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座学(1)の続きです。

 

【女性解放運動とともに現代化】

1893年
アメリカ、シカゴで開かれた
コロンビア世界展覧会で

お腹を動かす珍しい踊りが
注目を集めて

その踊りの名前は
「ベリーダンス」を名付けられた。


その後、ベリーダンスは
ハリウッド映画で流行した
ナイトクラブにも

神秘的でセクシーな

オリエントの踊りとして登場。


ダンサーの動きや
身体のラインを強調するために

今日のような
ブラとベルトのセパレートタイプの
衣装も用いられるようになった。


それが逆に、エジプトにも影響を与え
 

1926年に
カイロに出来た観光客向けの
ナイトクラブでは

欧米風の衣装、踊り方と伝統的な
踊りを融合させた

豪華なキャバレー・レビューが
上演された。


アメリアでは、1960年代に
社会的抑圧からの
女性解放を目指した政治運動や

性に対する意識改革が起こり

女性性を強調するイメージが浸透していたベリーダンスは

女性開放の踊りとして
評価されるようになる。


1987年 ATS(アメリカン・トライバル・スタイル)が1987年に確立。

 

オリエンタルスタイルをベースにしながらも
群舞を通して仲間同士の友愛を
大切にする独自のスタイルや
  斬新な衣装が支持され

やがてはアメリカ中、そして海外にも広がっていった。

【そして現在】

アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、中国、韓国、ブラジル…

現在、ベリーダンスは
中東地域だけでなく

世界中で愛され踊られている。

それは、移民やマスメディアなどを通して伝わり、
違う土地の人々に吸収される中で

絶え間なく変わり続けてきた。

近年は、国際的なショーや
フェスティバルも開催され

国境を越えた交流が盛んに行われている。

日本でベリーダンスが本格的に
学べるようになったのは

1980年代から。

21世紀に入り
急速に女性たちの間で認知されはじめ

いまや、教室は
数えきれないほど。


都市部ではあちこちで頻繁に
ショーをみることもできる。


歴史的に中東との関係が浅く、
ヨーロッパの文献を通して
「砂漠とらくだ」

というイメージが定着していた日本では

これまでベリーダンスについて
あまり深く知られていなかったが

中東やアメリカなどから同時期に持ち込まれることで、
さまざまなスタイルが浸透することに。

 


さらに日舞や、舞踏などとの融合といった
日本独自のスタイルも形成されてきている。


ベリーダンスは
これまでさまざまな事象の影響を受け、変化してきた。

けれども
どんなに時代やスタイルが変わっても

古代から躍られ続けてきた
そのダンスの魅力は色褪せることはない。

これからもますます
多くの人々によって愛され、

大切に育まれていくことだろう。