人は誰しも自分が育った背景というものがあり、音楽においては自分が聴いたり、学んだりして育った音楽が多くの場合、その人の背景・土台になります。

 

 

例えば今のアニソンやボカロを聴いて育った世代はそれを一つの基準として考えるでしょう。

 

それがビートルズだったり、洋楽ロックだったり、あるいはクラシックだったり人それぞれですが、そこをスタート地点としてより進歩向上していくというのが一般的に起こっていることです。

 

これはあらゆる音楽ジャンルに起こっているので各ジャンルの成り立ちや進歩の歩みをご存じの方には言うまでもないことですが、バルトーク(1881年生まれ)の場合は、彼よりも前の世代であるブラームスやシューマン、リストやリヒャルト・シュトラウスたちの音楽が彼のスタート地点となっています。

 

 

言ってみればこの時代の作曲家が誰もがそうであるようにロマン派音楽からスタートしているわけですが、バルトークはある時からハンガリー独自の音楽を作り出すための足がかりとして自国の民族音楽に関心を持ち、それを自分の土台として音楽を作るようになっていきます。

 

 

すべての芸術はそれより前の世代に根を持っていなければならないとバルトークは言っていますが、彼の場合はドイツ・オーストリア圏のロマン派音楽に根を持って良いなら、それがハンガリーの民族音楽でも良いはずだと考え、自ら(あるいは仲間たちと一緒に)苦労して収集したハンガリー(ルーマニア、スロヴァキア、ブルガリア、トルコ、アラビアetc…)の音楽を研究し、徐々にオリジナリティーを築いていきます。

 

 

シェーンベルクが調性を放棄して12音を使うのに対して、バルトークは調性を拡張して12音を使うので、聴いていたり、楽譜を見ていて「綺麗に聞こえるけど、これは何?」という部分がたくさんあります。

 

 

中期以降のシェーンベルクの場合はシステムさえわかってしまえば誰でも理解できる12音技法というテクニックで書かれていますが、バルトークの場合はそういった分かりやすい統一原理みたいなものを見い出すのが難しいので、それがバルトークの不人気の原因の一つなのかもとも思います。

 

 

 

機能和声を逸脱した技法を用いているにも拘わらずバルトークは自分の作曲技法の種明かしをせずにこの世を去りましたが、バルトークの著作やバルトークが研究していたと言われる民族音楽を同じく研究してみると意外とヒントになることがたくさんあり、バルトークのアナリーゼでお困りの方は何よりもハンガリー、ルーマニア、スロヴァキア、ブルガリア、アラビアなどの民族音楽を学んでみるとヒントがあるので、それらの勉強は非常にお勧め出来ます。

 

バルトークの理解には必須と言った方が良いかもしれません。

 

 

 

単にバルトークへの理解が深まるというだけでなく、民族音楽(民族でなくて普通のクラシックやロックやポップスでも)の研究の仕方やその技法をそのまま使ったり、模倣して作るという単なる習得ではなく、高いレベルで自分の作曲の中に取り入れたりするにはどうしたら良いのか?という良いお手本を手に入れることも出来ます。

 

 

一番勉強になったのは、バルトークがどんな角度や姿勢で音楽を研究していたか?で、これはあらゆる勉強に応用が効くため、単なるバルトークの作品のアナリーゼを越えて大いにためになりました。

 

 

バルトーク以外に民族音楽を似たようなレベルで活用したのは、ムソグルスキーやストラヴィンスキーが個人的には気になりますが、ムソグルスキーは非常に才能ある作曲家ですが、惜しくもアカデミックな研鑽を積む機会がなかったため論理的な思考の欠如が彼の音楽をさらなる高みへ昇らせる弊害になっていますし、ストラヴィンスキーはこの点をカバーしているように思えますが、民族音楽を体系立てて研究してはいないため、真にロシア的な作曲家かと言われると、どちらかというと有名なロシアの民謡やリズムなどを取り入れているだけで、その背景はロシア的なものが混じりつつロマン派的なもの(新古典主義)が大きいように感じます。

 

 

また前置きが長くなってしまいましたが、要するにバルトークは私が知る限り非常に深く民族音楽に根を張っており、その点においてロマン派の影響を完全に脱しているドビュッシー・ラヴェルの近代フランス楽派、12音技法のシェーンベルクなどの新ウィーン楽派、あるいは神秘和音(というか属7の多様化)で新境地を開いたスクリャービンと同等に重要視されるべきであり、音楽の進歩に大きく寄与しているためもっと注目を浴びても良いと思いますし、彼の技法は作曲家にとっての必須の勉強にしても良いのではと感じているくらいです。

