ノンフィクションスタッフ紹介ブログその20 ~上筒井の唄~ その② | PIGCのブログ

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<前回のつづき> 前回はこちら → http://ameblo.jp/pigc/entry-11271152499.html  



松元さんの入学した高校の陸上部の練習は目をむくほどハードでした。勉強しなくていいうえに奨学金までもらえることに気をよくし、安易に入学を決めてしまったことをとても後悔しました。




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陸上をやめるのなら学校もやめなければならないと言われたことで流石に退部は断念しましたが、その後わずかな時間でも部活動から距離を置いておきたいという思いから、陸上部員であれば入らなければならない学生寮の生活からだけは解放してほしいと先生にお願いし続けたところ、なんとか自宅から通う許しを得ることが出来ました。




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部活がイヤで仕方がなかったと松元さん




しかしおおかたの試練がそうであるように、避けてしまえばそれに変わる別の試練が待ち受けています。

下校に利用するバス停の最終発車時刻は午後7時すぎで、松元さんを含む陸上部員たちは毎日7時まで活動しています。最終バスが出発するギリギリ近くまで練習したあと松元さんはわずかなあいだで片づけを済ませ、制服に着替え、走って最終バスを捕らえなければなりませんでした。



通常歩いて30分もかかる暗い田舎道を怯えながら、ときに泣きながら全力疾走でバスを追いかけました。先輩方に厳しく指導されるほか、辛く長い練習がやっと終わったと思ったら、今度は無事に家に帰ることが出来るか否かの大勝負に挑まなければならないという試練が待ち受けていたのです。このバスを逃せばさらに1時間の道のりを歩いて自宅に帰らなければなりませんでした。松元さんは結果的に、文字通り、寮生活を送るよりも厳しい道を選んでしまったのです。




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あのときはマイッタと松元さん



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しかしこのことは松元さんの俊足にさらに磨きをかけました。思いもよらぬ、自らの鬼の追い込みによってめきめきと実力をつけた松元さんは地域の新人大会(400m種目)で優勝を繰り返し、2年生に上がってからは県大会でぶっちぎりの優勝、さらにその勢いはとどまらず中国地方大会でも優勝を飾りました。



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たまたま残していた昭和44年の新聞は、県大会で松元(旧姓:中原)さんの出したタイムで当時の県高校記録が大幅に更新されたこと、中国五県(鳥取・島根・岡山・広島・山口)の選手権記録保持者が松元さんにゴール手前でとらえられ、抜かれてしまったことを伝えています。 ※片山(女)は倉敷翠松高校の前身である片山女子高校のこと。




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高校卒業後、数多の大学陸上部からの誘いを蹴って就職。岡山にある三菱系列の企業で4年間働きました。陸上で名をはせた松元さんはその後36回のお見合いをこなすもいずれの男性とも結婚せず、お父様の定年退職をきっかけに幼少時代に過ごした神戸の上筒井に戻ってきました。




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上筒井に帰ってきた松元さんはすぐに、松元さんのお兄さんとその奥さんとの3人で商売を始めました。神戸でとりおこなわれた37回目のお見合いで今のご主人と一緒になることが決まっていましたが、結婚しても何らかの仕事に従事したかったらしく、お兄さん主導で立ち上げるラーメン店を兄嫁さんと一緒に手伝うことになったそうです。


お店の名前をきいて私は驚きました。

それはかつて私の愛した、むかし三宮のサンチカにあった名店「三馬力」のことでした。




つづく