バルトークの大好きな作品の一つなので記事は冒頭だけですが、管弦楽のための協奏曲をアナリーゼしてみたいと思います。

 

 

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バルトークはブラームスやR・シュトラウスなどのロマン派音楽の影響からスタートし、民族音楽の研究を大いに行いつつ、徐々に独自性を獲得していった作曲家です。

 

第二次世界大戦時にナチスなどへの抵抗のためアメリカへ亡命しており、アメリカ亡命以後の作品は、それ以前の作風の延長線上であってバルトークは中期が一番良いという方もいらっしゃいますが、私個人としてはアメリカ亡命後の晩年に作られた「管弦楽のための協奏曲」や「ピアノ協奏曲3番」「無伴奏ヴァイオリンソナタ」などが好きだったりします。

 

 

明らかに理論体系だった技法で書かれているにも拘わらずバルトークは自身は自分の作曲技法を公開しておらず、バルトークの作曲技法に関して取っ掛かりになるのは「バルトークの作曲技法(エルネ・レンドヴァイ)」や下記の彼の残したいくつかの民族音楽関連の著述のみとなります。

 

 

 

あとは自力で頑張るしかないのですが、ロマン派までの調性和声は通用しないのはもちろん、近代フランスやメシアンやスクリャービン、あるいは一二音技法でももちろんないので、中心軸システムやフィボナッチ数列などの基本的な知識はあっても、それだけで何もかもがスラスラ出来るほど簡単な問題でもないので、結局はエルネ・レンドヴァイの薄いバルトーク本を参考に自力で解明していくしかありません。

 

 

また「バルトークの作曲技法(エルネ・レンドヴァイ著)」はバルトークの作曲技法というのはちょっと言い過ぎな気がしています。本当にこの本に書いてあることがバルトークの作曲技法のすべてなのか?あるいはこの本に書いてあることがバルトークのすべての作品に当てはまるのかどうかはかなり疑問だったりします。

 

 

調性音楽のアナリーゼでも高度な曲になると複数の解釈が生まれますが、バルトークのような無調的な近代の曲のアナリーゼは私の解釈が絶対に正しいという事は絶対になく、あくまで「作曲する立場」の人間が見て、自分なりに応用するために作曲技法の法則化を行っていると視点で見て頂けると嬉しいです。

 

 

学術的な「研究者の立場」ではありませんし、演奏家さんにたまにアナリーゼのレッスンをやらせて頂きますが「演奏家の立場」でもないため異論反論大いにあると思いますが、一つの見方として以下冒頭をアナリーゼしていきます。

 

 


 

 

 

第1楽章は5部構成で序奏を持った変則的なソナタとも取れますし、リトルネロ形式とも取れます。アメリカ亡命後の作品なので、完全にオリジナリティーを確立した後の作品であり、典型的なバルトークの作品の1つと言ってもいいかもしれません。個人的には弦チェレ舞踏組曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタなどと並んで私の好きな曲の1つです。

 


 

 

まず低音弦で完全4度を意図的に活用しまっくたフレーズで始まります。

 

ド#とファ#以外はナチュラルなので、ド#を根音とすればC#ロクリアンを連想させます。ここではソの音が出てこないので、C#ロクリアンかC#フリジアンか断定出来ませんが、旋法的なフレーズでもあります(レ#はこの後バスで出てくるのでC#エオリアンはあり得ない)。4度堆積且つ旋法性の強いフレーズは如何にも近代音楽という感じです。

 

 

東欧の民謡には旋法で出来ているものがたくさんありますし、バルトークは下記の音楽論集でドビュッシーやラヴェルについても批評を書いているので、旋法を使っていても何も不思議ではありません。

 

おそらくドビュッシーとはまた違った方法(民謡研究の仕事)でバルトークは旋法を自分の音楽に組み込んでいったのだと思います。

 

 

全音出版のスコアによればこのフレーズはバルトーク著の「ハンガリー民謡(1995年出版)」に譜例86番で出てくるそうです。

 

 

類似するハンガリー民謡

 

 

