今、後期のベートーヴェンのピアノソナタを本を書くためのネタ探しに見返しているのですが、30番のwikiを見ていると第1楽章 Vivace, ma non troppo 2/4拍子 ホ長調。ソナタ形式と書いてありましたので、ちょっと小ネタを書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

wikiには出典があり、おそらくその出典も根拠もあってそう書いてあると思うのですが、個人的にはこの楽章は「ロンド形式なのでは?」と思ったりもします。

 

 

ただ形式に関しては必ずしもわかりやすいものばかりとは限らず、作曲家や演奏家たちの間で意見が別れることはよくあることで、何を以てそう判断するのか?という基準が違う以上、異なる意見が出ててくるのは当然のことであり、これは音楽に限った話ではありません。

 

 

 

 

楽譜はこちらです。

 

ソナタ形式と考えるならここがおかしいと思う部分を書いてみたいと思います。

 

 

○提示部?

 

第1主題はホ長調(冒頭)

 

 

wikiで言う第2主題?は嬰ハ長調→ホ長調で始まる。(9小節目)

 

【ポイント】

・第1主題の確保がない

・第1主題がソナタ形式の第1主題としては内容が乏しい

・第1主題から第2主題への推移がない

・調的に第2主題とされる部分が再現部では異なるパッセージになっている

・第2主題の確保がない

・第2主題が属調ではなく平行調開始で主調に至り、属調になるのは即興的パッセージになってから

・提示部の終止というのにはあまりにも即興的

 

 

ソナタ形式と見なすならまずこの時点で疑問です。第1主題の確保がない、そして推移もなしにいきなり第2主題?とwikiで見なされる部分が登場します。

 

 

確保や推移は絶対になければいけないものではないのですが、ベートーヴェンの一般的な様式ではあるのが普通です。但し奇を衒って今回はなしにしたという可能性はゼロではありませんが、ちょっとおかしいな?と思います。

 

 

そして第2主題は通常属調ですが楽譜を見て分かるとおり最初の小節は同じ調号の平行調から入って次の小節でまた主調に戻る形から始まります。

 

長調のソナタ形式の第2主題が絶対に属調でなければいけないというルールはなく(一般的にはそうですが)、また途中から属調になるというケースも存在しますので、そういう例と見なすことも出来なくはないのですが、ベートーヴェンはほとんど場合、第1主題と第2主題の間で転調の準備を済ませるのが普通であるものの、このケースではそういう準備がありません。

 

 

短調では第2主題が属調になる場合と平行調になる場合と、あるいはそれ以外の場合もありますが、長調の場合は大抵は属調なので、まぁたまには長調のソナタ形式で第2主題が平行調→主調という流れもあり?かな?という感じです。

 

 

平行調→主調というこの部分を第2主題と見なすとしてもやはり確保はなく、あろうことか長3度の調に転調して、即興的なパッセージを奏でた後に、属調に転調するのですが、やはり第2主題の確保や展開はなく、引き続き即興的なパッセージになります。

 

 

属調に入る第2主題?(14小節目)

 

この即興的パッセージは属調でありソナタ形式の提示部における第2主題として調的には適切です。

しかしこれはベートーヴェン的な主題とはとても言えず、ただの即興的パッセージです。

これを私が第2主題と見なさない理由は主題としての独自性がないことと再現部?と音型が違うからです。

 

 

再現部?と見なされる場所の第2主題?(63小節目)

 

調的に第2主題と判断するべき箇所は4分音符1個分の冒頭だけ同じで再現部では異なるパッセージになります。

 

 

もともとこの主題音型?に独自性がありませんが、ここまで変更されて再現されるのはベートーヴェンのソナタ形式の再現部ではちょっと考えにくいです。ちゃんと主題音型とわかる形で再現しなければ(古典の)ソナタ形式の再現部と言えないはずで、もっと自由度の高い拡張された概念で「再現」だと言えるのは後期ロマンや近代に入ってからであり古典では考えにくいです。

 

これを古典のソナタの再現部だ!というのは江戸時代に人が使っていたスマホが見つかった!というのと同じくらい違和感があります。

 

 

 

(9小節目)

