はじめまして。
pieni puu ( ピエニプー ) です。
姉妹の子育てをしながら
刺繍をしたりイラストを描いたりしています。




さて、いきなりですが
記念すべき1回目のブログということで

まずはわたくしのこどもの頃から
今日までのこと。
簡単にお話させてください。

簡単に、とか言いながら
それなりに生きてきたので
ごめんなさい。
まあまあ長いです笑



こどもじだいの話



わたしは

九州の南の方
二人きょうだいの長女としてうまれました。


物心ついたときから、絵を描くのが好き。
紙とえんぴつを与えておけば
終日楽しく時間を過ごせる子どもでした。


振り返って、断片的に覚えているのは
( 多分3〜4才?)
アンパンマンを描くのに
思うような"綺麗な丸"が描けず

ひたすら何枚も何枚も
紙に丸ばかりを描いた記憶です。



そこそこ、丸の合格点が出せるようになり
アンパンマンを描くことは辞めました。
( アンパンマンの卒業です笑 )



保育園では、外遊びがイヤすぎて
あるとき一度だけ
「お外に行きたくない」
ごねてみた記憶があります笑

当時の担任の先生が
「じゃあお部屋でお絵描きして待ってる?」
と提案してくれ ( 理解のある先生!)


みんながいなくなった保育室で
外遊びを楽しむ友だちの声をBGMに
自分だけの時間の中で絵を描けたことが
こどもながらに幸せで幸せで…
わたしの中の原体験として残っています。

その幸せの感じ方、今と同じだなあ笑




つまずいた!




そんな私ですが
このまま、好きにまっしぐら!
とはいきませんでした。


高校は、地元ではわりと難関だった
デザイン科に進みましたが
そのあと美大受験に失敗。

今思えば
失敗と捉えるには早すぎて
受験結果は人生のただの通過点
にすぎないわけなんだけど

若いから、人生終わった!ってくらい
そりゃもう落ち込みました笑


夜遅くまで、土日も、夏休みもなく
デッサンしまくりで 
( ほんとうにそれくらいしないと
現役合格は難しかった )
疲弊しきっていて

自分と向き合う余裕や
心の声を聞く決断力をなくしていました。

さらには家庭のことや
まわりの進路
いろいろなことが気になって
自分の選択ができず

次第に、視界の晴れないモヤモヤの中へ…笑

当時、まさにこんな景色が

わたしの目の前に広がってました笑




そうしてわたしは
ものづくりとは関係のない短大へ進学。

そこからしばらく
何が好きかを思い出すリハビリのような
数年間を過ごします。



そういえばこのリハビリ期に
ミナペルホネンの
皆川さんのものづくりを知りました!
( ミナペルホネン分からない方は調べてみてね )

大量生産・大量消費に背を向けて
ブランドを作っている人がいるのかあ
と、20才ごろのわたしには
灯台のような存在となりました。

当時から持っている、ミナペルホネンの書籍



地元のヴィレッジヴァンガードで
北欧デザインのことを知り
いつか北欧に行ってみたい!
と夢見ていたのもこの頃です。

実際に行くのは
ずいぶん先になるのだけれど。




さ!話を戻しましょう。




「すべり止めの美大はうけません」
自ら好きなことを手放そうとしていた私に

「地方の美術系でも受けときなさい!」
最後まで説得してくれていた先生のことばを

20年経つ今でも思い出します。



「まさき さん!(わたしの旧姓)
 一度畑を変えてしまうと
 戻ってくるのは大変なんだぞ 」



佐藤先生、本当にその通りでした…



どんな形であれ
" 好き " は手放さないのがいい。
細々とだっていい
毎日じゃなくたっていい。
とにかく今ある環境の中で
好きなことをやる!

