極私的洋楽生活 -14ページ目
 
 
ビートルズは洋楽への扉を開いてくれた
そしてツェッペリンにすぐたどりついた
それは同時に音楽を通じて
世界を見たい気持ちを増幅させた
あらゆる音楽に対して
自分がいかに無知であるかを知った
 
 
音楽を買うのは金がかかる
金を持てない中坊の欲求を満たしてくれるのは
やっぱりいつもラジオだった
FM、AMを問わず
ロックやポップスと名のつく番組は
片っぱしから聴いていたように思う
音楽に対して雑食になったのは
ラジオの影響が大きいのだ、きっと
 
 
ボブ・ウェルチを知ったのもラジオだった
ふりーどうっどまっくをだったいしたひとの
はじめてのひっと
それがこのエボニー・アイズだった
 

どこか寂しげで
日本人に向いていたメロディーだったのだろう
当時のポップスはそんな曲が多かったし
ヒットしたのだと思う
しかし胡散臭そうなオヤジだった
ジャケのせいかな
PARISという素晴らしいジョブを知るのは
中年になってからだった
 
 
 
 
 
 
from album [French Kiss]
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1980年、自分は高校生だった
小学生の時ビートルズで洋楽に目覚め
中学生でハードロックとプログレを通過し
この頃はパンク~ニューウェイブ
そして何でも聴いていた
 
 
ナザレスというバンドは知っていたが
興味がなかった
当時既に過去のアルバムが
1500円の廉価盤で売られており
ジャケのアートもB級っぽくて
多分大したことない、と思っていた
 
 
「心は冷たく」
 

ラジオから飛び込んできた
この曲に耳を奪われた
アコースティックなイントロの切ないメロディ
いきなりのダミ声のボーカル
徐々に盛り上がる曲調
しまいには大胆な女性コーラスまで
ナザレスというバンドと
ダン・マッカファーティーという
個性的ボーカルの名が
自分に刻まれた瞬間だった
 
 
 
 
from album [Malice in Wonderland]
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昔、AORという音楽ジャンルがあった
アダルト・オリエンテッド・ロックの略
日本だけのジャンル
「大人向けの耳触りよい音楽」という独自解釈
ボズ・スキャッグスや
ボビー・コールドウェルを筆頭に
完璧な演奏と曲構成でアーバンな曲調なら
すべてAORだった
 
 
1983年
もうAORには終わりが近づいていた
六本木のダンスフロアに
この曲が流れた時は切ない感じがした
終焉を予感させるようなどこか刹那的な
チューンだったせいかも知れない
 

フィニス・ヘンダーソンが
米国のコメディアンである事は知らなかった
切ない感じは
「道化」の裏返しだったのだろうか?
 

今でもこの曲を聴くとどこか切なくなる
 
 
 
 
 
 
 
from album [ Finis ]
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