QUIET SUN / MAINSTREAM (1975) | 極私的洋楽生活

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豚袋でございます。ちょっとまた間が空いてしまいました。

今年も残すところ10日ほどとなりました。ようやく寒さも本格化して冬らしく感じるようになったこの頃ですね。今年は新譜をまったくと言っていいほど聴いていないので、年末に恒例の「ベスト・アワード」記事が書けないような気がします。まぁ何となく総括する記事が書けるといいかな、とは思っているのですが、新譜という切り口では出来ないかもしれません。(ごめんねgakさん^^;)新譜を聴いていないのは今年は過去の再発見に夢中になっていたので、興味を失っていたのが正直なところ。また、自分がアナログ所有していたものの買い直しや、手放してしまったアナログやCDが再度CDで欲しくなったりが多かったので、60年代後半~70年代をよく聴いた年でありました。今回取り上げますクワイエット・サンの「メインストリーム」もそうした中で買い直しをした一枚でありました。

クワイエット・サンは日本での知名度はかなり低いと思います。ただ、ロキシー・ミュージック関連で紐解いていくと、必ずと言っていいほど名前が出てくるはずです。簡単に言うとロキシーのギタリスト、フィル・マンザネラのほぼソロプロジェクトみたいなものです。ただし、私はロキシーから紐解いた訳でなく、プログレの名盤としての評価を聞いたから、という理由からこのアルバムを購入しました。中学~高校に上がるあたりだったように思います。ロキシーの音の文脈を求めこのアルバムを聴くとそれは大きな肩透かしとなりますので注意が必要です。当時プログレが好きだった自分にはこのアルバムは大きなカタルシスを与えてくれたものでした。

まず最初に興味を持ったのはジャケットのアートワークでした。あきらかにエッフェル塔だろうと思われる塔が見渡せるヨーロッパの町並みをありえない大きさで照らし出す、フロイド的に言えば「でぶでよろよろの太陽」。輝きは鈍そうでまるで太陽というより、地球と双子の関係にあるような惑星にも思える。ジャケットに象徴されるような不穏で終末感漂うイメージにぴったりのバンド名「静寂の太陽」。謎めいたアートワークは購買の衝動を掻き立てずにはおれませんでした。


そしてこの一曲でこのアルバムの評価は決まったようなものでした。バンド名とは対照的なスペイン語のタイトル「熱き太陽」。ピアノのループしていくリフに始まり、ほどなくまるでジェット気流のようにウネり、歪み、交差していくディストーション&ディレイ炸裂のギター。そこにリズムが少しずつ絡み、静から動へそしてまた静へのダイナミックな展開。独自の緊張感漂うジャズロック的インプロビゼーションは、まるでクリムゾンの「レッド」的なものを彷彿とさせる。フリーキーに絡むマンザネラのギターは素晴らしく、伸び伸びとした歪んだ音色が次に来る音への不穏なムードを予感させる、そしてその世界観は人工的で美しい。このアルバムの全体を象徴するプロローグかつメインコンテンツとなっており、いっぺんでこのアルバムに引き込まれました。

しかし感心するのは(プログレの方たちはほぼ皆そうなのですが)その演奏力の高さです。後述しますが、流石にもともとのバンドメンバーの集まりであるせいでしょうか、フリーキーに暴れまくるマンザネラのギターをまるで次に何がくるのか分っていたかのようにリズムの定型に収めてしまう息のぴったりさ加減がスゴイと思います。無秩序であるように見えながら確実に計算されているように思われても、実はかなりアナログ的なシンクロが命だったりするそのパフォーマンスの高さがあるがゆえに、こうした変拍子もあり高速演奏や展開の細かい転換といった変化めまぐるしい世界観が作り出せるのでしょう。攻撃的ながらも調和された高度なアンサンブル世界。その卓越した演奏力は「ママは小惑星で、パパが小さい汚れがすぐ落ちる台所用品だった」というこのアルバム一奇妙な(笑)タイトルの曲でもいかんなく発揮されています。


音に関しては好きでよく聴いたのですが、詳しくクワイエット・サンの事を実は私も知りませんでした。今回ちょっと調べてみて意外とすごいメンバーだったのでびっくりしました。クワイエット・サンはもともと1970年に結成。メンバーはフィル・マンザネラを中心に、ビル・マコーミック(B)、デイブ・ジャレット(KEY)、チャールズ・ヘイワード(Dr)の4人からなるプログレ・ジャズロックバンドでした。商業的な成功がないまま、マンザネラのロキシー加入を期に72年に解散。マコーミックはマッチング・モールへ、ヘイワードはディス・ヒートへ、ジャレットは数学教師へとそれぞれの道を歩むことになったようです。(行き先が皆すごいバンドに行ってるのでびっくり^^)

しかしながら、75年にマンザネラがロキシーの休業の時間を使ってファースト・ソロ「ダイアモンド・ヘッド」の作成に取りかかることとなり、その機会に乗じて念願のクワイエット・サン時代の曲を世に出したいとの強い思いからスタジオにメンバーを再度呼び寄せて完成させたのが、この彼らの唯一のアルバムである「メインストリーム」であったようです。そしてブライアン・イーノも参加。イーノがプログレ人脈との接点をもった最初でもありました。結果としてこのアルバムは絶賛され、セールス的にも成功を収めたようです。その後、マンザネラはソロ活動を活発化。(ブログお仲間のSYDさんが大好きな)801バンドプロジェクトでもクワイエット・サンの曲も演奏するなどしました。そして78年にふたたびロキシーの活動再開にあわせバンドに戻りました。他のメンバーは前出のバンドを中心に音楽活動を展開しているようです。

ロキシーはフェリーやイーノのミュージシャン・エゴが非常に強いバンドだったと思います。マンザネラの音楽性はロキシーの枠で収まらないほどその幅が広かったのに、エゴを抑えてやっていた事の証でもあったソロワーク。そしてそのルーツでもあるクワイエット・サン。成功を収めたからこそやっと世にオリジンを問う事ができるチャンス、しかもそのためだけに仲間を再度集めたマンザネラの男気。美談ではありませんか!そしてその産物たる「メインストリーム」はプログレ界の奇跡的な名盤なのではないかと思います。

最後にこのアルバムのラストソングで締めたいと思います。それでは、また。