久しぶりの投稿になりそうなので、いつ以来なのかな?と前回の投稿を確認したら1月31日の投稿でした。
1か月以上書いていなかったのだなと、少し驚いています。
アメブロはお知らせを中心に書いているので、この間にお知らせすることがなかったのかと言われたら、そういうことでもない。
大阪明想講座にも参加しましたし、その他に自分の講座もありました。
日々日々何かを感じたり考えたりすることもあるので、ネタがなかったのかというとそうでもない。むしろ書くことはたくさんあったのだけれど、単純に書いていないだけ。
せっかくアメブロに向かったのだから、単に告知やお知らせをして終わるのも芸がない。せっかくだから何か書こうと思う。
ご飯を食べたらお腹がいっぱいになって、お腹がいっぱいになったら何となく幸せを感じる。お腹が減っているときに用事か何かを頼まれると嫌な気分になる。それが「お腹が減っているから何か食べよう」と考えている時に用事を頼まれると嫌な気分は倍増する。それが仕事を終える間際のタイミングとなると嫌な気分は殺意に変わる。
それだけ激しい殺意を生むにも拘らず、お腹がいっぱいになると殺意はどこかへ消え去る。幸せ感も加わるので、どんな用事でも笑顔で引き受けることができる。
これはその人によって、個体差によって、殺意や幸せ感の程度は変わるのですが、大なり小なりそういうことだったりする。
お腹が減ると殺意が生まれる。
殺意が生まれる理由は、自分の身の安全が脅かされるから。だからその対象に対して排除しようとする気持ちが働く。排除しようとする感覚は「嫌だな」からはじまり、殺意にまで展開する。殺意が具体的に他人を傷つけるという行動に移ることは、単にお腹が減っている時に用事を頼まれたからということをトリガーに起きることはないと思うけれど、それだって個体差なのだから一概に否定することはできないのかもしれない。
程度の違いはあれど、お腹が減っている時に用事を頼まれることで嫌な気持ちになるきっかけになるのは個体差が少ない、比較的普遍的なこと。
それは身の危険を感じるからだということは先に述べたのだけれど、身の危険を感じるとそれを避けようとするのは個体の持つ本能的なものなのだろう。
誰かが何かを攻撃するとき、それはその個体の存在を危ぶまれているから。
それは「この程度で」ではない。「この程度で」というのはこちら側の価値観を相手に求めていることに等しい。その個体にとって存在を否定されるものであるならば、ランチの前に何か用事を頼むべきではないのだ。お腹がいっぱいになったら幸せ感を感じるのも、お腹が減ったら身の危険を感じるのも、本能的なことであり、普遍的なことである。
それよりもこちらの都合を優先するからぶつかるのだろう。有機的ではなく、なるべく無機的に考えることが人と人とのぶつかりを緩和し、人間関係をうまくやる秘訣になるのだと思います。
さて、久しぶりのアメブロでダラダラと書きましたが、次回からは再び告知一辺倒でやって行こうと思いますので、よろしくお願いいたします(^^)
画像は鳥取県琴浦町。琴浦アルプスと呼ばれる山々。
