THE STALIN | 極私的洋楽生活
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豚袋でございます。お久しぶりでございます。
本日は実に久々の休みで死んだように寝ていました。留守中は皆様よりいろいろと温かいコメントをいただきまして本当にありがとうございますm(_ _)m 徐々にコメントのお返しと皆様の所へのお邪魔をさせていただきたいと思います。まだ仕事は忙しいのですが、なんとかピークは超えた感じです。さて、久々のアップは以前よりトライしたかった新書庫を立ち上げたいと思います。題して「邦楽生活」。まずはこの書庫の定義からはじめさせていただきます。

 

日本の音楽のメジャーの歴史をかいつまんでいうと、60年代後半~70年前半はグループサウンズとフォークの時代。70年代後半~80年代中盤はニューミュージックと歌謡ロック。80年代後半~90年代前半のバンドブームを経て90年代後半のJ-POP全盛。そして00年以降の劇的な多様化と、まずこんな感じでしょう。その歴史のほとんどは「欧米のパクリ」をベースとした発展形に支えられていたような気がします。

 

 

豚は邦楽には本当に疎いです。最近は興味すらありません。はっきり言って洋楽至上主義者です。一番の大きな理由は「土着的なルーツを持たない音楽を日本人が歌う事に説得力を感じない事」だと思います。(当然といえば当然で、タイムリーなネタでいうと、ジェロとかいう黒人演歌歌手を我々がイロモノとしてとらえている事実を思えば明白な事だと思います。)邦楽のヒットチャートはその真似事の集合体=「欧米のパクリ」との思いが未だに強く、どうしても興味を惹かれません。

 

 

ただ、ルーツを持たない事と、オリジナリティがない事は全く別な話です。日本のミュージシャンにもオリジナリティに溢れる素晴らしい方々は沢山います。その多くの方々は「日本的なものと融合」し新たな質感を持った物として輝かせる力を持っております。また、時代的に早過ぎたり日の目を見なかったけれども今、その凄さが伝説と化している人々もいます。そうした人々にとっては「洋楽」「邦楽」というカテゴライズなどまったく意味のないことなんだろうと思います。

 

 

そんなわけで「洋楽好きが選ぶ邦楽」って視野が広いし共感するポイントが絶対ヒットチャートとは違うので、ちょっとマニアックというのが持論です。この書庫では「洋楽至上主義」と「基本マイナー好き」に裏うちされた豚袋的視野に立って、大好きだった日本のミュージシャンやバンドを取り上げて行きたいと思います。

 

 

 

 

前置きが長くなってしまいましたが、第一回目はジャパニーズハードコアの元祖「ザ・スターリン」を取り上げたいと思います。(SYDさんとのお約束通り^^)

 

 

 

 

まずは1曲聴いて下さい。幻のデビューアルバム「トラッシュ」から「電動コケシ」
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そう、スターリンは超変態バンドです。とにかくヤバイ。尋常じゃない危なさが真骨頂です。

 

 

豚がスターリンに興味を持ったのは映画「爆裂都市(バースト・シティ)」を見てからでした。1982年公開の石井聰亙監督(「狂い咲きサンダーロード」で有名)のカルト映画。映画の内容は割愛しますが、この映画には当時のそうそうたるミュージシャンが出演しておりました。陣内孝則率いるロッカーズ(当時の陣内は今からは想像できないくらいカッコよかった)、大江慎也率いるルースターズ、町田町蔵(INUというパンクバンドをやっていた頃の作家・町田康)、大御所・泉谷しげる等が暴れまわる映画。そんな中で圧倒的に存在感を出していたのは遠藤ミチロウ率いるこのザ・スターリンでした。

 

 

映画の中でもやっていましたが、豚の臓物や頭を観客に投げつけるパフォーマンスはもちろん、自慰行為ははするわ観客にフェ○チ○させるわ物は壊すわの過激ライブは話題づくり以上に鮮烈な衝撃を与えておりました。

 

 

彼らの凄いところはその過激なパフォーマンス以上に、歌詞の言葉が過激かつ文学的であり、音に関しても非常に攻撃的で独特の世界観を持っていたことに他ならないでしょう。

 

 

メジャーデビューアルバム「STOP JAP」から2曲どうぞ
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「ロマンチスト」

「Stop Jap」

 

 