ハンガリー民謡から引用された主題なのかもしれませんし(ハンガリー民謡には4度の旋律が多く見られます)、当時調性音楽を脱するために4度堆積を活用することはほかの多くの作曲家でも見られますので、本当のところはわかりませんが、近代的な響きを出すのに高い効果を得ていますし、普通に考えるならばハンガリー民謡の特性を自作に活かしていると考えるべきでしょう。

 

 

 

 

上の譜例はバルトークの「ハンガリーの風景  sz97」ですが、ハンガリー民謡特有の4度進行が頻繁に見られます。

 

従来のドイツ・オーストリア圏を中心とした音楽では3度が主要な役割を果たしていますが、ハンガリー民謡では4度も3度同じくらい重要に用いられています。このような4度進行が多く見られます。

 

 

実際のハンガリー民謡の譜例を一つ出したいと思いますが、すべてがこうなっているわけではありませんが、4度の動きが非常に多く含まれています。

 

 

 

 

バルトーク音楽論集

 

 

バルトークの民謡に関する研究成果はバルトークの音楽論集も読むと良いかもしれません。

 

そこそこ分厚い本ですが、バルトークが執筆をたくさん行っていたのに驚きました(約470ページありますが、この本は抜粋だそうです)。

 

民族音楽や当時の情勢について鋭い視点で書かれていますが、残念ながらバルトークの作曲技法の種明かし本というわけではないため、バルトークの技法を知りたい方が読まれてもそのまま答えが書いてあるわけではありません(多少のヒントはありますが)。主に彼の自伝的要素や研究成果論考になります。

 

 

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シェーンベルクの室内交響曲第1番の冒頭のホルンパート

 

 

 

民謡とは別の角度から考察すると、このような4度堆積の活用は少し先輩のドビュッシー(1862年生まれ)やラヴェル(1875年生まれ)における活用は言うに及ばずシェーンベルク(1874年生まれ)の室内交響曲第1番の冒頭のホルンパートのように4度→4度→4度→4度と重ねて従来の3度堆積和音との響きの差違を出す手法はこの時期には珍しくはないのでバルトーク(1881年生まれ)もそれを意識していたのかもしれません。

 

 

 

4度堆積で調性が消えるわけではありませんが、ロマン派的な3度堆積の印象とは全く違った響きが得られるので、おそらくそれを狙っているのでしょう。

 

 

低音弦の上で鳴っている1stと2ndヴァイオリンも見てみましょう。

 

 

 

低音弦のド#に対して高音弦がドで長7度の緊張感を作り出すところからスタートし、扇の開閉ようなフレーズが現れます。

 

7度は古典和声では不協和ですが、バルトークは協和音程のように扱っています。これは彼自身の言葉によればハンガリー民謡では3度、5度と同様に7度も協和音程と見做すところから持って来ているそうです。

 

 

ディヴィジされた1stヴァイオリンの上のパートは「ド→レ→ミ→ミ♭→レ♭→ド」とドからミまで上がってまたドに戻ってきますが、戻ってくるときは来た時と違う音を辿っています。1stヴァイオリンの下のパートも同じです。

 

2ndも似たような考えで作られています。一二音技法ではありませんが、多くの音を使うことで調性を消そうとしているような動きです。

 

 

 

次にフルートが上下に分かれて半音階を奏でますが、下がる方のフルート2は「ソ→シ→シ♭→ラ→ソ→ファ#」とソ#を敢えて飛ばしています。

 

明らかに意図的ですが、このフレーズのソ#ではなくソをスケール音としてみれば低音弦のフレーズはC#ロクリアン確定になります。

 

 

今度は低音がファ#になり、さっきと完全4度関係になります。

バルトークなら中心軸システムで増4度を持ってきそうですが、これはおそらく低音フレーズの4度の展開と思われます。

 

1st、2ndヴァイオリンがもう一度同じ道を通らない扇の開閉のようなフレーズを繰り返しています。

 

 

 

 