 

 

書きたいことがたくさんあるのですが、今回はバルトークの曲でよく出てくる「?」と感じた部分を1つだけ取り上げてみます。

 

管弦楽のための協奏曲 1楽章序奏部分(ピアノリダクション)

 

 

上の譜例のようにバルトークはスケールが上がっていくときはある音が#なのに(半音高められるという意味)、下がっていくときは♭(半音下がるという意味)するという(同じ音が半音下がっている)、上行メロディックマイナー、下行ナチュラルマイナーのような動きをあらゆるフレーズで使用しています。

 

あらゆる曲で多用されるのでバルトークと付き合ったことがある方ならお馴染みのフレーズなはずです。

 

 

 

管弦楽のための協奏曲 2楽章冒頭のバスーンのsoliの部分

 

 

こちらは6度のハモリなのでさきほどの例よりも複雑ですが、やはり上がっていくときに赤の①部分なら「レ→ミ→ファ→ミ♭→レ」、赤の②部分なら「ファ#→ソ#→ラ→ソ→ファ」のように上がる時は#、下がる時は♭という動きです。

 

 

単に転調やスケールの差し替えと考えることが出来ますし、バルトークの特徴あるフレーズだと長年考えていたのですが、ハンガリー民謡を見てみるとこれと非常に近いしいフレーズをたくさん見いだすことが出来ます。

 

 

 

 

①~④のフレーズはすべてハンガリー民謡ですが、バルトークと同じく上がって行くときは長音階で下がっていくときは短音階という動きが見られます。

 

これを知らないとバルトークのこのフレーズは一体なんだ?となってしまいますが、ハンガリー民謡の旋律作法をそのまま模倣したり、あるいはもっと複雑高度化して使っているだけで、根っこはここにあるんだということがわかり、それ以来納得出来るようになりました。

 

 

④がわかりやすいですが「ド→レ→ミ→ファ→ソ→ファ→ミ♭→レ→ド」のように上行ではミが♮で長音階なのに、下行ではミ♭で短音階になっています。そしてバルトークがよく使うdurmollの和音もここから来ているのでは?と思いました。

 

 

先の例なら前半Cメジャーコード、後半Cmコードという風に和声付けが可能ですが、これらの音程を和音化すればdurmollの和音の出来上がりです。

 

もちろんこれは単なる推測で出典があるわけではありませんが、バルトークは民族音楽の旋律の音程を和音化するということをよく行っており、著作でもそう述べているので、そこまで的外れでもないように思えます。

 

 

この考えが発達してくると、単に和音の長短を決める第3音(CメジャーコードとCmコード)だけでなく、メジャースケールの第6音(Ⅵ度)とマイナースケールの第6音(♭Ⅵ度)が同時に出てきたり、あるいはもっと別の音が同時に使われるようになります。

 

 

端的に言えば異なるキー出身の音が同時に使われるということでこれは以前書いた本で述べたいわゆる復調ですが、露骨に、あるいは隠されてこのようなフレーズがバルトークの曲にはたくさん登場します。

 

 

10のやさしいピアノ小品より「 トランシルヴァニアの夕べ」

 

 

上の譜例はバルトークの子供向けの作品である「トランシルヴァニアの夕べ」ですが(トランシルヴァニアは森の彼方の国という意味)、左手がソ#なのに、右手はソ♮です。

 

 

普通に機能和声で考えると「?」という音使いですが、これもdurmollの和音から発生する中心軸システムに基づいた復調と考えると納得がいきます。

 

 

管弦楽のための協奏曲 2楽章冒頭のバスーンのsoliの部分

 

 

管弦楽のための協奏曲の2楽章の青い四角の中も見てみましょう。いかにもバルトークらしいフレーズですが、①の赤い部分では「レ→ミ→ファ→ミ♭→レ」とハンガリー民謡の技法の応用に見えます。②も同じ考えです。

 

 

さらに青い四角の部分では「ファファファレ」でファが♮なのに、下は「ラララファ#」でファが#です。

 

