僕が深く共感する一人の思想家(度々日記には登場してるけど)、
V・フランクルはこんなことを述べている。

フランクルによると、人生を意味あるものにする3つの「価値」があるという。
それは、「創造価値」・「体験価値」・「態度価値」の3つで、
「創造価値」とは、「なにかを行うこと、活動したり創造したりすること」などによって実現される価値。
(これはおそらく一番イメージしやすいもので、例えば「天職」という発想はこれに属する。)
「体験価値」とは、「なにかを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによって」実現される価値。
(これは、例えば美しい音楽を聴いたとき、生きていてよかったと思うような体験などがその場合に当たる。)

そして、「態度価値」とは、「さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか」によって実現される価値。
さらに彼は、「耐えること自体が、最高の行い」である場合が存在すると言っている。


「苦しみ」とは、とかく「負の状態」とか、「克服されるべきもの」とか、
すくなくとも「『成長』の糧となることによって“のみ”意味を見出されるもの」と捉えられがちであるけれど、それは(きっと)絶対に間違っている。
彼の言うように、「苦しみ(≒苦悩)」それ自体に価値――しかも最高の――がある。

だから、僕らのやるべきことは、苦しみを――あしらったり、自分を誤魔化したりせずに――真正面から全力で苦しむことだ。
しかも、その苦しみが、「予期せぬ時に」、「予想以上の重さで」、「自分だけに向かって来る」ものであったときに――その究極の形がおそらく「死」なのだろうけれども――最高に価値ある苦悩になるのだろうと思う。


だから、お前ら苦しめ!とそういうことを言うつもりはさらさらなくて――そう、愛のない真実は虚しい――、苦しみにはそれ自体価値(意味)があるのだ、と言いたい。親愛なる友人たちに。


     *****


フランクルの言葉といいつつ、つまり僕が22年間、特にこの数年間全力でのた打ち回って得た暫定的な――とはいえ今後揺らがないだろうと今信じている――答えの一部です。
今、現実的にできうるすべての誠実さをもって、謹んでこの言葉たちを捧げます。

参照
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AB%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%86-V-E-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB/dp/4393363604/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1223660852&sr=8-1
ふと見上げてみると、夜空に星が綺麗だった。

それら光線は、或いは何万年もの前にそれらの星を出て、
何万年もの時間をかけ、今僕たちの目に届いている。
ただ、その光は、いつでも僕たちに注がれているけれど、
そのことは、僕たちが上を見上げて初めて気付く。

なんだか、神様と僕たちの関係に似ている。

もちろん、僕たちはなんの苦もなく空を見上げられるときもあれば、
打ちひしがれて俯いて、空を見上げることなんて到底できなそうなときもある。

そこから立ち直って、空を見上げようとすること、
僕たちのために輝いている、星々の光を見ようとすること。
少なくとも、星々が照っていることを、信じること。

それが、僕たちにとって本当に大切なことなんだろう。




今日はフェルメール展@東京都美術館に行って来た。
9時過ぎに入ったから、並んだりはしなかったものの、
時間が経つにつれ人が多くなってきた。

もしこれから行く人は、9時に入って、まずフェルメール作品をゆっくり見て、
その後、始めに戻って他の作品を見るのも一つの手かも知れない。

今回、7点もの作品が来ていたわけだけど、
個人的には、《手紙を書く婦人と召使い》以外はちょっとビビっと来るものがなかったかな。

ただ、《手紙を書く婦人と召使い》は秀逸。
完璧といえるような部屋の構図と、左上から注ぐ光。
婦人の頭にかぶるレースのひだすら、リアルに確認できる。
ここまでストイックなほどのリアリティに、神々しいものを感じる。

カラバッジオからレンブラント・フェルメール・ラトゥールに至るまで、
多くの画家達が絵の中に挑んだ「光」に、僕は神の存在を感じる。
しばらく、画家たちの織り成す「光」の魅力から、僕は逃れられそうにない。

    


今日は少し息抜き。靴の話①
20日、K野と行ったセールで購入した(しかもお揃いで!笑)チャッカブーツ。
もう靴は買うまいと思っていたのに、やっぱり買ってしまった…誤算(笑)
55,000が15,000だったから仕方ない。し、今思うとやっぱりお買い得だったと思う。

AQ (アクアスキュータムのヤングライン)がチーニー に別注したもの。
僕にとっては初CHEANEY

ウィングチップに控えめなパーフォレーション、
すんなりしたエッグトゥが結構いい感じでエレガントで気に入った。
ただ、あえて言えばやっぱいヒドゥンチャネルでないと
ソールの摺りが気になるなぁ…とは思う。ま、履き続けてみないと分からないけど。
それと、さすがにスエードのよしあしはまだ分からないのが、
かえってこの靴のの満足感をあげてる気がする。

これからの季節、ヘビロテ候補。
そしてできれば5年は持たせたいなぁと思ってる。さて、どうなることやら。