「日本車3社のCO2排出、欧州平均上回る 制裁金の恐れも」

……本日(8月27日日経新聞夕刊記事より)


まさか、こんなことになってるとは思いもしなかった。

日本のメーカー(特にトヨタを筆頭に自動車メーカー)の

環境技術は進んでいる、という話だったのに……。

さすが、環境保護への積極的な姿勢を崩さない欧州だけある、といったところなのかな?


この統計の取り方も、実際の企業の取り組み方もよく知らないけれど、

いつまでもあぐらをかいてちゃいけないってことだろうな……。

特に、自動車の環境技術革新はもう前提だろうね。

それがなければ、おそらくこの世界も成り立たなくなるでしょう。


正直、僕もそのうち他人事ではなくなるから、

感度をあげておかなくちゃな。


(参考URL)http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080827AT2M2700727082008.html

私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、

親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです。

          ――マザー・テレサ(カトリック修道女・福者)



     *****



マザー・テレサの言葉は、非常にシンプルで、

重み・深み、というよりは、突き抜けるようなもの多い。


僕は、正直言って、

彼女の明快でポジティブで切れ味の鋭い言葉を、

直感的にあまり好きにはなれない。


この言葉もまたそうだ。


動機→過程(方法)→結果、このすべてが正しいのが

人間の行為の理想状態だと思う。

もちろん、人間は完全ではない。

理想状態を実現するのは、絶対に不可能である。

加えて、「正しい」ということ自体、曖昧な概念でもある。


でも


それでも


だからと言って、それを放棄するのは、やはりおかしいと思う。

理想は放棄するべきものじゃなくて、追求するべきもの。

追求して追求して追求して……その最後ギリギリのところで、

そうなれないことを自覚し、苦しみ、悔い、

それらを神様に捧げ、祈り、乗り越えるべきなのだと思う。


もちろん、マザーはそれをしている人だったと思う。

その中から生まれてきた言葉なのだと思う。


ただ、世の中に満ちている、

「失敗を恐れるな」「当たって砕けろ」「考えるより行動しろ」

…そういった言葉たちは(また、それを言った人たちは)、

どこまで上記のようなギリギリの葛藤を自覚しているのだろうか?


僕には、それらがあまりに傲慢に聞こえてならない。

余白というのは、詰めて詰めていくものなんですね。

すかすかの空間ではなく、内容物はわずかでも、

その周辺の緊張した空間に拮抗する存在感を持って

そこにある。

           ――原研哉 『なぜデザインなのか。』より

マタイ 16.19


……わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。……



     *****



今日は、夏季学校の直後のミサで、

報告のことで頭がいっぱいだったこともあり、

ミサ中も祈ることができなかった。

やはり、そんな日はなんだか変な感覚がある。

これも、ひとつのメッセージだと感じる。

神様はたいていの場合寡黙だけど、

こういうときは雄弁になったりするから、

人間としては困ってしまうが、やはりそれに

謙虚に応えていかなればいけないんだろうな、と思う。


今日は、ペトロが信仰を言い表す場面。

そして、それに答えてイエスがペトロにこう宣言する場面である。

最近、パウロのことをよく考えていたが、

改めて、自分の洗礼名である聖ペトロという人に

思いを馳せてみることができた。

そう、彼はイエスに選ばれたのだ。

特にマルコでは、どうしようもない人間として描かれ

(おそらくはそうであったと思われる)、

またイエスが地上に生きている間は

イエスを全く理解できなかった彼に、

それでもイエスはこう宣言された。

「あなたが、地上で天の国をつなげ」と。


僕は、地上を軽視しすぎていることを自覚しているけれど、

やはりそれは間違っている。

2000年前に彼がそう言われたとおり、

僕もまた、この地上で、天の国を証していかなくてはならない。

どう考えたって、こんな世の中でそれを行うのは、

至難の業ではあるのだけれども。

僕の線を見て人は、よくこんなにすーっと

引けますなあ、と言うが、一気には引けない。

途中で筆を止める。

その線をつないで後の線を引くのだ。

線と線との継ぎ目が絶対にわからないように、

うまくつなぐのだ。

                ――土田麦遷(8/24 日経新聞より)