拡声器パフォーマンスは彼らが元祖では、と思います。椎名林檎がPVで拡声器&ナース姿だったのを見て、絶対彼女はスターリンへのオマージュを捧げていると思ったのは私だけでしょうか?ロマンチスト歌詞中のフレーズ「吐き気がするほど、ロマンチックだぜ」は日本音楽史上に残る名文だと思います。ここまで相反する意味性を対称した素晴らしい文句を他に知りません。

 

 

ミチロウのオリジナリティは「徹底した日本語歌詞」にもあったと思います。外来語的な単語以外の英語を使いませんでした。センテンスとしての英語を一切排除した中で、日本語的な語感を生かしてひねった「言葉遊び」的なリズム感は唯一無比ではないかと思います。

 

 

まだこのアルバムまではセンテンスと意味性としての歌詞が濃く残っていましたが、次のアルバム以降はそのセンテンスすら放棄し始め、より単語のぶった切りと再構築的な歌詞になっていき(それはまるでウィリアム・S・バロウズの文章の紡ぎ方のようだと思います)音は重く沈鬱でハードコア色を強めていきます。

 

 

彼らの3rdアルバム「虫」から
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「天プラ」

「365~先天性労働者」

 

 

「テンプラ お前だ カラッポ」

 

 

三つの言葉のみという究極かつミニマムな歌詞は凄すぎます。しかしその3語で何に対して怒っているのかがシンプルに比喩されている。紛れもなく天才だと思います。また、先天性労働者の歌詞はマルクスの「共産党宣言」から引用しており、このあたりのインテリゲンチャな部分と、肉体労働で鍛え上げられた余計なものを削ぎ落とした肉体とのギャップがまた魅力のひとつでもありました。

 

 

このアルバムジャケットは丸尾末広(ガロの漫画等で有名でした)の手によるイラストで当時はピクチャーレコードで発売されておりました。どことなく幻想怪奇かつレトロな作風が当時の時代的な気分をよくあらわしておりました。(レトロな感覚がもてはやされはじめた時代でした。)

 

 

ザ・スターリンはメンバーの出入りが激しく、安定しておりませんでした。(余談ですが、ブランキー・ジェット・シティーのドラマーの中村達也もこのバンドでたたいておりました。)活動もいろいろ多岐に渡ってきた頃合で、もう過激なパフォーマンスをし続ける事を拒絶したかのようにラストアルバムを出しました。

 

 

ラストアルバム「フィッシュ・イン」から
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「バイバイ・ニーチェ」

(動画は解散後のビデオ・スターリン時代のものです)

 

 

このアルバムは今まで一曲3分をほとんど越える事のなかったスターリンのアルバムの中では異質でサイケともプログレとも言われそうな疾走感のない、沈鬱な世界が展開されておりもはやスターリンはパンクではなくなったと言われたアルバムです。唯一この曲、バイバイ・ニーチェが「らしい」感じでしょうか。天プラと同じように

 

 

「バイバイ だけど もっと 大好きだから 遊ぼう」

 

 

という極限歌詞で、何がニーチェなんだかよくわからないところがまたナイスだったのですが、いずれにしろこのアルバムを最後にザ・スターリンは解散してしまいます。1985年の事でした。

 

 

この後のミチロウはソロ活動の傍ら、ビデオのみをリリースする「ビデオ・スターリン」を1987年に結成。解散ののち「ザ」という定冠詞のつかない「スターリン」として1989年に復活。1993年に活動停止しております。もうそうした活動には興味がなく、一時代の栄光にたいするリスペクトを贈るのみのバンドとなってしまいました。(2001年の最後の復活ライブは見てみたかったですが…)

 

 

 

 

さて、久しぶりの記事アップと思い入れの強いミュージシャンのせいで、内容の割にはものすごく長ったらしい記事になってしまいましたが、第一回ということでご容赦下さい。次回からはもうちょっとコンパクトにしようと思います。

 

 

 

 

豚は実はトラッシュを持っていません。ブートでしか今は手に入らないようです。ニコニコ動画に曲をアップして下さった方がいるので、ニコニコ動画に行ける方はぜひ見てみて下さい → http://www.nicovideo.jp/watch/sm2669419
ファーストからラストまで実にバランス良く名曲をチョイスされています。動画はなくBGMとして一時間近く流しっぱなしで聴けるのでぜひ!^^