【Pi坊の日常】たくさんの思い出が詰まった前の自宅の引き渡し | Pi坊日記ブログ『舞うごつよかばい』

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作曲家・シンガーソングライター・ゴスペル指導・ヴォイストレーナー・食いしん坊
音楽家のPi坊による日々のあれこれや、音楽のお仕事についてのエッセイブログです。


週末は、引っ越す前の自宅の引き渡しでした。

前日の夜から布団を持って泊まり込んで掃除し、残った荷物を引きあげ、ようやく無事に終了。

いやあ、引っ越しって本当に大変ですね。

おかげでコロナを忘れるほど忙しく楽しく過ごせてもらったけれど、出来ればもう一生したくない。

 

お世話になった不動産屋さんと話していたら、とにかく今は飲食店の退去が毎日のように入り、後を絶たないそうな。

「落ち着けば元に戻るんだろうけど、ホントどうしよう・・」

ニュースでは聞いてはいても、身近でそういう話を耳にすると、ああ、これが現実なんだなと感じます。

お互いまたご縁があったらと、励まし合って笑顔で別れました。

 

ちょうど1年近く前、一緒に住んでいたルームメイトの友人が亡くなって、今回の引っ越しではずいぶん遺品を整理しました。

手に取るもの、目に入るもの、正直な気持ちを言えば全部取っておきたい。

けれど、次の家にとてもそんなスペースは確保できないから、一つ一つ「ありがとね」という気持ちで手放してきました。

遺品整理は、言ってみれば二度目の葬儀。

故人を想ったり、偲んだり、感謝したり、出会い直したり。

そして、ああしとけば良かったという後悔も、また会いたいなという寂しさも、またぶり返したりしました。

今までの人生では感じなかったけれど、一周忌というのは少々苦しいものなのですね。

どうしても去年の今頃は元気に生きてて、去年の今頃はこんなものを作って食べて、去年の今頃にこんな話して、去年の今頃に救急車で・・・と、走馬灯のように思い出してしまいます。

 

でも、深く関わったからこそ味わうものであり、関わりがなければ何も生みません。

ちょうど1年前にもきっと書いたけれど、日々の暮らしを共にし、臨終から立ち合い、最後の見送りまで出来たことは、友人として、人として、やはり幸せだったと思います。

 

引っ越す前は、「思い出がありすぎて苦しい」と思っていました。

どうしても行けないコンビニとか、通りたくない道とか、やはりあったんですね。

そこへ行くと、つい思い出しちゃっていけない。

でも、引っ越したら引っ越したで、今度は「一緒に生きた痕跡が全くない」から寂しいとも思ってしまう。

なんとまあ、人間とは勝手だわ。そして、弱いことったら、ね。

 

色々と気付きの5月でした。

僕の大好きなPi坊の曲で【またもや】という曲があって(まさかの自分の曲(笑))、その歌詞に、

《手をとって行く季節の中で またもや始まるだけ》

というのがあります。

そうそう、別の場所だろうが、あなたの存在は常にそこに在って、手をとって生きていくことには変わりないんだよな。

ほっほう、僕、良いこと言ってる!(笑)

 

わかっちゃあいるけど出来ない、出来ないからこそ歌になって、声に出したくなるのね。

はてさて、これから新しい場所で、どんな歌が出来るかな。

 

5月は、誰にとっても忘れられない大変な月になりましたね。

皆さま、本当にお疲れ様でした。

6月は、少しでも穏やかに、さらに未来が見える毎日でありますように。