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最近、ふとしたことから「美術検定 」なるものの存在を知った。

やっぱりアートがファッションとなりつつある流れの表れなのか?、と思いつつ、それでも受けてみようかと思って、公式テキストを買うことにした。


というより、今日は天気が悪くて体調も良くなくて、自分を励ますために散財したというのが本当のところだったりする(苦笑


ともあれ、パラパラとめくってみるが、公式テキストというのに(ある意味)ふさわしく、あんまり面白くない。ま、これだけの文字数で総ざらいするとなると、これほどの浅さが限界なのかも。とはいえ、知らないことも結構多いから、ここから知識と視点を広げていければな、という気がする。


あと、これは現代アートの章を見て思ったのだけれど、もしかしたら、現代アートの目指すものは、「問いかけ」なのかもしれない。「芸術」は「表現」であって、「表現」されるものは「美」である、と非常に狭義にそう思われがちだし、僕自身そう思うのだけれど、「表現」というのは、普段僕らが考えている意味よりももっと幅広いものなのかもしれない。よく分からないけれど、そんな気がした。

僕、あの人に、なんて言うべきなんだろう?
きっとそれは、「ありがとう」なんだろうな。


けど、今は素直にそれを言うことが、できそうにない。


その前に、僕は僕を、慈しんであげなければいけないのだと思う。


けど、やっぱり、今はできそうにない。


あの時の祈りは、どこへ行ったのかな?
あの時作ったてるてる坊主は?
あの時撮った写真は?
あの時書いた手紙は?
……


たぶん、すごく子供じみていて、
女々しくて、情けない感情。
それは分かっているけれど、
やっぱり僕は、未だにそれから逃れられそうにない。


誰かに、祝福して欲しい。
誰かに、許して欲しい。

あの時の僕を。


笑ってしまう。


けれど、笑い飛ばすことはできそうにない。


そして、僕も、過去に同じようなことをしていたことに、
気付いてしまった。


僕は愚か者だ。




いつか


いつか、言えますように。「ありがとう」を。


そして、いつか、慈しんであげられますように。あの時の、そして今の僕を。


今日(16日)の日経新聞の文化面にパウロ生誕2000年の記事が載っていた。
大見出しは、「パウロの思想 今こそ光る。」
小見出しは、「弱さに宿る力 危機生き抜く。」でした。
以下、考察。


    *****


第一に、僕自身のことで言えば、
思想家・哲学者の業績を全然知らなくて唖然とする。
ニーチェ・パスカル・ルター…どれも知ってはいるけれど、
むしろ何も知らない、といった方がいいくらいだ。
知らないというのは至極良くないことだ。

少なくとも、恐れるべきことだと改めて思う。


知らずに犯している罪というものが、
この世で最も深い罪だと僕は確信している。

少なくとも、その可能性(危険)があることを、

恐れていなければならないのだと思う。


     *****


第二に、「弱さに宿る力」という見出しにも関わらず、
その力を認識しているとは到底思えない記事に、
まあそうだよなと思いつつ、少しがっかりする。


きっと近代以降続いているのであろう、

様々な意味での人間中心(至上)主義が、
人間の弱さをとことん自覚し、そこで与えられる恵みや力が、
レトリックとしてではないこの「大いなる逆説」を見えなくさせているんだと思う。


     *****


現代人は(もちろんクリスチャンも含め)、

そして特に若い人たちには、これらの意識があまりに薄い気がする。

それは、当然と言えば当然だとは思うけれど、
僕がもどかしさと苛立ちと違和感を感じる大きな要因でもある。
けれど、もしかしたら、「だからこそ」僕は教会にいるべきなのかもしれない。


たぶんこれから一生つきまとうテーマなのだろうな、と今感じている。