☆ポンペイの柱 | ENDLESS STORY

ポンペイの柱

400本あった柱も今じゃ1本を残すのみ。そのわけとは一体……?




エジプト旅行6日目の朝。
アレキサンドリア駅からバスで町の中心部へ向かうと、小高い丘にぽつんと1本の柱が見えてきます。
これが、ポンペイの柱。

ポンペイの柱
ポンペイの柱

ポンペイの柱との名称で認知されているこの柱。
あまりに巨大な柱を墓と捉えて、ローマ将軍ポンペイウスのものだと見解したことから
ポンペイの柱と名づけられたそうです。

ところがところが、後々の調査活動により
ローマ皇帝ディアクレティアヌがアレクサンドリアの守護神セラピスに捧げて造った
セラピス寺院の一部だと考えられるようになりました。

当時の人にしてみれば、後世に名を残すことが生きた証であったろうに
なんて皮肉な話なんだ……ヽ(;´Д`)ノ
いまさら名前を変えるなんてできないしね。無念じゃのぉ (ノД`)

その当時は、世界の中でも驚異的な広さと豪華さを誇る寺院と称され、
1本しか残っていない柱も、400本近く建っていたり、
大理石の壁と高価な貴金属で内装が施されていたそうな。
ポンペイの柱

ところが391年、ローマ皇帝の指示でセラピス寺院は破壊されてしまいます。
ローマ皇帝が造ったのに、なんでまた壊すわけさ??

それは、ローマ皇帝に反発するイスラム教徒の暴動が原因。
イスラム教徒がところかまわずセラピス寺院を破壊するもんだから、
ローマ皇帝は、暴動を鎮圧するためにエジプトにある全てのものを破壊するよう命じた……

というわけです。


これは何度も書いたことだけど、宗教間の争いごとって血も涙もない。
創造と破壊を繰り返すその様は、現代の国家争いと同じなのかしら。
育った場所が違えば考え方も違う。1つの固定観念に執着することなく広角的に物事を捉えられる反面、
度が過ぎると争いごとが起こるだなんて悲しすぎる (*´Д`)=з
ポンペイの柱

長いエジプトの歴史の中でも、近代文化に該当するここアレキサンドリアからは、
華やかさと人々の惑乱した感情が入り混じった雰囲気が
約2000年の時を経て伝わってくるのでした。