では先ほどの上の画像が第2主題なのでは?という話になりますが、この場合は調が平行調から入り主調のままなので、第2主題とは言い難いです。むしろ平行調の部分は副属7と考えて、Ⅲ7ⅥmⅡ7Ⅴ7というのが大筋の流れなので、G#7C#mは短調のⅤ7Ⅰmというよりは長調のⅢ7Ⅵmのように和声の流れ的には判断したいです。

 

 

 

 

wikiで言う第2主題再現?(58小節目)

 

もしこの1小節を平行調と考えるなら58小節目の再現の部分?も最初のC#7F#mは短調のⅤ7Ⅰmとして考えるべきであり、その場合は第2主題の再現が主調ではなく下属調の平行調という苦しい説明になるので、やはりG#7C#mⅢ7Ⅵmは主調と取るべきでしょう。

 

楽譜を見て分かるとおりここではⅥ7ⅡmⅤ7という風に主調に戻っていきます。一回の目のⅢ7ⅥmⅡ7Ⅴ7と同じで副属7と考えた方が自然です。

 

 

調の設定や確定度がベートーヴェンっぽくないのでこの辺りはこの楽章をソナタ形式であると考える場合に一番擁護しにくい部分であり、私がこれはソナタ形式じゃないだろうと考える理由の1つです。

 

 

このAdagio espressivoの部分を第2主題と言うなら、最初は調的に疑義が生じますし、属調と考えるならそうなるのが遅すぎます。

加えて主題の確保がなく、全体的にあまりにも即興的過ぎて、さらに第2主題の楽節構造としても説明がしにくく、変則的であり、これをソナタ形式の提示部における第2主題と見なすのはちょっと苦しい?とも思ってしまいます。こういうのがあってはいけないという意味ではないのですが…。

 

 

 

ただ第2主題が軽く扱われることはベートーヴェンの曲ではよくあることなので、調的なことと主題としての構造や確保などを無視して良いなら無理矢理そう言い張れないこともありません。

 

 

○展開部?

 

wikiで言う展開部?は展開されるが第1主題のみ。(16小節目)

 

【ポイント】

・展開の技法があまりにも単純で実際1パターンのみ

 

wikiで言う展開部は一応転調的で調の流れだけ見れば展開部っぽい感じにはなっているのですが、内容があまりに単純過ぎる作りです。たしかに展開部を重視しないのはベートーヴェン後期の作風ですが、それにしても単純です。

 

こういう単純さとほかの洗練されたソナタの良い意味での単純さ、簡素さは違うと感じます。

 

 

○再現部?

 

wikiで言う再現部?(48小節目)

 

【ポイント】

・第1主題の再現が確保もなくあっさり過ぎる。

 

再現部?の前には一応ドミナントペダルがありますが、あっさり過ぎる上に、主題の再現もあっさりでやはり確保がありません。

 

展開部?は第1主題のみを土台に作ってありますが、技法にも書法的にもソナタ形式としてはあまりに単純であり、最後の第1主題の再現と見なすべき箇所も単にロンドで散々転調してから主題に回帰しただけと言われたほうがよほどしっくり来ます。

 

もし再現部と考えるなら全くベートーヴェンらしくない第1主題の再現です。そもそも第1主題と呼ばれる箇所自体が、「ソナタ形式としての」第1主題としてはベートーヴェンのそれらしくありません。

 

 

 

wikiで言う第2主題再現?(58小節目)

 

第2主題の再現と見なされる部分は主調ですが、これは提示部と同じで和声が変更されています。やはり確保はなく如何にも即興的なパッセージです。

 

 

そして終止に続きます。

 

終止?(66小節目)

 

終止は主題再現に比して大きく、第1主題のみを活用しています。調も主調のままで揺れたりはせずに多少偶発的なフレーズが入ってきますが、主に第1主題のみで最後まで押し切ります。

 

これがソナタ形式と見なした場合の疑問点です。

 

 

○ホントにソナタ形式?ロンド形式では?