調判定が機能和声で考えたら出来ないはずですが、これはハンガリー以外の民謡の応用でdurとmollが混在しているような不思議な旋律です。ハモリを固定化したフレーズですね。

 

 

ハンガリー民謡の中にバルトークと同じ音使いやその萌芽を見いだすことで、少なくとも私個人がこの長音階と短音階がミックスしたような合成音階のフレーズが一体何処由来なのか?を納得するには十分ですし、durmollの和音も民謡から来ていると推測することでほかにもそこから繋がって色々と納得することが出来る部分がありました。

 

スロヴァキアやルーマニアやブルガリアやアルジェリアも同じです。

 

ヒントの多くは民謡の中にあり、バルトークが民謡の中にある素朴なフレーズを如何に発展させて使っているかはとてもためになります。

 

中心軸システムについても一体どういう根拠や由来でバルトークがそれを思いついたのか?はまだ明らかになっていませんが、バルトークの楽譜に出てくる「なんだこれは?」という疑問に対する回答が彼の研究していた民族音楽に隠されているので、案外民族音楽をつぶさに研究すれば回答が得られるのかもしれません。

 

 

そしてこれが私にとって一番重要なのですが、バルトークがハンガリーの民族音楽から彼が使っている様々なテクニックを導き出したように、私もまた世界中のあらゆる民族音楽から同じようにたくさんのヒントが得られるのではないか?ということです。

 

 

日本の雅楽や箏曲や民謡もそうですし、日本に限定するどころか、民族音楽やクラシック音楽にすら限定する必要はないと個人的には考えているため、やり方次第では得られるものがありそうです。

 

 

もっとも私はそこまで民族音楽に深い関心がなく、日本に限定するなら雅楽や箏曲は好きですし、BGMのお仕事で行うようなレベルのジャンル製作としては習得していますが、バルトークのような研究姿勢は取っていませんし、また取ろうとも思っていません。

 

 

日本の音楽は好きですが、私が最も興味あるのは箏曲や雅楽よりももっと前の時代、例えば大陸から文化が入ってくる以前の日本古来の和箏や古事記や日本書紀に出てくる時代の人たちの音楽であって、雅楽は世界的に見れば世界最古の合奏音楽であることは知っていますが、約1400年前から伝わる雅楽ですら最近の新しい音楽と感じてしまいます。

 

 

私の関心はさらに古い上古の時代にあって残念ながらそれらに関する音楽的な記録は僅かな断片的記述しか残っていません。

 

比較的最近の飛鳥・奈良時代の歌がたくさん載っている万葉集には当時の天皇から名もなき一般庶民まで実にたくさんの歌が載っていますが、たったの1500年~1400年前すら残っているのは言葉だけ(歌詞)だけであって、当時の人たちがそれをどのように歌っていたのかは全くわかっていません。

 

 

籠もよ、み籠持ち、掘串もよ、み掘串持ち、
この丘に菜摘ます兒、家聞かな、告らさね、
そらみつ大和の国は、おしなべてわれこそ居れ、
しきなべてわれこそ座せ、われにこそは告らめ、家をも名をも

 

 

これは有名な万葉集の一番最初の第21代雄略天皇の歌ですが(雄略天皇が畑仕事をしている娘をナンパしている歌です)、「歌」というくらいですし、楽器があり、音階があるので、何らかの音楽的なものがあったと推測が出来ますが、理論的な記録はゼロでバルトークのように自分の足で集めるということも絶望的です。

 

 

音階、和音、調弦、歌詞、歌詞と旋律の関係、楽節構造、楽器の伴奏法、リズム、etc…研究したいことはたくさんあり、当然現代なりに応用も可能でしょうが、比較的新しい時代の雅楽で我慢するしかありません。

 

 

これに関しては完全に歴史に埋もれてしまっており、私がもっとも興味を持つ対象を学術的に学ぶ手段が全く閉ざされているというのはとても残念です。普通の方法では可能性がゼロです。

 

 

日本最古の歌として素戔嗚尊の有名な「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という出雲八重垣の歌がありますが、和箏を弾いている記述や西洋のドレミファソラシのように音に名前があったりするので、なんらかの音楽的な内容があったはずです。大変興味がありますが、こればかりはどうにもならないのが残念です。

 

 

とりあえずはあるもので我慢したり、ドビュッシーの台詞ではありませんが、「想像で我慢するしかありません」という感じです。

 

最後までお読み頂き有り難う御座いました。

 



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