22小節目から27小節目まで3回目の4度主体の低音フレーズが始まりますが、今度はヴィオラも加わって3オクターブになり旋法もC#ロクリアンから24小節目でドがナチュラルになり、途中でF#ロクリアンに転調(転旋法)しているように聞こえます。

 

 

最後の「ソ#→レ#→レ#」はstringendo tornando al tempoⅠで盛り上がりと合わせて、30小節目からの新しい展開を導くための転調(転旋法)の取っ掛かりと取るべきと考えます。

 

 

 

 

テンポⅠに戻ってから弦の伴奏の上でフルートがソロを奏でますが、ここから中心軸システムの和声が始まります。

 

 

おそらくこの記事をご覧になる方は既にバルトークの中心軸システムをご存じであるか、それなりに作曲を勉強なさっている方だと思いますのでバルトークの中心軸システムについてはここでは詳しく説明しませんが、簡単にいうとサークルオブフィフスの反対側や短3度圏、つまり下の図のAの箇所(時計の3時)が本来のトニックですが、裏コードに相当するD#や短3度圏のCやF#も同じトニックグループとして調性の拡大解釈をする手法です。

 

 

【バルトーク 中心軸システム】で検索するともっと詳しく解説されているサイトがありますので、興味がある方は是非調べてみて下さい。

 

 

 

 

 

低音弦(ヴィオラ、チェロ、コンバス)はレ#のペダルを鳴らしていますが、これは嬰イ調の根音の保属であり、上部の弦楽器(ヴァイオリン)とフルートは反対側のイ調になっています。

 

 

 

バルトークはこの2つの調を1つのフレーズの中で同時に使用するため、通常の調性ではありませんが、基板は調性にあるため美しく聞こえるものが多いです。

 

 

ある意味でミヨーやシマノフスキのような復調のようにも考えられますが、2つのキーを完全に分離しているというよりは2つ(時にはそれ以上)を混ぜて1つの和声を作っているような使い方が多いので、バルトークの和声は考え方は中心軸システムに則った復調ではありますが、あまり復調と呼ばれることはありません。

 

 

赤と青を画面に明確に分けて配置し、2種類の色彩(調)を同時に使うのが復調だとしたら、赤と青を混ぜて紫にして新しい色彩(拡張された調?)を作り出すのがバルトークの作法です。

 

 

またイ長調ともイ短調も書かずに【イ調】と書いているのはバルトークがよく使うdur-mollの和音や調性設定が同主長・短調を同時に使うような和声を説明するためです。

 

 

 

dur-mollの和音

 

 

バルトークは上のようなdur-mollの和音の考えに基づくボイシングやフレーズをよく用います。ポピュラーの言い方だと上がAmコード、下がAメジャーコードですが、ある種復調みたいな和音です。

 

 

要するに同主調同士の関係ですが、この2つの近親調は通常の調性概念が拡張されて合体して扱われます。

 

 

つまりAメジャースケールとAマイナーが合体したようなフレーズが使われるわけですが、その観点からフルートのメロディーをもう一度見てみましょう。

 

 

 

 

ド#とドが1つのフレーズの中で入り替わり立ち替わり出てきますが、これはdur-mollの和音の考えに基づいてAメジャースケールとAマイナースケールが結合された和声の結果です。

 

 

考え方は復調と似ていますが、このように分離ではなく完全に合体して2つのキーが用いられることが多いです。もちろんオーケストラの場合はパートがたくさんありますので、分離して用いられることもあります。

 

フルートは2つの調の結合されたスケールで出来ていますが、1stと2ndのヴァイオリンは1stがAメジャースケールで、2ndがAマイナースケールの動きになっています。

 

 

 

 

バスのレ#の保属音に対して、1stヴァイオリンのトップノートは中心軸システムの正反対のラがソプラノで保属されます。

 

 

冒頭はDmコードになっていますが、内声のディヴィジされた1stヴァイオリンの動きを追ってみると、ソ#やファ#が出てきてAメジャースケールのような動きを連想させます。

 

 

