ノンフィクションスタッフ紹介その14の① ~繋がっている~ | PIGCのブログ

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みなさん、こんにちは。


盛夏の候、ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。


あらゆる方面で温度が高くなっている支配人です。



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今日ご紹介するのは、板垣みどりさん。


いつもニコニコ板垣さんです。



神戸市北区生まれの北区育ち。


彼女とは実家が近いので、よく地元の話で盛り上がります。



北区生まれだったら、板垣さんが誕生したのは私も知っている病院かな?


『誰も知らない産婦人科です。』 と板垣さんは答えます。



誰も知らない産婦人科。



誰も知らない先生と、誰も知らない助産婦さん。


誰も知らない医療器具に、誰も知らない待合室。



でも私は知っています。


ローソンの上の右手です(笑)


もう即答しました。



地元同士はイメージで繋がります(笑)



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幼少のころの板垣さんは内気で、激しい人見知りでした。


幼稚園に通うのがひどく嫌で、登園拒否をしていました。


観念してとうとう親御さんに連れて行かれても、靴箱の中で籠城(ろうじょう)していたとか。


この現実逃避にむけられたエネルギーは大したものです。


何かにこれくらい徹底して対抗する力を持ち得る子供は、そう多くいないでしょう。


彼女は大きな力を持っています。


地元の人間のことはよく分かります(笑)




御父様は塾の先生だったとか。



うむ。



私も通っていました。特に思い出深い塾があります。


地元の、それはそれは恐ろしい塾。


私は中学生時代、そこに週3日~4日通っていました。


“ケツバット” と称されたお仕置きで有名な塾でした。


宿題はおろか、指定されたテストを受けなければ、バットでお尻を叩かれるほか、


とんでもない体罰が待っています(笑)


仮に 「恐怖塾」 とでもしておきましょう。



北区の塾だったら私も知っているかも。


どちらの塾の先生だったの?と私は聞きます。


「誰も知らない塾です。」 と板垣さんは答えます。



誰も知らない塾。



誰も知らない先生と、誰も知らない教室。


誰も知らない黒板に、誰も知らない生徒たち。



「ひょっとして恐怖塾だなんて言わないでね~(笑)」



実は私、恐怖塾でボコボコにされた経験があります。


お名前を思い出すことは出来ませんが、それはそれは恐ろしい英語の先生がいらっしゃいました。


当時茶髪で、派手なシャツをまとい、胸元から金のネックレスをチラつかせているような残念な中学生


は、その先生に、見事なフックパンチをお見舞いいただいたことがあります(笑)


理由は考えずとも、その背景からすると当たり前の流れでした。



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「恐怖塾です。私の父は恐怖塾の英語の先生でした。」



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ほっほー。偶然やね~。


私も通ってたのよ。


そうかそうか~。


・・・とはいかない(笑)





  板垣先生





地元同士はイメージで繋がります(汗)



驚くというよりも、頭の中が白くなりました。



スタッフ紹介ブログどころではない(笑)



事実は小説よりも奇なりとはよく聞きますが・・・



なんだこりゃ。



世の中は何もかも繋がっているんだぞ。



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板垣さんは鈴蘭台中学時代に、ちょっとだけテニス部と、ちょっとだけ卓球部に身を置き、


兵庫商業高校時代はちょっとだけソフトボールを頑張っていたそうです(笑)



なんやねん(笑)



                          


                                       つづく