東大の五月祭左翼連中の過激な行動で中止に追い込まれて久しいけど、一部の東大生はこれに対して訴訟を起こすと言っているみたいね。

 

 うん、俺ちゃんも、その行動は大事だと思うし、その怒りは極めて真っ当なものだと思うよ。

 自分の自由を主張するために、他人の権利をブチ壊す行為は認めてはならないし、なにより憲法で保障されている国民の自由や権利ってのも、公共の福祉に反しない限り……要するに、他人の権利を侵害したり他人の自由を奪ったりしない限りっていう条件付き。

 

 それに対し、今回の爆破予告なんてのは、完全に憲法違反の行為なのよ。

 同時に刑法に抵触する犯罪でもあるわけで、やろうと思えば様々な罪で相手を追い詰めることができるはずなの……普通ならね。

 

 でも、日本って国は不思議とそれができねぇのよ。

 まずは警察自体が怠慢で、あいつらポイント稼ぎできる犯罪しか優先して取り締まろうとしないもんだから、今回の爆破予告みたいな捜査や犯人逮捕に時間を要する案件に対しては腰が重い。

 実際に死人が出ない限り、こういう犯罪では禄に動いてくれないことが殆どなの。

 

 それでも、なんとか警察の尻を叩いて捜査してもらい、そして犯人が逮捕されたとしても……今度は司法が正しく裁くとも限らないから、そこの壁も凄く厚い。

 死人が出ていない上に初犯であれば、まずそこまで大きな罪とはされないし、民事で勝訴して賠償金を請求しても、相手が払う意思を見せずに踏み倒せばそれでおしまい。

 その後の請求や強制執行をするには再び被害を受けた側が弁護士雇って動かねばならず、それでも相手が文無しだったら、マジで泣き寝入りするしかない。

 実際、それを狙って賠償金払う立場になったら財産を全て売り払った上で宝石にでも変えて隠しちゃうのもいるらしいから、いくらでも逃げられてしまうんよね。

 

 何も失うものがない無敵の人が相手だと、残念だけど今の日本じゃ勝ち目はない。

 悪いやつが悪いことやったもん勝ちの世の中で、それでも治安が崩壊していないのは、無敵の人の割合自体が今の日本の中でマイノリティであるからに過ぎない。

 

 今後、そういう人が更に増えたら、日本はもっとヤバい国になるだろうね。

 いきなりリアル北斗の拳みたいな状態にはならんと思うけど、暴対法ができる以前の暴力団が幅を利かせていたような時代に逆戻りするかもしれない。

 他人の権利を平気で侵害できる暴力が野放しにされ、それをまともに取り締まることもできず、逮捕したところで適切に処罰もされなければ被害者も救済されないとか……政治と司法に関しては、日本ってのはG7の中でも唯一、中世レベルで思考停止している国なんだよなぁ……。

 アギト超能力戦争に関して、前回は『何も知らないで視れば面白いけど、知っている人ほどガッカリかも……』ということを書いたけれど……あの後、様々な個所で賛否両論な意見を見て、改めてあの映画は脚本家の井上敏樹氏について知らんと何も理解できんということを再確認させられたわ。

 とにかく、色々なところで井上氏の思想が強く前に出過ぎていて、本来なら大事に扱われるべきところが大事に扱われていないのがとても残念だね。

 

 そもそも井上氏は、仏教思想の中でも万物流転とか諸行無常なんかの賛美思想が凄く強いのね。

 だから、そういう思想が全面に出ちゃうと、物事が悪い方に改変されたり滅びの美学みたいなやつを押し付けられたりしてしまう。

 

 まあ、それだけなら特に問題視はされないんだけど……今回の映画で一番やっちゃいけなかったのは、やっぱり木野薫のキャラ改変。

 TV版のアギト本編では、木野薫ことアナザーアギトって、厄介オタクへのメタファーみたいな存在でもあった。

 仮面ライダー1号とか仮面ライダーシンみたいな姿をしたライダーが、『アギトは俺一人でいい!(仮面ライダーは1号以外不要だ!)』みたいなこと言って、主人公たちに襲い掛かって来るわけだからね。

