色々あって、もうかなり時間が経ってしまったのだけれど、以前にここでネタに上げた首藤剛志氏の作品について、まだ完璧に語り切れてないから語っておく。

 今回と、後ひとつでだいたい終わるから、それまでちょっとお付き合い願いたい。

 

 この人はモラトリアムからの脱却思想が強く、それを押し付けるためには強引なバッドエンド夢と希望の全否定も辞さない脚本家ってのは以前に伝えた通り。

 では、そんな人が、今も一部のファンから根強い人気を誇り、当時の腐女子達がBL同人誌まで作るに至った作品に関わっていたと言ったら信じるかい?

 しかも、作品のテーマは少年の成長と宇宙進出における人類の進化だ。

 ガンダムのニュータイプみたいな存在になる形で、普通の少年が成長して行く物語なんだ。

 

 その作品の名は、戦国魔神ゴーショーグン。

 スーパーロボット大戦なんかでは、一時期「宇宙スペースNo.1(笑)」と揶揄されたこともあるけれど、これはあくまでゲームでのネタ。

 実際のゴーショーグンはスパイアクションSF要素を取り入れた、当時としてはかなりお洒落な番組だった。

 しかも、主人公の少年はロボットのパイロットではなく、ゴーショーグンを操縦するのは脛に傷を持った戦闘や諜報のスペシャリスト達。

 謎めいた指揮官の下、クールでニヒルな大人達が、地球と少年の未来を守るために悪の組織と戦うのだ。

 

 これだけでも中々に面白そうな設定なんだけど、短い話数の中にも少年の成長はしっかりと描写されていて……最初はとんでもないクソガキだったのが、次第に大自然の心を感じ取れるようになり、新人類として進化して行くにつれて、生きとし生ける者だけでなくロボットでさえも友達であると言い切れるほどに、平和的で友好的で、誰に対しても分け隔てなく接することのできる、素晴らしいマインドの持ち主になって行く。

 また、悪の組織の幹部達も、なんやかんやあって最終決戦後は組織を見限り、それぞれが理想のため、世界のため、愛する妻のため(笑)に頑張るようになり、実に清々しい気分で物語は終幕する。

 

 ここまで読んだ人は、この作品の何がダメなのかと思うだろうね。

 そう……アニメのゴーショーグンだけ見れば、別にダメなところは殆どない。

 バルディオスみたいな悲惨なバッドエンドでもないし、夢を全否定して終わりでもなく、むしろ無限に広がる宇宙へ少年の夢を乗せて出発するというエンディングなのだから。

 

 問題なのは、その素晴らしいエンディングを、後の小説版で首藤氏が全否定したことに尽きるのよ。

 小説版のゴーショーグンは、所謂アニメの後日談で、ロボットのパイロットであったグッドサンダーチームのメンバーと、敵の幹部であった3人がメインのキャラクターとなり、なんやかんやで和解した状態で様々な星を旅して行く。

 彼らを旅に導いたのは、アニメの中でもキーとなった超エネルギービムラーで、これはゴーショーグンのエネルギー源としてだけでなく、主人公の少年を新人類へと進化させた存在でもある。

 ゲッターロボのゲッター線のように、意思を持ったエネルギーなわけだ。

 

 そのビムラーが、ゴーショーグンもなければ子どもでもない6人の大人を、あちこち連れ回す理由はなんだろうか?

 最後の最後まで謎な感じだったのだけれど、6人はとある星を訪れた際、ビムラーは全能の神でもなければ人類を導く正しき存在でもなく、それらは全て単なるエゴでしかないことに気づいてしまう。

 ビムラーは人類を導くと豪語する一方で、自分が過去に創造し、そして進化させるには不適格だと判断した生命体……人語を喋る動物達を、失敗作として辺境の惑星に閉じ込めていたという驚愕の事実が明らかに!

 まあ、思えば人類への試練とか言って悪の組織を最後までのさばらせておき、新人類に進化した少年が親玉を倒すところまで、もしかすると出来レースだったのかもしれない。

 確かに少年は新人類へと進化し、人類の宇宙進出の未来は開かれたけれど……それまでに、悪の組織の行いで苦しんだり、あるいは戦いに巻き込まれて死んだりした人もいるわけで、それらを乗り越えるのが試練でしたと言われても、被害者や遺族からすれば堪ったもんじゃない。

 結局、自分が好きな生命体を依怙贔屓し、試練と称して多くの人間が不幸になるのを敢えて見逃し、最後に必要な存在だけ搔っ攫って行くやり方に傲慢な選民思想の片鱗を感じ取った6人は、そこで完全にビムラーと決別する。

