、子供たちをとーってもかわいがってくれています。そんなじいじが子供たちは大好き!周りの人からも「こんなにやってくれるじいじはなかないないよ~。」と頻繁に言われています。


現在じいじは63歳。年齢より若くみえるとよく言われ、姿勢も良くとっても元気・・・に見えていたのですが・・・


肺に水がたまる・・・聞いたときはピンときませんでした。でも、家に帰って念のためネットで調べてみると・・・

次々にでてきる恐ろしい病名。その内、一番可能性があるのが「肺がん」でした。しかも、胸水がたまっている段階だとすでにステージⅢb以上と・・・おそろしくて体が震えてきました。


まさか、まさか、お父さんが、お父さんが・・・・


その時はとにかく、怖くて信じたくなくてお父さんになにも聞けませんでした。でも、お母さんから「実は肺に溜った水からガン細胞がみつかっててね」と聞かされて・・・聞いた瞬間ひざから力が抜けるような感覚に襲われました。


お父さんもお母さんもネットを閲覧することはありません。なので、がん細胞が見つかったといっても、かなり悪い状態であることまでしばらくは分からなかったようで、今は医学も発展しているし、初期の段階だろうからきっと治ると言っていました。


その後、近くのがんセンターを紹介され、そこで肺がんか、または中皮種であると本人が聞いてきました。その時まで、中皮種という病気を知らなかった私は、また家で必死でネットで情報収集をしました。そのときまでは、ガンじゃなければ良いと思っていたのに、中皮種はガンよりももっと恐ろしい病気だということがわかり、あまりのショックでおかしくなりそうでした。


5月中ごろ、PET検査をした結果、とりあえず転移は見られないということ。この時は少しほっとしたのかな。主治医の先生は、肺がんの可能性が高いと思います。とのことでした。


そして、5月26日。胸に穴を開け、生検を行いました。この日、私は始めてがんセンターへ。これから手術(生検のための)ということでしたし、詳しいことが分かるとあって私もかなり緊張していましたが、いつも通り普通に話しをしました。笑顔で手術室まで一緒に行きました。1時間半の予定ということで、母と私は看護婦さんから携帯を預かりました。終わったら連絡をくれるというので、待合室で待っていましたが、なかなか呼ばれず、検査のための手術なのにどうしたんだろうと不安に・・・2時間半くらい経ってようやく呼ばれ、術後のお父さんと対面。麻酔からさめたばかりでうつろうつろしていたお父さんでしたが、元気に病室に戻ってきました。


検査手術の前に、術後すぐに8割がた、病気がわかるという話だったので先生からすぐに話があると思ったのですが、その日の先生の話は「確かに腫瘍は悪性のものでした」ということだけでした。


ん?ガンなの?中皮種なの?と思いましたが、とりあえずその日はそのまま帰宅しました。次の日は母と妹が病院へ。私は仕事でいけなかったのですが、妹の話では「とても元気で一緒に散歩したよ」との事。そして、次の日の28日にもう退院するというので、この日の朝から母と私で病院に行きました。そして、退院前に、父、母、私は主治医の先生からお話を聞くことになりました。別室でパソコン画面を見ながらの病状の説明です。先生が難しい顔をして話されたのは、普通ならガンなのか、中皮種なのか分かるのだが、分からなかったとのこと。さらに検査をしないと詳しいことが分からないので、7月6日にまた来院するようにということだった。


しかし、この日のこの話の事は忘れられない。初めて、父がどのくらい生きられるのかと聞いたのです。仕事のこともあるから知りたいと・・・その時の答えは、肺がんならステージ4、中皮種ならステージ1か2と言うことで、どちらにしても年単位で物事を考えるのは難しいかも・・・と。年単位・・・つまり一年持たないということを告知されたのです。私は、ある程度分かっていたことだったので「やっぱり・・・」と思っていたのですが、非常にショックを受けたのは本人である父と、そして母。


その後、すぐに退院の手続きを済ませ家に帰ったのですが・・・


私には妹が二人います。一人は車で20分くらいのところに住んでいて、一番下の妹が実家の敷地内に家を建て暮らしています。その妹にも子供が2人。8歳と5歳。真ん中の妹には中学生の子がいます。


退院した日の午後、お父さんは2階の自分の布団で寝ていました。私は妹たちとその日のことを妹の家で話をしていました。そして、2時過ぎ。いつもの時間に10歳の長男が帰ってくると、「じいじは?帰ってきたの?やったー」といって、じいじのいる実家の2階へ。私たちはすぐ後を追って2回に上がると・・・・


お父さんが長男を抱きしめながら号泣。長男にはお父さんの病気のことは話していなかったので長男はちょっと面食らったような感じで「どうしたの?どうしたの?」を繰り返していました。お父さんが病気と分かってからこの時はじめて私たちの前で涙を見せました。私もそれまでの一ヶ月、自分の家では泣きじゃくっていましたが、お父さんの前では涙をながしたことがありませんでしたが、さすがにあふれる涙を抑えることができませんでした。


「お父さん、みんなついてるよ。大丈夫。きっと大丈夫。」


何を言っていいか分からなかったけれど、そばで大丈夫と言うことしかできませんでした。


ガンなのか、中皮種なのか・・・・どちらか分からない日が数日。でもガンの方がまだ抗がん剤の種類もたくさんあるし、治療法もあるのでどちらかといえばガンのほうが・・・


そして、運命の7月6日、午後。外来の前にレントゲン検査の予定が入っていたのですが、なぜか心電図の検査をしたお父さん。みんなで首を傾げていました、午後2時、名前がよばれ主治医の先生の部屋へ入りました。


そしてすぐ、「結果が出ました。悪性胸膜中皮種です。」


私は、思わず天を仰ぎました。空耳であってほしいと。そしてお父さんを見ました。不安的中といった表情。


しかし、その後先生の口から出てきた言葉は、ステージⅠなので手術が可能だということ。手術??手術など全く頭になかった私はびっくり。手術ができるの????心電図の検査は手術可能かどうかの検査だったのです。


手術は、胸膜肺全摘術といって片肺を丸ごと取ってしまうという大手術だということ。しかも、お父さんの場合右肺をとるということで、術後も大変になるということでした。肺の大きさは、心臓が左の方にあることから、右の方が大きいそうで、その右肺を失ってしまうのは大変ということでした。しかし、同時に手術をしなければ、1年もたないという話でした。手術をしても、再発のリスクが付きまとい、数年生きられるかという話でした。


この日のこの話は、ほんの数分の話だったと思うのですが急展開でした。お父さんも私たちも抗がん剤でガンと戦おうとしていたので、びっくりするやら困惑するやら。


そして、さらに4日後の10日に手術ができるかどうかの検査行って来ました。その検査結果は18日。つまり来週の水曜日です。


手術についてもいろいろと調べましたが、本当に大変そう・・・・そして、実際胸膜肺全摘術を経験された方の闘病記のようなものがが、肺がんに比べて極端に少ない事を感じました。


私は、これまでブログを書いたことはなかったのですが、これから中皮種と戦っていく大好きなお父さんを守りたいという強い強い信念をもってこれからのことを記して行こうと決めました。


実際、まだ最終的に手術ができるかどうかがわかったわけではありません。どんな結果が18日にでてもお父さんを支えて行こうと決めました。がんばろう、なんて言わなくてもいつもがんばりすぎちゃうお父さんだから、がんばってなんて言いません。ただ、そばにいて自分にできること全てをやって行こうと思います。