「遺言書」 | ぴか☆『人生ほの字組』~This Is My Life~

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「靖国神社」境内の「社頭掲示板」には国の為に尊い命を捧げられた英霊の方々の遺書や書簡を紹介。
今月はセレベス島で「法務死」された相馬竹三郎命(享年29才)の「遺言書」


本文を神社のHPより引用します。

(前略)

我が身は既に陛下に捧げ奉りし身にて、何等惜しくありませんが
戦ひ終りました今日、国の為にたてた勲が仇となり、刑場の露と
消えるのは残念至極です。只皇国の復興と郷里に遺せる祖父弟妹
の身上が案ぜられるのみです。今後の兄上様の前途は多岐多難なるも
祖父弟妹と御互に扶け合ひ、又夫婦仲良く暮されん事を望みます。
今となっては何も思ひ残す事もありません。

(中略)

では兄弟よ、長い間の生涯本当に御世話様になりました。一足先
に永遠の庭へ心静かに旅立ちます。元気にて御身体を大切に、
さよなら。

昭和二十三年二月十七日


                                      相馬竹三郎

大日本帝國万歳
天皇陛下万歳
大アジア万歳 

 遺詠

国破れ捕はれの身となりつれど 天地の神に恥づる事なし 


(原文のまま)

相馬氏は青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身。
終戦後、セレベス島(インドネシア中部、ボルネオ島の東方の島スラウェシ島の別称)の
メナドにて「法務死」されました。
(「法務死」とは刑死者や収監中死亡者の死因を指す用語。
専ら第二次世界大戦後の東京裁判を始めとした戦犯裁判による日本人刑死者に対して
用いられ、他の用例は見られない。同様の用法をされる語に「殉難死」がある。)

政府も昭和28年に連合国側のいう戦争犯罪人でなく、
戦没者として恩給などの支給を行いました。
(靖国神社では、多くの軍神とともに祖国に尽くした戦陣の勇者としてその霊を弔っています)

「自分は無実」そう言いたかったことでしょう。

だけど、国や家族、私達の為に「不当な判決」を受け入れて、遠くに旅立った多くの方々。

未だに誤解されているのは、日本人として申し訳ない・・・・。


靖国神社が発行している「英霊の言ノ葉」を読んだことがあります。
そこには国や家族、大切な人を思う純粋な気持ちがありのままに書かれていました。

戦時中の「検閲」で綺麗事を書いている・・・・と言う向きもあるのもまた事実。
だけど、真実の言葉は人の心を打ってやまない。
多くの参拝者が立ち止まり読んでいるのは、思いを感じられるからのではないのでしょうか。


私の実母がお世話になっている方のお父様は、戦争で亡くなられました。

お母様が健康な時は8月15日の「全国戦没者追悼式」に参列していたようだけど、

数年前にご主人の元へ行かれたそうです。


お世話になっている方もここ数年、体調が思わしくありませんしょぼん

私を見てもわからなくて・・・・ショックでしたね。


その方の分まで、桜の時期に靖国へ参拝しようと思ってます。

自分の体力が続く限り・・・・。


(おことわり)


今回の記事は某SNSに投稿したものに加筆したものです。

また、新しく「戦後70年を考えよう」項目を作成しましたパソコン