対して2ndヴァイオリンのトップはファがナチュラルのままでAマイナースケールになっている感じです。ディヴィジされた2ndヴァイオリンの低音は冒頭と同じように、バスに対して長7度で緊張感を作り出していますが、このレはAマイナースケールの第4音と考えることが出来ます。

 

 

最終的には最初のDmコードに戻りますが、Aのdur-mollの発想に基づくフレーズのように私には見えます。間違っているかもしれませんが、解釈としては成り立ちます。

 

 

異論反論をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、調性音楽ではないですし、バルトークも何も語らず死亡したため、こういったアナリーゼはどうしても推測の域を出ることが出来ません。

 

 

 

 

各楽器が受け持っている調関係をまとめると上の画像のようになります。

 

 

まだまだスコアで言ったら1ページちょっとしかやっていませんが、こんな感じでどんどんアナリーゼしていきます。これはまだ単純なほうですが、ドビュッシーと同じく調を捨てているのではなく、あくまで調を土台に拡張した和声であるというのがポイントです。

 

 

シェーンベルクの十二音技法は完全に調を放棄していますが、ドビュッシーにしろ、バルトークにしろ、メシアンの移調の限られた旋法の2番、3番、4番~7番にしろ(特定の使い方をすればですが)、調を捨てているというよりは調を拡大解釈して使っているというのが私が大いに賛同できる点でもあります。

 

 

十二音技法のような調性を完全に捨ててしまった音楽はある種破壊的・地獄的な印象を感じ、私が感じる音楽の本質からは遠ざかっているように聞こえるため好きになれず、私はあくまで音楽は調性を土台に作るべきと考えています。

 

 

それは古典やロマンのような、あるいはポップスやロックのようないわゆる機能和声で作るということのみを意味するのではなく、調性という概念をさらに広く・深く掘り下げてさらなる可能性を追求していくことこそが音楽の正しい方向性のように感じるからです。

 

 

バロック以前の音楽を土台としてバロック音楽が発展し、それをまた土台として古典→前期ロマン→後期ロマンと発達してのですから、別にアンチ十二音技法ということはありませんが、やはり和声の発展の可能性は調や旋法を土台に考えるべきであり、仕事で作るBGMの合間に色々な作曲家のスコアを見ていますが、こういったことは色々勉強になって面白いです。

 

 

 

もちろんシェーンベルクやベルクやウェーベルンから学ぶべきものはないと言っているわけではありません、和声という範疇におけるコンセプトに賛同できないというだけであって、十二音技法作品にも学ぶべきものはたくさんあります。

 

 

あくまで調をより進歩させてそれを土台に広く、高く進むべきだという考えを私が持っているというだけであって、音楽はハーモニーだけで成り立っているわけでもありませんから、誰によらず参考になることはたくさんあります。

 

 

 

自分の音楽というものを考える上でも色々な作曲家の作品を見て、考え方を参考にするのはためになりますが、BGMのお仕事でもこうやって得た知識が意外と役に立つこともあります。

 

 

上の画像のように構造や作曲者の発想が自分なりに解釈出来れば(これが正しいかどうかは別として)、少なくとも似たような発想で自分で作曲することも出来るため、悪く言えばパクリ、良く言えば研究ですが、一人でウンウン唸って悩むよりも、色々な技術の習得にもなりますし、作曲時のアイデアとしても役に立ちます。

 

 

閉じた一人きりの世界で誰の真似でもないオリジナリティーを孤独に悩んで考えるのも大切ですが、広い世界を知って色々なものを見て、聴いて、その中で良いと思ったものを取り入れ、悪いと思ったものは放置して見聞を広めつつ修行を積むのがどうも私には合っているようです。

 

単純にBGMの仕事として考えるならば引き出しは多い方が有利であり、レパートリーが多くて役に立つことはあっても困ることはないため、是非作曲を勉強中の方たちにもたくさんの曲を聴いて勉強してみて欲しく思います。

 

クラシックでもポップスでもロックでも劇伴(BGM)でもすごい人がたくさんいて、得られるものがたくさんあるからです。

 

 

続き管弦楽のための協奏曲(バルトーク)のアナリーゼ②

 

 


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