中森明菜さんのこと | 魔法の呪文をふりかけて…ポンポコ コンコン
どもです。Kiriです。

今回は前回の続きになります。
よろしかったら前回の記事、どぞ、です。



「駅」
中森明菜バージョンと竹内まりやバージョン。
このふたつのちがい、それを書こうと思ってたんだけど…

でも、その前にちょっこっと寄り道。

中森明菜さんの話。
という訳で、彼女の音楽。

desire 中森明菜


この曲を初めて聴いたとき
いや、ちがうな。
テレビで観たんだと思う。

オイラはふっ飛んだ。
スゲエ。

ひたすらビックリした。

この世のものとは思えなかった。
衣装もすごかったモンなぁ。
ニッポンの伝統を素材に、
それをまったく知らない異国の人が作ったような…。
ヘアスタイルも、オカッパスフィンクス。

彼女、突き抜けちゃったなぁ。
オイラはそう感じた。

神がかっているのか
妖かしになってしまったのか
この世の存在じゃなくなっちゃった。

アハハハハ
ちょっとオーバーか…。
でも、インパクト、すごかった。

オイラは歌手じゃないから
歌手が歌ってるときの心境はわからない。
なので想像する。

普通は、音楽の世界に入って
歌の主人公の世界を演じるのじゃないかと思う。
だけど、この曲を歌う明菜さんを初めてみたとき

おおおお、歌そのものになっちゃってる。
そう、妖かしが、化けて、音楽になっちゃったぞぉ~、そんな感じ。

鳥肌がたった。

書くにあたって、ウイキを調べてみたら
1986年にヒットした曲らしい。
ホント、時が経つのは速い。
もう37年前になるのか。
昭和の時代。

あの頃と音楽もずいぶん変わった。
今、この曲を初めて聴いたとしたら
そんなに衝撃を受けないかもしれない。

だけど、ひとつ当たってたみたいだ。

なんだか、キツネが歌ってるよに、見える。
そうか、明菜さんはキツネ憑きだったのか。
37年後にまたまたオイラは、鳥肌がたった。



「駅」
「駅」もウイキによると1986年に発表されたようだ。

当時、
音楽仲間の家で、酒を飲みながら聴かせてもらった。
アルバムの中の一曲だった。
オイラは、そのアルバムがとても気に入り
録音してもらい、何度も聴いたっけ。

やっぱり、この人は、
演じるというより
歌の主人公、そのものになってしまってる。

オイラはdesireを聴いたときと同じように感じた。

聴いた人にそういう印象をもたせちゃう歌手って
表現者として、非凡なんだろうと思う。
それって、歌がうまいより、すごいコトだと思う。

そして1989年。

近藤真彦のマンションの部屋で彼女は自殺未遂を起こす。

オイラは、練馬区の江古田にある居酒屋のテレビで知った。
平和に飲んでると
突然、アチコチから、声があがった。

「え~っ」
「ホントぉ~」
「信じられない」

それから静かになった。
テレビからアナウンサーの声。

「中森明菜さんは救急車で搬送されました。
詳しい状況はまだわかっていません」

突然、居酒屋の空気が変わった。
なんだか一気に温度が下がったような、そんな感じだった。

やっぱり、彼女は歌の世界そのものだったんだなぁと
オイラは思った。

孤独な狐ツキ。
哀しいな。

時代に選ばれちゃった非凡な人って
ささやかな幸せって手に入れられないんだろうか。

♪真っ逆さまに落ちてdesire
炎のように燃えてdesire

次回、聴き比べ、行きますね。



でもって、最後にちょこっとだけ、おまけ。

たった今、野澤監督から電話が入りました。

「アイダさん、大変な事が起きた。
今日の朝日新聞に「認知症と生きる」の紹介が出てなかった」

2、3日前だったと思う。
野澤監督と電話で話した。
そのときの、どうだ、えへん、というような誇らしげな声。
オイラは忘れられない。

「アイダさん、8月5日の朝日新聞に「認知症と生きる」が紹介されるから」

そして、今日の電話。
何、載らなかったのか?

詳しく事情を聞いてみると
東京版にだけ掲載されたらしい。

残念だなぁ。
全国区じゃなかったのか。

ジプリの「君たちはどう生きるか」は
映画が公開されるとだけ告知して
映画の内容はシークレットだったらしい。

それでも、大ヒット。
話題になってる。

「認知症と生きる 希望の処方箋」は
ニッポン中で
内容はもちろん
そんな映画が作られて公開されるぞって
知ってる人はほとんどいないんだろうなぁ。

小さな声だけど
叫ぼうと思う。

「認知症と生きる 希望の処方箋」は、
8月11日、新宿武蔵野館でロードショー。

内容は、ジプリを真似して、アハハハハ、シークレット。