 

全体を検討してみましたが、どうでしょうか。

私にはA-B-A-B-Aのロンド形式に思えます。

 

 

A(冒頭)主調

 

B(9小節目)主調から始まり途中で属調

 

 

A(16小節目)属調→すぐ平行調で始まり転調的

 

 

B(58小節目)主調

 

 

A(66小節目)

 

という流れで、最後に終止が付きます。

 

終止(75小節目)

 

 

A-B-A-B-Aのロンド形式でも良いですし、最後のAにある終止を独立部分と考えても構いませんが、ソナタ形式と呼ぶにはちょっと苦しく、確保や推移や主題の作られ方がソナタ形式らしくない部分は「まぁ、たくさんあればそういうのもあるかもしれない」と擁護出来るのですが(個人的にはこれも後期のベートーヴェンという枠組みなら擁護しにくいですが)、第2主題に関する部分はちょっと疑義が生じます。

 

 

30番は第2楽章の方がよっぽどソナタ形式というか、今回のような疑義の生じない正規の(後期風の)ソナタ形式構造と言えます。つまり30番は「第1楽章ロンド形式」「第2楽章ソナタ形式」「第3楽章変奏曲」という構成に思えます。別に第1楽章→第2楽章とソナタ形式が2回連続しても駄目ということはありませんが、これも少しほかの作品傾向から外れます。

 

 

たしかにソナタ形式風な要素があるので、無理矢理解釈すればそう取れなくもないと思うのですが、あくまで「風」なだけで、例えばメロンソータは色が緑で如何にもメロンっぽいのですが、実際にはメロンは使っていないのと同じで、あくまでそれっぽい要素(色だけ同じ)があるというレベルです。

 

透明のプラスティックで出来た指輪はダイヤモンドっぽいですが、っぽいということと実際にそうであることにはかなりの隔たりがあります。

 

 

 

中には折衷形式というロンドソナタに代表されるような中間的な形式もありますが、これはそれとも違います。

 


もちろんここで述べているのは私の勝手な考えで自分が絶対に正しいとは思っていません。

この楽章をソナタ形式とwikiに書いてある出典は「大木正興最新名曲解説全集 第14巻 独奏曲I』音楽之友社、1980年」とあり、この本は図書館などで見かける分厚い権威のある本と言って良いと思います。

 

 

作者の大木正興氏は私みたいな素人よりもよっぽど立派な社会的地位のある方ですから、もちろん理知的な根拠を持ってそう述べているはずであり、社会的にはwikiの方が正しいのかもしれませんが、音楽的にはロンド形式に私には思えてしまいます。

 

 

 

実はほかにもこういうのは結構あって、「最新名曲解説全集」とか「世界名曲解説ライブラー」などを見ていると「それっておかしくないか?」と思うことがたまにあります。

 

 

また楽譜を買うと大抵は最初の数ページに楽曲解説が掲載されていることがありますが、それを見ていても、やはり同じく「う~ん?それは違うのでは?」と思うことがあります。ネットのブログやyoutubeなども同様なのですが、いわゆる書籍の類いは出版社や作者が明確になっているので責任の所在がハッキリしていますが、ネットで得た無料情報の多くは言い逃げというか、責任の所在が曖昧です。

 

学生の頃は無条件でネットはともかくちゃんと出版されている本や楽譜は「基本的に正しいもの」として信じてきましたが、実際は書いている人も人間ですから間違っていることがあったりします。

 

 

 

○学生さんへの勉強のやり方の話

 

ここから先は主に学生さんへのアドバイスなのですが、詳細は忘れてしまいましたが、昔ウィキペディアを参考にして大学の試験(卒論?)を書いた大学生がいて、出典として使ったウィキペディアの記載が間違っており、それをそのまま鵜呑みにして試験(論文?)に臨んだ結果、当然間違っていたため結果として大学を留年し、裁判でウィキペディアを訴えるぞ!というニュースがありましたが(細部が違うかもしれません)、(私のブログを含めて)すべてのネットの無料記事や無料動画は正直当てにならないくらいに思っていた方が勉強する人間としては賢いと思います。ウィキペディアは無料であり、それを元に自分が失敗をしてもウィキペディアに責任はありません。

 

 

 

よくネタにされる嘘を嘘と見抜けない人は~ではありませんし、最近の学生は賢いのでまさかネットで無料で得た情報を絶対の真実と思い込むことはないと思いますが、出版社も作者も明確な出版されている本ですら間違っていることがあります。

 

 

