こちらが、ツタンカーメン王の墓入り口です。この他、約60の墓が発掘されています。
今日の日程はハードだ~と改めて実感。
メムノンの巨像 に始まり、 ラムセス三世葬祭殿 、ハトシェプスト女王葬祭殿 と
時間なしでは廻れない遺跡ばかり。極めつけが、ここ王家の墓。
すべて午前中に見終えようとするスケジュールは、かなり強引すぎるよ。
王家の墓に来たときの体力といったら、無心で歩く、無心で観るような状態。
今しか見られないという気持ちがその場に立たせてた、って感じですた。
エジプトの冬を、エジプトの日差しを嘗めちゃ~いけません!
そんなわけで、写真の点数が少ないのですが
王家の谷のレポートを綴っていこうと思います。
王家の谷が造られた時代は、新王国時代。
この頃になると、王の象徴的建造物のピラミッドは造られなくなり、
「 亡き王の家 」であった葬祭殿は、ピラミッドの付属施設から、王の記念碑的建造物へと変化します。
そして、王たちの墓はというと、ここ王家の谷の周辺に造られることになるわけです。
今まで、ピラミッドのような大規模なものを造らせておいたのに、
なんでまた、こんな平凡な谷間に造ることになったのかといいますと、
一つは、谷の上にあるピラミッド型をしたイル・クルン山が太陽神ラーを象徴しているからという説、
もう一つは、盗難を防ぐため( 墓泥棒と19世紀のヨーロッパ人にかっ去られたが… )という説があるそうだ。
王家の谷が造られた背景はこんなとこ。
次に、見学についてだけど、
チケット1枚につき、3つの墓しか見られません。
現在公開されているのは、60数個分の100数個です。
そしてそして、ツタンカーメン王のお墓は別料金なの!
なにそれ!?ってとこだけど、このお金が発掘費用の足しになるのならと納得しよう。
さてさて、早速王家の谷へ潜入~。
ハトシェプスト女王葬祭殿同様、こちらも専用車で移動。
んだけど、わざわざ車で移動するほどの距離でもない。
ラムセス六世がどんな人なのかも知らないけれど……、とにかくこのお墓のレリーフは立派なんだって。
墓内は、撮影禁止なもんで、写真はありませーん。
ちなみに、60数個のお墓が発掘されていますが、どれ一つとして同じお墓はないそうです。
神殿のように、外界にさらされていないせいか、慕内のレリーフはどこもカラフル。
保存状態が抜群に良いです。
■ツタンカーメン王の墓
自由時間になり、別料金を支払いツタンカーメン王の墓へ行ってみることに。
ツタンカーメン王が現世で有名になったのは、ここ王家の谷にあるツタンカーメン王の墓から
豪華な副葬品が発掘されたから。
当時のツタンカーメン王は、16歳のときに王に即位したけれど、
その権威は、ラムセス二世に及ばないらしい。
それなのに、これだけの副食品が埋葬されたとなると、
権威のあった王たちの墓に眠る副葬品はいかほどであったか……想像できない。
食あたりが未だ治らないわたしたち。
■おまけ
( 左 )王家の谷 ( 右 )王家の谷
■王家の谷
入場料:ツタンカーメン王の墓を除くどれでも3つの墓で1枚 55L.E.
OPEN:6:00~19:00( 冬季7:00~17:00 )