 完全に懐古厨へのメタファーであって、井上氏はそういう過去に強い思い入れをする人を殊更嫌う。

 だから、木野薫は改心したところで役割が終わり……4号ライダーということで、ライダーマン的な要素も含んでいたことも相俟って、完全に和解した後に亡くなり物語から退場した。

 

 でも、25年の歳月により、井上氏の中で嫌いなオタク像ってのも変わったんだろうね。

 そして井上氏は、物語の人物を自分が主張したい内容を表現するための器としてしか見ていない節がある。

 アギトの物語における器がまさしく木野薫という人物で……だからこそ、あんな歪んだ形にされてしまったのだろうけれど、これってキャラクターの私物化でもあるからね。

 仮面ライダーみたいな看板を掲げている作品では、あまりやって欲しくはない話。

 キャラ設定を破壊するくらいなら、新しくキャラクターを作れと言いたい。

 

 加えて、そもそも井上氏はウルトラマンのような勧善懲悪物語も嫌いみたいだから、そうなるとヒーロー性そのものへの否定さえも込めてしまう。

 昔に回帰するのが嫌いで、ヒーローらしいヒーローも大嫌いだから……自分の思想をゴリ押すためなら、キャラの設定も世界観の設定も好き勝手に変えるわ、ヒーローらしい王道展開は拒否するわで、そんな人が何かの続編なんて作ろうものなら、もうメチャクチャにされるわな。


 実際、あの映画にあったギャグシーンだって、昔ながらのアギトの雰囲気を敢えて痛々しく映るように仕組んでいるといえなくもない。

 つまりはファンサービスのふりをしたオタクへの皮肉であって、少なくとも同窓会映画でやっていいことじゃないよね、やっぱり。

 

 結局、こういった人をガッカリさせたり怒らせたりするような表現方法で何かを伝えようとするのって、俺ちゃんは良くないと思うんよなぁ……。

 アニメでは既にガンダムの富野監督エヴァの庵野監督がやっている手法でもあって、しかも彼らはそれを『いやぁ、あれは失敗でした』みたいに言っていることもある。

 今後、何かの折に書くこともあるとは思うけど、そういう方法って巻き込み事故のように純粋なファンをガッカリさせたり、おかしなオタクを増やしたりすることがあるから、危険な毒物を公共の電波で垂れ流していることにも成り兼ねないんだよねぇ。

 それでいて、作品を通して本当に説教かましたい相手には何も刺さらないし伝わらないから、総合的に見てマイナスの要素の方が大きい。

 

 確かに、世の中ってのは移り変わって行くものだけど、同時に変えちゃいけないものってのもある。

 それを、単に変わるか、変わらないかという結果だけに囚われ、変わらないものは全て悪みたいな扱いにするのは、俺ちゃんとしては本末転倒だと思っている。

 そして、物語を通して受け手が見たい変化というのは、良い意味での変化……即ち、成長なんだよね。

 反対に悪い意味での変化……無駄にキャラクターが殺されたり、説明もなくやさぐれたり、前作の最終回を全否定するような形で世界が絶望に向かったりするのは、誰も期待なんかしていない。

 

 でも、そういう変化の方を好んでしまうのが、井上敏樹という男なのよね。

 本人は滅びの美学を気取っているのかもしれんけど、そういうのは無常観の曲解にしか見えないなぁ……。

 彼の作品の中で滅びて行く者に、古典作品にあるようなしみじみとした無常観を感じられないのは、やっぱりそういうところの差異にあるのかもしれない。

 以前、首藤剛志氏の話を扱った時もそうだったけど……ガッカリさせるやり方で何かを伝えようとするってのは、俺ちゃんはあんまり好きになれないねぇ……。

 アギトをリアタイで視聴していた世代として、俺ちゃんも見に行きましたわ。

 総評としては……まあ、事前情報抜きにして、フィルターもかけずに純粋なSF特撮映画として見れば、かなり面白いとは思ったねぇ。

 でも、その反面……この映画を見た人達の中には、確実に過去の思い出を破壊され、悲しい気持ちにさせられた人がいるのも事実なんよね。

 そのことを考えてしまうと、俺ちゃんは手放しで喜べないし、大絶賛もできなくなる。

 

 この映画、翔一君(アギト)氷川さん(G3-XもといG7)が大好きな人は、ノイズも気にせず大絶賛できる内容かな?