私は考古学が大好きなのですが、考古学の世界でも従来定説とされていたことが、新しい発見によってひっくり返ることがあり、医学や科学の世界でもこれは同じで、悪意を持ってデマを流す人間がいるのは事実なのですが、自分では正しいと考え、あるいは親切心から間違ったことを述べている場合もあります。

 

 

Wikipediaの病気についてのページは、90%が間違い:米医師調べ

 

 

信憑性はちゃんとお金を出して、出版社も作者も明確なものが高く、無料で読めるネットの記事やyoutubeなどもほとんど大体合っていることが多いと思われますが、それを100%絶対的な真実として論文や試験などを始めとする責任ある内容に引用するのはNGです(当たり前ですが)。

 

 

そこまで行かなくても、日常の軽い娯楽とか料理のレシピとかはネット情報は有益且つ面白いかもしれませんが、本気で自分が勉強しようとしている専門分野に対してネットにある無料無責任情報を鵜呑みにするのはある意味で危険とも思えます。

 

 

自己批判も含めて書きますが、私のブログも閲覧するのに1記事につき何円ということはなく無料で見ることが出来ますし、ネットとは基本的にそういうものですが、書いている人が何処の誰かもわからない、どれくらいの理解レベルに達しているのかもわからない、間違っていても責任は一切ない、というのが多くのケースなので、やはり専門分野に関しては信頼のおけるソースで勉強した方が良いはずです。

 

 

私も同人誌という枠組みで音楽の本を書いていますが、私には社会的地位というほどのものは何もありませんが、一応身分は明かしていますし、本の内容に関して私に質問を出来るようにもなっています。誤字脱字というしょうもないミスや内容に関する音楽に関する考え方までちゃんと質問されればフォローしていますが、専門分野における高度な内容の言い逃げ情報をそのまま鵜呑みにするのは危険です。

 

 

社会的な権威さえあればそれだけでOKは思っていませんし、それと能力が直結しないケースもありますが、基本的には例えばバークリーや東京芸大の教授が書いた本だとか、ATNから出版されているとか、そういうものの方が圧倒的に信頼度が高いソースであるというのが普通一般の考え方です。

 

 

もちろん無名でも有能な方はいるでしょうし、その逆もありますが、しっかりとした信頼出来るソースを元に勉強した方が良いです。責任という意味で著者に直接質問出来るならそれに越したことはありません。

 

 

今はネットの記事や動画で簡単に情報が大量に入りますし、楽器屋や本屋に行けば2000円くらいで買えるライトな音楽関係の書籍も多く、勉強しやすい時代になったとは思いますが、その反面、現在学生の方がしっかり勉強するならまずは教科書の吟味をするべきとすらも思います。

 

 

今回のベートーヴェンのピアノソナタ30番のように、ある程度勉強するとそれに対する自分なりの考え方を持てるようになり、それが必ずしも他人と一致しない場合があります。

 

しかしまだ勉強を始めたばかりで未熟な学生さんや初心者にとっては、そもそも膨大な情報の中から正誤の取捨選択は難しいでしょうし、正誤問題をクリアー出来ても今度は効率の問題で無駄な遠回りをしないで済むような選択肢を選ぶのは独学において正直至難の業であるはずです。

 

 

ある人が効率良く半年で終える内容を別の人は非効率な勉強方法で5年掛けるということ普通にあり得る話で、趣味でノンビリやるならそれでも良いのでしょうが、無駄を省いてさっさと成長したい人にとっては効率はとても大切なことであるはずです。

 

 

この辺りは自分でなんとか出来なければ正直先輩に頼ったり、誰か先生になってくれるような人にフォローしてもらうしかないですが、その先生選びもまた重要です。自分に合う合わない、目指しているスタイル、先生が到達しているレベル、レッスン料など色々な問題が生じます。

 

 

しかし社会全体で見れば情報がないよりはあった方が良い、嘘でも情報だ、というのがほとんどの分野で言えることであり、害悪は自分で取り除いていくしかありません。本屋に行って一冊の本も売っていないよりはたくさん本が並んでいたほうが嬉しいはずです。

 

 

この辺りはこのブログも含めて自己批判をしなければいけない部分であり、また自私自身も勉強する一人の人間として自分でなんとかするしかない分野と言えます。

 

 

 


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