何でもかんでも「いつでも、だれでも、簡単に」がよいわけではないと思います。
「いつでも、だれでも、簡単に」は間口を広げ、とっつきやすい雰囲気ですが、それでは深みは出ない。
只単に年月を重ねたらよいというわけでもない。
もともと日本人はわびやさびを愛でる気質があります。
「いつでも、だれでも、簡単に」にさえもわびさびを感じるのが本来かもしれませんが、私にはなんだかそうは思えない。
世間では骨盤専門の整体や肩甲骨専門の整体があるようです。
先日、町を歩いていましたら、そのような専門店の看板を見かけました。
骨盤や肩甲骨だけでも大したもんだと思いますが、なんと腰痛専門の整体というのもあるらしいです。
骨盤や肩甲骨、腰痛の専門というわけですから、専門的にかなりの知識や技術をお持ちなのでしょう。
そして専門的に骨盤や肩甲骨だけを、そして数ある症状の中で腰痛だけを長年の間、研究に次ぐ研究を重ねて来られたのだろうと思います。
私はそのような専門店の看板を見て思います。
人間の身体というのは、その部分部分それぞれに独立しているものではなく
すべてが統合しているものではないのだろうか、と。