 それに対して葦原さん(ギルス)木野さん(アナザーアギト)が好きな人や、TV版のアギトの物語そのものを大事にしている人にとっては、腹が立つのも仕方がないって感じ。

 加えて、『この映画はプロジェクトG4の続編っぽいから、ああいう展開でも問題ない!』と豪語する人がいるのが、分断と対立を更に悪化させている印象。

 

 これ、例えばギルスのファンに正面向かって言える人がいたら、俺ちゃんはそいつがサイコパスじゃないかと疑うよ?

 だって、それって『俺が面白いと思った作品のために、お前の推しがナレ死するの我慢しろよw』とか『お前の思い出補正なんかどうでもいいんだよ! 俺が楽しいんだから文句言うなよクソアンチ!』なんて言われているようなもんだからね。

 自分が大事にしているものが壊されて悲しんでいる人に向かって言うような言葉ではないし、G4の続編であろうとなかろうと、もっと誰もが納得できる展開はあったはずで……それができない、それをしないことの免罪符としてG4の映画を持ち出して欲しくもないと思ってしまう。

 

 というか、そもそも特定のキャラクターにとってバッドエンドにしかならん世界線を敢えて拾ってきた意味は何なんだろう?

 単に制作サイドの都合なのだとしたら、それこそファンの気持ちってやつを何も理解できていないことになる。

 

 どんなライダー……というか、どんなヒーローにもファンがいて、その存在やキャラクター性を大事にしているからこそ、片方を持ち上げるために片方が蔑ろにされたり曲解されたりすれば、頭に来る人もいるのは間違いない。

 それに対して『自分の推しが活躍していれば後はどうでもいいから、俺にとっての外野はグチャグチャ言うな!』みたいなことを言えば、分断と対立しか進まないよねぇ……。

 

 他人の大事にしているものを大事にできない人が制作に関わり、他人の大事にしているものが壊されても自分の大事にしているものが無事ならそれで構わないどころか、悲しんだり残念に思ったりしている人の考えそのものを批判して、傷口に塩を塗るような厄介オタクばかり増えているのか?

 

 フィルター抜きにして見れば、映画そのものは満点ではないけれどクソだとも思わない。

 ギルスファンの方々には申し訳ないけれど、ここで感情的に『あんなの0点のクソ映画だ!』と叫んでしまったら、それは自分達の傷口に塩を塗ってきた厄介オタクどもと五十歩百歩。

 実際、戦闘シーンはカッコ良かったし、ゆうちゃみの出演に色々言う人もいるっぽいけど……彼女、この映画のために昭和作品まで含めたライダーシリーズを可能な限り視聴しまくり、撮影期間中に骨折しても頑張ったらしいから、それを考えると役者さん達は十分に頑張っていたし、ライダーファンに対して寄り添おう、理解しようという姿勢もあって好印象。

 

 でも、常に嫌な思いをするファンがいる前提で作られている側面を知ってしまうと……結局のところ、東映は仮面ライダーフォーゼの映画を作った辺りから本質的には何も変わっていない(その最たるものが復コアやジオディケ)ということだし、今後もこういうやり方で作品を世に出して行くのだと思うと、どうにも手放しで喜べねぇっすな……。

 その辺は、過去のヒーローを大事にしつつ今のヒーローも上手く動かしている円谷プロなんかと比べると、かなり残念に思えてしまうんだよねぇ……。