 

 アニメの爽快な終わり方からは、想像もできない終幕だ。

 あれだけ夢のエネルギーとアニメの中で語られていた存在が、その実態は悪の組織の親玉と大差ないくらいのエゴの塊。

 ここに来て、ファンの夢は完全に打ち砕かれる。

 夢と希望をぶっ壊して、強引にゴーショーグンから卒業させようとする。

 首藤氏のやり方は一貫して変わらないんだろうけれど、それにしてもアニメ本編でやれなかったからといって、後付けの小説でブチ壊してくるなんてあんまりだ。

 

 とにかく、徹底して、大きなお友達をガッカリさせることで強引にサブカルから卒業させたい。

 その思想だけは一貫していた人なんだろうねぇ……。

 物凄く綺麗に終わった作品でさえ、後出しジャンケンでこういうことしてくるから、やっぱ俺ちゃんは、この人を好きになれないわ……。

 先月、完結した後からも色々と考察されたり批判されたりしている作品だけど、やっぱ俺ちゃんも、この作品に関してだけは、しっかりと自分で意見言わんとあかんと思ったわ。

 あれこれ考えていたら、既に終わってから2週間以上も経過してしまっていたんだけどね……。

 

 この話、な~んも知らない人に要約すると、主に発達面で色々なハンディを抱えた女の子が都会に出たことで悪意に飲み込まれ、夜の世界に入ってしまうという物語。

 そこで出会った女の人も、見た目は綺麗だけど精神的にも家庭的にも色々と抱えていて、やっぱり健全ではない状態。

 そんな二人が自分の居場所を探してもがき続けるんだけど、もがけばもがくほどドツボに嵌ったり悪手を選択してしまったりして、最後は悲惨な死を遂げる……。

 実際、みいちゃんが『殺される』ことは既に作品の冒頭で明かされているから、物語の大半は『なんで彼女が死なないといけなかったのか』を考えるための要素になる。

 

 結論から言ってしまうと、この物語は社会の悪意を凝縮したような作品だね。

 みいちゃんは親ガチャにも祖母ガチャにも外れたせいで周囲の理解も得られなければ、差し伸べられた救いの手さえも勘違いから跳ね除けてしまうという、なんとも救いようのない子に育ってしまう。

 そんな環境で育ってきたから性格も最悪、善悪の概念も崩壊、友人を犯罪に巻き込むなど、碌なことをしない。

 しかも、それらの行為を作中に登場する悪人達と比べ、無自覚無意識に悪だとも思わずやってしまう。

 良く言えばド天然なんだけど、彼女に関わったせいで巻き込まれた人間からしたら、障碍者だからって責任追及できないのはおかしいし、みいちゃんなんか死んで当然……と、思う人間が出てきても不思議ではない状況が作り上げられて行く

 その一方で、みいちゃんを救おうとする山田さんも、自分の心の中の問題を解決できないままでは簡単にキャパオーバーし、最終的に二人は決別してしまう。

 そして、最後にみいちゃんは心無い半グレヤンキーどもに玩具にされ、実母の保身のために山中に遺棄され、本人も自分の置かれた状況が良く分かっていないまま死んでしまう。

 また、山田さんも後に漫画家としてそこそこの成功を収めるものの、同居している母親からは最後まで存在を認めてもらえることもなく、不摂生と過食症で死んでしまう。

 

 はっきり言って、この作品に救いはない。

 どうすれば良かったのか、答えを明示してくれているわけでもない。

 だから、そこから先は読者が考えて行かなければならないんだけど……残念なことに、そういう読み方をする人が、圧倒的に少なかったのがこの作品の不幸なのかもしれない。

 

 単に『キャラクターが死ぬまでの一ヶ月』という点だけにフォーカスした人達は、この作品をサスペンスとして楽しもうとした結果、裏切られたと叫んでアンチに回った。

 障碍者を扱っているというだけで、最後はハッピーエンドになると信じていた人達は、誰も救われない展開に差別だなんだと憤慨した。

 社会に何らかの不満を持っている人達は、半グレを始めとした社会悪が断罪されないことに対して怒りを覚えた。

 

 でもねぇ……言っちゃ悪いけど、これってそういう作品じゃないんだよね。

 ただ、ひたすらに社会の悪意を描写しただけで、それを垣間見て何を考えるのかは、それぞれが考えろって話なのよ。

 一部では作者の態度や編集者の言動が問題にされているけれど、それは作品そのものを貶める理由とは分けて考えなければいけないしね。

 

 なにより、俺ちゃんが一番不気味に感じたのは、この作品に対する意見として『私なら、みいちゃんみたいな人にこんな可哀想なことできない!』って意見が殆ど皆無だったこと。

