小椋佳「もういいかい」 | 樅の木カフェテラス

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 1月20日、小椋佳さんがラストアルバムと決めた「もういいかい」が発表されました。
(私には宅配受取が難しく、ヘルパー事業所に頼んだため、昨日やっとパソコンに取り込んで聴くことが出来たのですが・・・本当に、待ち遠しかった〜!)
 
 アルバムを聴き始めて第一声・・・キー、低っ!
 それから聴き続けていくに、昔から小椋さんはご自身の歌をボソボソと表現されていたけれども、決してそんなふうには思えなかった訳で。
 だけれども、このアルバムでは、言葉が途切れ途切れになっていて・・・以前なら、こんな作り方や歌い方はしなかっただろうと。それ故の「引退」なのでしょうが・・・。
 こういう歌たちなら、いっそピアノ1台とかギター1本とかのほうがバランスが取れたのではないかと思います。周りがラストアルバムだからと頑張っちゃったのかしら。
 
 あと、敢えて言いますが、ここ数年の小椋さんの歌は、ファンを自負する私でも自分では歌う気持ちになれない歌が多い。下手っぴでも、それなりに歌いたいと、私は願っているのに、です。
 小椋さんにとって、歌は日記のようなものだそうで、それは重々承知しています。そうした歌詞の背景も十分に察することが出来るのですが、最近は言葉の選び方からして、あまりにも「地」過ぎるのです。いわば「小椋節」。
 
 誰に合わせることもなく、それでいて誰もが口ずさみたくなる・・・それが小椋佳さんの持ち味だった筈です。
 今回のアルバムでは唯一「ラピスラズリの涙」が、それに当たりましょうか。
 
 ちょうど今度の火曜日、夜8時からNHK総合で放送される歌番組に、小椋さんが若い世代を連れて出演されるとのこと。林部智史さんという方ですが、その時に歌われる歌がもし「ラピスラズリの涙」だったらいいなと思っています。
 ただ、昨今のNHKは歌のことを「パフォーマンス」と呼んでいます。あれには私はかなりな違和感を感じます。歌は文学でしょ〜!と叫びたくなる。そこを心配してます。小椋さんを前にしてもそう言うのだろうかとね。