山腹を利用して建てられたハトシェプスト女王葬祭殿
ラムセス三世葬祭殿
のお次は、ここハトシェプスト女王葬祭殿。
ハトシェプスト女王は、トトメス二世の奥さま。トトメス二世の死後、
幼い義理の息子トトメス三世の摂政になったが、後に、自身がファラオ( 王 )に。
事実上、エジプト初の女王の登場となります。
ハトシェプスト女王政権はと言いますと、軍事遠征よりも平和を重んじる方だったようで、
交易( 特にプント )を盛んに行うことにより、国力を繁栄させたそうです。
ところが、ハトシェプスト女王の王位を継承したトトメス三世は、女王の死後
女王が建造したものすべてを破壊し、一切の記録を排除しようとしました。
これは、義理の息子であるトトメス三世に実権を握らせず
蚊帳の外扱いをした女王への復讐だと言われているそうです。
それにしても、木っ端微塵に破壊してしまうだなんて……。
一国を担う王ともあろう人の行動とは思えないっ ヽ(`Д´)ノ
男の嫉妬ほど手を焼くものはないな……。
ハトシェプスト女王のなれそめはこの辺にして、早速葬祭殿の話へと移ります。
ピラミッドが建築されていた古王国時代の葬祭殿は、王が死後に来世で再生復活を執り行った場所でした。
新王国時代になると、その役割を失い、王の記念碑として建造。
王位継承の正当性や王が行った功績をレリーフなどに描いたそうです。
ゲートから葬祭殿入り口までは、かな~り遠い。
んなもんで、入り口まではこの車で移動するんです。
前車両は屋根付ですが、後車両は屋根なし。駆け足で屋根付の席を確保すべし!
ハトシェプスト女王葬祭殿辺りは、日差しが強いので要注意。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、テラスがあることで有名です。
ところで、目の前に見える坂の右手で、1997年に悲しい出来事が起こりました。
イスラム過激派組織による銃乱射で、日本人10名を含む観光客58人が死亡した事件です。
テロについて知ったのは、恥ずかしながらエジプトに来てから。
無宗教徒の私、もっと言うと、それまで何も知らずに生きてきた私に言う資格なんてないけれど、
憎しみは憎しみしか生まないし、他人を傷つけなければ得られない自尊心なんてただのエゴにすぎない。
この先、同じような争いが起こらないことを祈ると同時に、亡くなられた方にご冥福をお祈り申し上げます。
復旧作業中なのか、像の前はロープがひかれてありました。
トトメス三世に大破された割に、レリーフの保存状態が良いなと思いきや、描かれているのは神様。
さすがのトトメスさんも、神様には手を出せませんでしたか!←かなり嫌っている
ハトシェプスト女王は、女性でありながら男装して指揮をとっていたそうです。
髭をつけていたそうですよー。、
本来ならここにもレリーフが描かれていたのでしょうが、とにかく削られていました……。
だれの遺跡だったかしら……失念。近くまで行こうとしたけれど、暑くて暑くて
復元しているのか、テロの悲劇が結果だったか……失念。すんません。
ハトシェプスト女王葬祭殿の想い出はこれにて終了。彼の写真で締めたいと思います。
( 左 )ハトシェプスト女王葬祭殿 ( 右 )現在のハトシェプスト女王葬祭殿
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■ハトシェプスト女王葬祭殿
入場料:20L.E.( 学生は半額 )
OPEN:6:00~17:00