みなさん、こんにちは。
盛夏の候、ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。
あらゆる方面で温度が高くなっている支配人です。
今日ご紹介するのは、板垣みどりさん。
いつもニコニコ板垣さんです。
神戸市北区生まれの北区育ち。
彼女とは実家が近いので、よく地元の話で盛り上がります。
北区生まれだったら、板垣さんが誕生したのは私も知っている病院かな?
『誰も知らない産婦人科です。』 と板垣さんは答えます。
誰も知らない産婦人科。
誰も知らない先生と、誰も知らない助産婦さん。
誰も知らない医療器具に、誰も知らない待合室。
でも私は知っています。
ローソンの上の右手です(笑)
もう即答しました。
地元同士はイメージで繋がります(笑)
・
・
・
幼少のころの板垣さんは内気で、激しい人見知りでした。
幼稚園に通うのがひどく嫌で、登園拒否をしていました。
観念してとうとう親御さんに連れて行かれても、靴箱の中で籠城(ろうじょう)していたとか。
この現実逃避にむけられたエネルギーは大したものです。
何かにこれくらい徹底して対抗する力を持ち得る子供は、そう多くいないでしょう。
彼女は大きな力を持っています。
地元の人間のことはよく分かります(笑)
御父様は塾の先生だったとか。
うむ。
私も通っていました。特に思い出深い塾があります。
地元の、それはそれは恐ろしい塾。
私は中学生時代、そこに週3日~4日通っていました。
“ケツバット” と称されたお仕置きで有名な塾でした。
宿題はおろか、指定されたテストを受けなければ、バットでお尻を叩かれるほか、
とんでもない体罰が待っています(笑)
仮に 「恐怖塾」 とでもしておきましょう。
北区の塾だったら私も知っているかも。
どちらの塾の先生だったの?と私は聞きます。
「誰も知らない塾です。」 と板垣さんは答えます。
誰も知らない塾。
誰も知らない先生と、誰も知らない教室。
誰も知らない黒板に、誰も知らない生徒たち。
「ひょっとして恐怖塾だなんて言わないでね~(笑)」
実は私、恐怖塾でボコボコにされた経験があります。
お名前を思い出すことは出来ませんが、それはそれは恐ろしい英語の先生がいらっしゃいました。
当時茶髪で、派手なシャツをまとい、胸元から金のネックレスをチラつかせているような残念な中学生
は、その先生に、見事なフックパンチをお見舞いいただいたことがあります(笑)
理由は考えずとも、その背景からすると当たり前の流れでした。
・
・
・
・
・
「恐怖塾です。私の父は恐怖塾の英語の先生でした。」
・
・
・
・
・
ほっほー。偶然やね~。
私も通ってたのよ。
そうかそうか~。
・・・とはいかない(笑)
板垣先生
地元同士はイメージで繋がります(汗)
驚くというよりも、頭の中が白くなりました。
スタッフ紹介ブログどころではない(笑)
事実は小説よりも奇なりとはよく聞きますが・・・
なんだこりゃ。
世の中は何もかも繋がっているんだぞ。
・
・
・
・
・
板垣さんは鈴蘭台中学時代に、ちょっとだけテニス部と、ちょっとだけ卓球部に身を置き、
兵庫商業高校時代はちょっとだけソフトボールを頑張っていたそうです(笑)
なんやねん(笑)
つづく
