103万円の壁の引き上げをめぐる攻防が続いています。103万円の壁の引上げとは、所得税等に係る基礎控除等の額を178万円まで引き上げて控除の対象を広げる、つまり非課税対象を広げる、事実上の恒久的な所得税減税です。これを主張してきた国民民主党と自公の与党二党による三者協議では、103万円の壁を国民民主党が主張する178万円に引き上げることが合意されましたが、自民党における具体的な検討が税制調査会、いわゆる党税調に一任されるや、宮沢洋一税調会長は178万円ではなく123万円にすると言い出し、三者協議は決裂寸前にまで至りました。しかも、税制改正大綱にもこの数字を盛り込み、既成事実化に向けて動き出しています。
民意は減税を求めた
10月に行われた衆議院議員選挙では国民民主党は大躍進、議席数は改選前の7議席から4倍の28議席に増えました。国民民主党がここまで国民の支持を集めた背景には、その政策が今の日本に一番必要な、国民が求めるものであったからに他なりません。その政策とは、一言で言えば、減税・負担減です。今回の選挙では、国民民主党以外にも、れいわ新選組や参政党といった減税を掲げた政党が支持を集め、議席数を増やしました。こうしたことから言えるのは、多くの国民は減税・負担減を求めているということであり、103万円の壁の引上げは、国民民主党以外の政党に投票した人も含めて、多くの国民が求める「民意」であるということです。
つまり、その引上げを178万円ではなく123万円にとどめるというのは、そうした「民意」を無視するか、少なくとも蔑ろにするに等しいということになります。しかも、この178万円という数字には明確な根拠があります。すなわち、103万円という金額が導入されたのは平成7年、1995年です。かれこれ30年近く前です。その間に最低賃金は611円から1054円に上昇しました。1.73倍に上昇したということですが、この1.73を103万円にかけて算出されたのが178万円という数字です。最低賃金の上昇とともに、本来であれば基礎控除等の額も引き上げられて当然なのですが、この30年近く放置されてきたということであり、国民民主党の主張はある意味で当たり前のことを言っているわけです。当たり前のこと、本来やるべきことをやらず、否定し、実現を拒否する。これは政治としてはあってはならないことです。
財務省の「ご説明」が民意を拒否させたのか?
なぜそこまで頑なに拒否して、123万円で誤魔化そうとするのか?いくつか背景がありますが、その一つとして財務省の存在とその行動が言われています。簡単に言えば、財務省が事務次官以下、総括審議官(官房長の分掌職)らで構成される「玉木減税潰しチーム」を作り、あの手この手で減税阻止に奔走した、というもの。実際、財務省は増税や「財政再建」、PB黒字化の達成等につなげるために与野党問わず国会議員に対して「ご説明」に回るというのは既に多くの人に知られた事実。
ただ、こうした「ご説明」は財務省だけの専売特許というわけではなく、必要とあらば各府省が行う、霞が関の日常の一コマと言ってもいいものです。ならば財務省が「ご説明」に関して上手なのか、有無を言わさず説得できるほど強力なのかと言えば、それもそうとも言えません。かつての大蔵省の時代ならば自分たちの主張と反対の立場に立つ議員の会館の事務所にも「ご説明」に訪れてなんとか説得しようと試みることもありましたが、筆者の知る限り、今ではそうした議員のところには全く来ないそうです。
財務省は本当に「最強の官庁」なのか?
いや、財務省が霞が関の最強の官庁であり、国税に係る権限等も持っているから聞かざるをえないのだ、財務省の意向に従っていた方が政権の維持に有利だから総理でさえも従うのだ、こうした意見や見解もよく聞かれますね。財務省最強説と呼んでもいいかもしれませんが、これも本当にそうでしょうか?財務省の意向に従っていた方が政権の維持に有利というのなら、第二次安倍政権はどうなるのでしょう?『安倍晋三回顧録』に書かれた「財務省との暗闘」はどうなるのでしょうか?
財務省が、年々質が低下していると言われているとは言え、優秀な人材を集めようとしてきたことは確かです。また、これまでに蓄積されてきた国会議員対応のノウハウを十二分に活用していることも確かでしょう。予算の査定権限を持っていることによる影響もないとは言えません。しかし、優秀な人材の獲得は各府省が鎬を削っていることですし、国会議員対応は所掌事務による軽重等の差はあるとは思いますが、これも各府省で蓄積しているものです。予算に関しては財務省ですが、新しい組織作りたい、人を増やしたいと思っても内閣人事局の機構定員査定で認められなければ不可能です。これは官房長官の権限と結びつけて考えられがちですが、内閣人事局の前身は総務省旧総務庁系の行政管理局や人事局です。そもそも予算の政府案の査定を行うのは財務省ですが、予算を決定するのは立法府、国会です。建前上は財務省はそこには口は出せません。
幻影に惑わされるな!
少々結論を急げば、財務省最強説のようなものは、端的に言って極端な見方というか、陰謀論とまでは言いませんが、財務省を買い被りすぎの見方ではないか、ということです。私が考えたハッシュタグ、「#実はここにも財務省」、これはかつての総務省のキャッチコピーをもじったものですが、を私自身が頻繁に使うように、予算編成や税制、経済財政運営と改革の基本方針、いわゆる骨太の方針の検討といった様々な場面の裏に財務省は登場するのは事実です。しかし、これは財務省の所掌事務との関係で登場するわけであって、何か悪意を持って、「DS論」に登場する得体の知れない存在のように動いているわけではありません。
不勉強な国会議員たちの大罪
では、何が「103万円の壁」の引上げのような多くの国民が望む政策の実現を阻止しているのでしょうか?それは、そうした財務省に乗せられ、言いなりになり、財務省の「ご説明」に唯々諾々と従ってしまう国会議員たちである、と考えるのが妥当ではないでしょうか。国会議員たちに財務省に従う義務はありません。おかしなことを言っているのなら反論すればいいですし、現に、例えば積極財政派の国会議員たちは真正面から反論して、財務官僚たちを論破しています。かつての大蔵官僚たちならそれでもその後も二度でも三度でも国会議員の下を訪れ、なんとか説得しようとしましたが、先ほども述べたとおり、今の財務官僚は二度と訪れないというのが実情のようです。元役人からしても情けない話ですが、そうであればなおさら財務省の言うことを聞く必要はなく、跳ね除ければいいだけの話です。それをしないのは、そうした国会議員が①財政とは何か、税とは何か、マクロ経済とは何かといったことについて勉強不足である、②政策論や日本の国民経済の在るべき姿論ではなく自分にとって有利か不利かでものを考える傾向がある、③財務省が霞が関の最強官庁だと思い込んでいる、④財政再建や増税を主張し、減税に抵抗することが「責任のある政治家」に見える必要条件であると信じ込んでいる、こうしたことがあるからだと思われます。
一言で表せば、国会議員の質の問題ということです。
国会議員の質は有権者の質の反映とも言えると思いますから、財務省最強説や陰謀論の類いから脱して、有権者の皆さん、これから有権者になる皆さんもよく勉強して、そして選挙に臨み、国会議員の質を上げていきましょう。民意を反映した政策を実現させるためにはそれしかありません。