諸々の事情から放送当日に視ることのできなかったGQuuuuuuXの最終話、ようやく視聴完了したわ。

 

 まあ、なんというか……今までのガンダム作品の中でも、特にブッ飛んでいたねぇ。

 あの監督に作らせると、なんでもエヴァンゲリオンになると言われているけど、正にそんな感じ。

 そりゃ、オマージュは色々と出てきて面白かったけど、やっぱりゼクノヴァとか巨大ガンダムはやり過ぎよw

 ∀の自己修復、Gガンダムの『愛は世界を救う!』なラスト、ダブルオークアンタの星間量子ジャンプなんかが霞んで見えるくらい、もう何でもありなんだもの!

 

 それこそ、一部界隈では『GQuuuuuuX』はララァの描いた同人誌とか言われているっぽいけど、言い得て妙なんよね。

 あの作品の中で、マジでララァだけは確実に第四の壁さえもブチ壊しているだろと思うような雰囲気さえある。

 そういう意味では、俺ちゃん達pool属と同類か?

 

 ガンダムにマルチバース論をブチ込むことで完成した理不尽かつカオスと言っていい作品かもしれんけど……まあ、それでも最後の最後でララァが幸せになれたんだから、それでいいんじゃないかとも思うわ。

 正直、それ以外の点で突っ込み入れたら、どこから突っ込んでいいのか分からんからね。

 

 ゼクノヴァに関しても、あいつの存在をあれこれ拡大解釈して妄想することで、∀ガンダムに繋がる各ガンダム作品の矛盾やらミッシング・リンクやらも説明できそうな反面、あれもニュータイプの引き起こした現象のひとつに過ぎないとすると、ユニコーンガンダム以上にニュータイプが神格化され、富野監督が当初構想していたニュータイプと、どんどん懸け離れたものになって行くのを助長しかねないという点は嫌なんだよなぁ……。

 

 それでも、こういう作品が高評価されるってことは、ガンダムも時代に合わせて変化して行かんといけないってことでもあるんだろうね。

 勿論、それを宇宙世紀を舞台にした作品でやって行くと、思わぬところで過去作の全否定や盛大な自己矛盾に陥りかねないから、できればオルタナティブ系の作品でやって欲しいところではあるんだけれど……。

 

 ぶっちゃけ、ここまでやっちまったら、もう後はなんでもありなわけだから……今まではSDガンダムでやっていたような世界観を、リアル頭身のガンダムでやっても驚かんよ。

 ガンダムごと異世界召喚されてもいいし、ガンダムが魔法使うのが当たり前の世界でもいい。

 Gガンダムでさえ後の世で高く評価されているんだから、宇宙世紀の枷をブン投げてくれる前提であれば、もっと破天荒で変化球なガンダムが来ても、先人の遺産を踏み荒らさない限りは物語として面白けりゃそれでいいのかもしれないと思い始めてるねぇ……。

 前回からかなり間が開いてしまったけれど、長浜ロマンロボについて語っていた以上、この作品の紹介を外すわけにはいかない。

 というか、俺ちゃん的にはボルテスVと、その後番組である闘将ダイモスこそ、長浜監督の真骨頂だと思っている。

 

 ボルテスVは、その見た目のデザインからも分かる通り、前番組のコン・バトラーVと共通する部分が多い。

 ただし、細部はかなり異なっていて、そこかしこに長浜監督の大事にしている家族愛の概念がしっかりと組み込まれている。

 

 ボルテスVの搭乗員は、主人公含め5人中3人が実の兄弟。

 しかも、彼らは敵の指揮官であるプリンス・ハイネルとは異母兄弟という設定なので、互いに関係を知らないまま、腹違いの兄弟同士で殺し合っているということになる。

 

 これだけでも悲劇なんだけど、主人公の母親が早々に戦死とか、敵に攫われた父親になかなか会えないとか、全体的にハードな路線が続く。

 なお、敵のイケメン枠であるハイネルは途中退場することもなく、力自慢の敵将ジャンギャルなども、単なる脳筋ではなくなっている。

 そして、ハイネルの背後には彼と地球人を互いにぶつけ合わせて共倒れにさせ、漁夫の利を狙う悪辣な王の姿が垣間見える。

 

 この時点で、もはやボルテスVは単なるヒーローロボットアニメではないと思うんよね。

 家族とは何か、本当の悪とは何かってことを、敵側のドラマもしっかり作り込んだ上で描写している。

 そして、単に主人公たちが悪を倒しておしまいではなく、その後の平和を維持するための答えもしっかり描いている。

 

 全ての戦いが終わった後、敵側の母星であるボアザン星でも革命が起き、悪しき差別に基づく王政は打破され、人種に関係なく民主的な政治が行われるようになる。

 単にヒーローや王族に任せて傍観するのではなく、人々が自らの意思で立ち上がったというのが凄いところ。

 前作のコン・バトラーVで、神様が登場して全て解決みたいなオチで終わったのとは大違いだ。

 

 なんというか、長浜監督も、やっぱりコン・バトラーVには納得行ってないところあったんだろうね。

 そこで、設定は殆ど同じにしたまま、長浜節を炸裂させまくったのがボルテスVなんじゃないかな?