 酷い話だとは思っていても、みいちゃん自身も純粋な善人でもないわけで、そうなるとどうしても無意識下にある『まあ、こんなやつ死んでもいいか……』という冷たい無関心が刺激される。

 その上で、それでも助けたいと声を上げたところで、『じゃあ、お前が勝手にやれよ』と周囲から無視される未来しかリアルでは存在しないから、誰も表立って声を上げようとしない。

 

 そういう点も含めて、やっぱりあの物語にあった悪意だけは底なしのリアルだったのよ。

 読者は神の視点で物語に触れることができるから、あれこれ外野から好き勝手に言える。

 でも、実際に漫画と同じことが起きていたとしても、情報は断片的にしか得られないから、事前の知識がない人は想像力を働かせることさえもできないまま、『障碍者の水商売女が死んだところで俺には関係ねーよ』と鼻で笑ってしまえるのが恐ろしい。

 

 死んでもいい人間なんていないってことは、誰だって頭の中じゃ理解しているつもりなんだ。

 それでも、気が付くと自分も社会に蔓延る悪意の一部になって、無意識下で弱者を追い詰めているかもしれない。

 そのことに気づいた人達は、たぶん本気で真剣に考え始めるだろうね。

 その一方で、人間は図星を突かれるのが何よりも嫌いな生き物だから……読めば読むほどに『お前達、傍観者にも責任があるんだぞ!』と言われているような気になって、それに耐えられない人は自分の心を守るため、『そもそも、こんな作品を世に出すのがいけないんじゃ!!』と作者を叩くことで保身に回る。

 

 今の世の中が、万事に万事こんな状況だからねぇ……。

 アニメ化の話もあったみたいだけど、これは流れて正解かもしれない。

 この物語を『正しく』読める人が少ない以上、碌な結果にならないと思うから。

 悪いのは漫画そのものっていうよりも、社会の方なんだよね。

 だから、漫画で描かれている悪意がリアルであればある程に、この作品もリアルでも悪いようにしかされないってのが、なんともいえぬ皮肉なのよ。

 既に放映開始されてから1ヶ月経つわけだけど……いや、これマジで面白いわ。

 公開当初はご当地ヒーローみたいな外見に面食らったけど、そのデザイン含めてちゃんと劇中で理由は説明されているし、なにより製作者サイドがちゃんとこの手のバトル物の王道をしっかりと理解しているって感じ。

 

 基本は主人公が角獣という巨大なモンスターの力を借りて戦うんだけど、それだけじゃないんだよね。

 角獣を自分に憑依させたり、角獣と角獣を合体させたりする流れは遊戯王のようなカードゲームバトルをを彷彿とさせるし、必ずしも主人公のパートナーである角獣だけがメインで戦うわけでもなければ、場合によっては最強でもないっていうのは、サトシが主人公だった頃のアニポケを想起させる流れ。

 

 オメガホーンのデザインも、帽子を後ろに回して変身するところ含めて、ポケモントレーナーを意識している部分があるのも間違いない。

 それでいて、ポケモンのパクリみたいにはなっておらず、独特の世界観を構築しているのは見事よな。

 

 また、前作のギャバンインフィニティのキャラクター達が登場し、謎解き部分や伏線回収は主に彼らが中心にやってくれるのもポイント高い。

 その分だけ、オメガホーンの主人公達は自分達の戦いや冒険に集中できるのよね。

 ギャバンは初回こそ大絶賛したけれど、最後に向かうにつれて先走り過ぎの詰め込み過ぎが目立ってしまった印象で、どうにも俺ちゃんの中では微妙な評価で終わってしまっていたから……こういう形で活躍させてくれるのも面白いとは思うねぇ。

 

 唯一の懸念点は、玩具のバリエーションがあまり広くないことかな?

 合体ジョイントの数が限られているらしく、なんでもかんでも全部乗せみたいな合体や、意外な組み合わせによる合体なんていうのを、そこまで自由に楽しめないっぽい。

 こればっかりは、玩具販促番組としては致命的かもしれんね。

 でも、帽子を回して変身できるっていう設定から、子ども達はなりきり遊びをしやすいだろうから、その辺は子ども向け番組として正解ってことかな?

 変身玩具を買っても実際に変身できるわけじゃないけど、帽子を回すというアクションを加えるだけで、遊ぶ時の雰囲気が変わるからね。

 単に装置を起動させるだけで、子どもが真似しやすい変身ポーズなんてのも久しく見なくなっていたから、そういう点でも良作だと思うわ。