環境を手放すと
いろいろと難しくなることを知る
初めての挫折でした。





その後どうなったかというと
短大卒業後
3年間の社会人経験を積みつつ
お金をためながら
若人時代を過ごします。


働きながら
ファッションショーの手伝いをしたり

当時から古いものが気になっていて

でも今みたいな
おしゃれ蚤の市はまた無い時代で

おじさんおばさんに混ざって笑
骨董市に通い
古いものを一人暮らしの部屋に
持ち帰ってみたり笑


迷いながら
いろいろ試し、確認していく。
そんな時間を過ごしました。
そんなあるとき

 あなたは東京に行きなさい。
 小さな部屋の中に閉じこもって
 小さな穴から世間を覗くのではなく
 広い世界、本物を見てきなさい。

ある人生の先輩からこんな言葉を頂き
わたしは地元を離れることにしました。




20代こうはんの話







東京にきてから

映画やCMの美術・装飾の仕事を
モラハラ・パワハラ・セクハラと
闘いながらやったり

縦社会の根性論が蔓延っている
業界に嫌気が差して

その後インテリアショップに転職したり

そのインテリアショップで
なぜかアパレル担当に
なったりしました。


そこでは売場作りや
コーディネートを考えることが楽しく

お客さんと話す才能?が
突如として発揮され
年間売上MVPを頂いたりしました。

少しづつ少しづつ
好きな事と得意な事が
重なりはじめた
ような感覚がありました。



このまま、このショップで
働くのも悪くないかな…
と思いはじめた頃
長女の妊娠が分かり
ショップはやめることになります。


委託させて頂いているおおまえ布店さんにて

お客として撮った、妊娠中の貴重な写真💦




母が手芸が好きだったこともあり
刺繍もそう
カーテンをぬったり染色したり
布、糸、針には昔から慣れていました。

出産を控え、お互いの両親とも遠く
家で仕事したいと思っていたこともあり

これまで身近すぎて気付かずにいた
布を扱う手仕事で
何かしようと思ったのです。



ショップでの販売経験も経て

どこでも買える大量生産のものではなく
私にしか作れない
唯一無二のものを届けるのだー!と。

すこしだけ
覚悟のようなものが生まれていました。




刺繍を発表するまでの話







『 pieni puu 』はフィンランド語です。 

刺繍を本格的にはじめる前年。
北欧ジャーナリストの森百合子さん企画の
蚤の市ツアーに参加し

ようやく!
フィンランドとスウェーデンに行く夢
が叶いました。

そして森さんに
自前の刺繍バックをお見せする機会があり
とてもすてきだよ!
と誉めて頂いたのです。


 もしかしてわたしの刺繍
 ひと様に発表してもいいのかな


このことがきっかけになり
刺繍作品を発表していくことに!

森さんが年2回開催している

レストランデイに向かう瞬間!



はじめて行った憧れの国 フィンランド。
そしてこれは恐れ多いので、小さな声で言うけど…
皆川さんの
ミナペルホネンと同じフィンランド!
( ミナペルホネンはフィンランド語で"私"と"蝶" )



 よし、ブランド名は
 フィンランド語にしよう!





​pienipuuの由来




『 pieni puu 』は

  フィンランド語で " 小さな木 "


『 pieni 』が"小さい"
『 puu 』が"木"です。


『 pieni 』小さい には
大きなものを大勢で作るのではなく
自分でできる小さなものを丁寧に作っていく
という意味を込めました。

"puu"木 には
私の作品が少しづつ
根をはり枝をのばし
葉をつけ年輪を増やしていくように

それぞれの場所で
思い出とともに育ていって欲しいという
願いがこもってます。





ロゴマークが「木」ではなぐ「鳥」なのは
小さな木にも、鳥が集まり宿るように
出会いや楽しいことが集まりますように!
という願いから。



ちなみにこのロゴは
長女が小さい頃に描いた絵です。



娘たちに
こんな働き方もあるよ!と
背中を見せられたらうれしいし

大人になった娘が
「このマークは私が描いた鳥だよ」と
言えるくらい、長く続けられていたら
こんな幸せなことはないと思います。

小さな姉妹とメンタル弱々の新米ママと呼ばれる頃の私

( 抱っこひも、ゆるすぎない?笑 )





いまの話





そんなこんなで
pieni puu が刺繍作品をつくりはじめて
もうすぐまるっと
3年が経とうとしています。


全てが自分で完結できる。ひとりでやる。
というこの感覚。


これはあの時
自分だけの時間の中で
絵を描くことが
楽しくて楽しくてしかたなかった
あの感覚だ!と思っています。


( 遠回りしたけど
でもいろいろ経験して
ようやく原点にかえってきたよ〜 )



ここまで続けられていることに
今は感謝しています。

当初の想いどおり
作品作りを通して
委託先のオーナーさんや
作品をお迎えしてくださった方々
作家の仲間たち

たくさんのうれしい出会いがあり
声をかけて頂く機会も増えました。


自分の得意が活かされ
自分以外の誰かの日常を
楽しい方へ導くお手伝いができたり
わくわくご機嫌でいるきっかけを渡せたり
自分の好きを大切にしてもらえたり
自分らしい生き方や暮らしに
シフトするヒントになればいいなあ


と思いながら
これからも針を進めていきます。






これにて
pieni puu のはじまりの話は
一旦おしまい。


最後まで読んでくれて
ありがとう。






昔を振り返るのって
恥ずかしくって、愛おしいね〜笑




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