 

 そんなボルテスVは外国でも人気あって、このアニメに感化されてフィリピンで過去に革命が起きたっていうのは有名な話。

 家族を大事にする国民性と、人々が立ち上がって悪しき政治を終わらせるっていうエンディングが、当時のフィリピンの人達の感性にピッタリ合致したんだろうね。

 

 そんなこんなで、今でもフィリピンは陸軍の軍歌がボルテスVのテーマソングだったり、実写版としてボルテスVレガシーなんてのを作成し、そこに込められた原作リスペクトが凄く高評価だったりと、フィリピン人にとってのソウルアニメになっているっぽい。

 

 やろうと思えば、アニメひとつで国を動かすこともできるっていう実例よね。

 今の世の中だからこそ、こういう形で世間に訴えるような作品が欲しいと思ってしまうんだよなぁ……。

 長浜ロマンロボのひとつである超電磁ロボ コン・バトラーV。

 今でも高く評価する人がいるアニメなんだけど、俺ちゃんはそこまで高く評価してないんよね。

 

 ……というか、後番組のボルテスⅤ闘将ダイモスの方が、シナリオ含めて好きって感じ。

 コン・バトラーVも個々のキャラクターで評価できる部分はあるんだけど、全体を通すと、ちょっとイマイチに感じてしまう。

 

 その辺の事情は、以前にも語った前番組との関係も大きいかな?

 勇者ライディーンで降板させられたプリンス・シャーキンの設定を、ほぼ丸パクリしたような前半のライバル大将軍ガルーダ。

 シャーキンよりも更に武人肌で正々堂々としたキャラクターであり、側近に女性型アンドロイドがいるなど違いも大きいんだけど、やはりというか二番煎じ感は否めない。

 

 しかも、それだけではなくコン・バトラーVには、他にも従来作品に酷似した設定やポジションのキャラクターが散見されるんよね……。

 主人公達も含めて仲間は5人で、それぞれがマシンを持っており、これが合体するとコン・バトラーVになる。

 しかも、ちゃんと描写的にも破綻のない合体で、玩具で再現可能というのは大きい……のだけれど、問題はメンバー構成。

 熱血漢の主人公に、クールでニヒルな二枚目に、巨漢と女子と、それから最年少の小学生。

 もっと分かりやすく身も蓋もないない言い方をすると、熱血漢、ニヒル、女子、デブ、ガキという構成。

 

 これ、そのまんま、タツノコアニメのガッチャマンのメンバー構成なんよね……。

 しかも、同じようなメンバー構成の特撮番組であるゴレンジャーがコン・バトラーVの前年から放映されていて、もはや三番煎じも良いところ。

 ヒーローチームのキャラ設定としては、ガッチガチのステレオタイプだったというね。

 

 更に、後半から登場する敵の大ボス女帝ジャネラには二人の幹部がいるんだけど、こいつらの設定もステレオタイプから抜け切れていない。

 力押しを好む代わりに頭は回らない巨漢と、力はない代わりに狡賢い参謀。

 これが我儘な女帝の下で働いているって……これまた、ヤッターマン等に代表されるタツノコアニメに出て来る三悪人の構成と同じ物。

 

 ここまで様々なアニメのテンプレと同じ物が並んでいると、なんというか俺ちゃんとしては、それらが雑音みたいになって純粋に楽しめなかったという感じ。

 まあ、それでも個々のエピソードには、ロボットアニメとしてはなかなか燃える展開もあり、そこは評価したいんだけど……肝心の最終回が、かなりブッ飛びものだった。

 

 最終回、ヤケクソになって地球を破壊しようとする女帝ジャネラに対し、コン・バトラーVはな~んにもできないまま。

 すると、宇宙からギリシア神話のゼウス神みたいな男が現れて、謎のパワーでジャネラの地球破壊を阻止し、ジャネラだけ犬死させてしまう。

 どうやら、この男はキャンベル星(敵の異星人の母星)の平和解放軍の指導者とかで、今後はキャンベル星も平和路線に移行するから、もう侵略はしないよ(ついでに同胞の過激派が侵略してごめんね!)と言って去って行く……。

 

 なんというか、もう話がどうにもならなくなったから、最後に神様登場させて風呂敷を強引に畳むというデウスエクスマキナを、こうも露骨にやられてしまったのは残念で仕方がないんだよねぇ……。

 そもそもコン・バトラーVって割と現実の科学に沿った設定も散見されていて、装甲素材もなんとか合金とかじゃなくてサーメットという現実にある素材(だからなのか、よく装甲をブチ抜かれる)だし、エネルギー源も超電磁エネルギーという、電磁誘導などの既存の理論の延長にありそうなものを使っている。

 これは前作のライディーンがオカルト路線だったところをPTAに不当に叩かれて路線変更を余儀なくされたからこそ、コン・バトラーVを人類の科学技術の粋を集めて作ったロボットということにしたんだろうけれど……その最後が、謎のオカルトパワーとしか思えない力を神のような見た目の男が発揮し、主役の出番を食って終了というのはあんまりだ。

 

 まあ、これらの点は主にスポンサーサイドからの要求などもあってのことで、長浜監督も悪意を以てこんな設定にしたわけではないと思いたいね。

 実際、監督からしても消化不良というか、納得行かない点もあったようで……それらの反省や、より自分の作りたいものを作ろうという想いから、次作のボルテスⅤで大きく変化して行くんだけどね。