ノンフィクションスタッフ紹介ブログその20の① ~上筒井の唄~  | PIGCのブログ

PIGCのブログ

PIGCのこと、ゴルフのこと、プライベートも。

みなさんこんにちは。いつもポートアイランドゴルフ倶楽部をご利用いただき誠にありがとうございます。支配人こと根本寝坊之助食佐衛門でございます。



このブログを鮫島さんに引き継いでからはこまめに更新され、一層面白いものなっているので私としても非常にありがたく、毎度たのしみにしている次第です。とはいえ 、特に誰からも評価されていない「スタッフ紹介ブログ」シリーズ は最初から担当している私の方で今後も更新し続けてゆかなければなりませぬ。読みづらいところもあると存じますが、よろしくお付き合いくださいませ。




          ◆




さて今回はPIGC歴5年、早朝時間帯(AM 5:00 ~ AM 10:00)に勤務する打席スタッフの“マツモトキヨエ” こと松元清江さん(50代後半)を紹介します。



PIGCのブログ



松元さんを紹介するにあたって本人にインタビューを試みたのですが、色々なこと面白おかしく長時間にわたりしゃべり続けてくれたので、すべてを一度にお伝えできそうにありません。録音したものを全部書き起こすとかなりの量になります。大胆に要約して(それでも多いと思うので)何回かに分けてゆっくり紹介させていただこうと考えています。




          ◆




神戸生まれの岡山育ち。

ひどく明るいお人柄です。このキャラクターは子供のころから全然変わってないと松元さん神戸市は中央区の上筒井あたりで少女時代を過ごし、月謝が安かったのをきっかけにクラシックバレエの教室に10年ほど通っていました。松元さんがかつてバレエに取り組んでいたと聞いて驚きを隠せないのは私だけではないはずです




PIGCのブログ
当時を再現する松元さん



中学二年生も終わりかけのころ、お父様の急な転勤にともなって岡山県倉敷市に引っ越さなければならなくなりました。

ちょうどこのころから神戸市の公立高校への進学が、一回勝負の入学試験よりも、内申書の評価に重きを置くような制度に切り替わったところだったらしく(この制度は後にすぐまた変更されたとか)、その新制度のもとで彼女の進む高校もほぼ決まっていました。

それにも関わらず、松元さんは神戸を離れなければならなくなってしまいました。




          ◆




内申書重視の制度に切り替わったことをいいことに、バレエ練習に没頭し、勉強などまったくしていなかった松元さんは引っ越しした先の中学校ですっかり落ちこぼれてしまいました。学生はすべからく勉強に励むべしという転校先の雰囲気になじめず、そこでは風変わりな子として見られていたようです。

勉強が出来なくても、運動ができたり、上手に絵が描けたり、楽器の演奏がうまいなどといったそれぞれの生徒の多様な才能をすすんで認めてくれる風潮が、かつて彼女の 通った上筒井の学校(筒井台中学校)にはあったと振り返ります。

引っ越したあとしばらくは、昔かわいがってもらった先生や友達のことが恋しくて仕方ありませんでした。



PIGCのブログ
当時をなつかしむ松元さん



しかし、入学してしばらくたったところで風向きが変わります。松元さんの足の速さが高校陸上部顧問の先生の目にとまったのです。バレエはもうやっていないけれど、気がついたら幼少のころから鍛えてきた松元さんの足腰は驚く ほど発達していて、転校した先の中学の生徒のなかで走るのが一番、それも断トツで、速くなっていたのです。



  「けったいな走り方やけど、めっちゃ速いヤツがおる」



バレエを原型とした、飛び跳ねるような変わった走り方ではありましたが、そのスピードは群を抜いていて、地域で話題になったほどでした。そしてあのフィギュアスケートの高橋大輔選手などを輩出しているスポーツの名門校、倉敷翠松(すいしょう)高校の陸上部の特待生として奨学金をもらいながら通学することになったのです。




PIGCのブログ
当時を思い出してときどき目に涙を浮かべる松元さん



期待を背負って入学した倉敷翠松高校では、あまりの部活の厳しさに顧問の先生に退部を申し出たこともありましたが、陸上の特待生として入学してきたのだから部活をやめるなら学校もやめなければならないと言われ、結局3年間がんばり通しました。

(このとき奨学金に目がくらんで安易に進学をきめたことを悔やみ、お金は人を狂わすこわいものだという学びを得たとか・・・)




つづく