今年の5月に、16年間ルームシェアしていた親友が突然この世を去り、バタバタと葬儀をし、バタバタとミュージカルの音楽を作り、バタバタと49日のお見送りをし、バタバタとゴスペルを歌っていたら、あっという間に初盆を迎えました。
仏壇に手を合わせる習慣がはじまり、お花屋さんで花を買う機会が増え、でも自炊はなんだかやる気を無くしちゃったり・・・と、生活は大きく大きく変わりましたが、そんな中でも涙で明け暮れずにいられるのは、こうして仕事を与えられているからだと思っています。
歌う仲間たちに、支えてくれる友人たちに、そして音楽の仕事に、改めて感謝をする毎日です。
初盆は、水入らずで過ごしました。
初めて作った、きゅうりとナスの馬・・・ああ、なんて不格好なの。(汗)
これも、毎年作れば上手になるかなぁ。
きゅうりの馬は、俊足の馬とされています。
この世に早く里帰りをしてほしいと願って作るものですが、この馬はとても俊足には見えない。
そして、ナスの馬は鈍足です。
故人に、ゆっくりのんびりと帰ってほしいとの願いがこめられています。
“お盆に故人が里帰りする”という感覚は、今までの人生で感じることはありませんでした。
感じないから、別に嬉しくもなければ、寂しくもなかった。
けれど、こうして共に暮らした親友を見送ると、やはりお盆は「嬉しい」ものであり、「おかえり」と言いたくなるのですね。
「そうだそうだ、好きだった物でも作ろうかねぇ。」
「この機に、仏壇の拭き掃除をしなきゃねぇ。」
なんて、思っちゃう。
息子が里帰りする時の親の気持ちって、こういうものなのかな。
そして、15日の夜は、送り火こそ火事の心配があるのでしなかったけれど、やはり「寂しい」気持ちになりました。
「そんな急いで帰らないで、もうちょっといなよ~。」
って、つい独り言を言っちゃうくらい。
小さいナスの馬を撫でながら、
「お土産をたんまり準備したけど、持っていけるかな?」
なんて余計な心配までしてしまいました。
お盆とは良いものです。
こうして、愛しさを再確認したり、故人と出会い直したり、話したり出来る。
「里帰りする」という動詞を受け入れられたら、お盆以外の日常では「もうここにいないのだ」と認識出来る。
事実を明らかに見るということ、それすなわち「諦める」ということが出来る。
諸行無常、色即是空空即是色の世界で必ずやってくる人との別れを諦めるためには、こういう行事が必要なのだと思いました。
亡くなった友人から、こうして学びをいただく毎日。
形が変わっても一緒に生きているということに他ならないのかもしれませんね。
悲しいや寂しいだけではありません。
ちゃんとそこに、幸せがあります。