坂村真民さんの詩 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

2022年10月31日

午前05時46分


今朝は起きてすぐに、なぜか、坂村真民さんの事をふと思いました。

寝ぼけたまま検索をし、詩を読みました。





何度となく読んだことの詩もあれば 

初めて目にするような詩もある中で


坂村真民さんの詩は、いつ読んでも、ちょうど読んだところが心に沁みて

ああ、ありがとう。

今日も元気に頑張ろうと思うのです。



2009年11月17日(火)
老樹

よくわたしは樹齢何百年と言われる木に会うと、悲しくはないかと聞くのです。そうすると彼等は必ずこう答えてくれます。

 悲しくなんかありませんよ。一しょうけんめい生きているものには喜びだけがあって、悲しみなんかありませんよ。わたしの葉を噛んでごらんなさい。生き生きしているでしょう。朝は朝日を受け、夕べは夕日を受け、こうして立っていますと、自分が老いていることさえ忘れてしまいます。春夏秋冬いろいろの鳥たちがやってきて、いろいろの話を聞かせてくれます。肌は老いても心だけは若木と同じです。

 
どの樹もいつもこんな話をしてくれるので、わたしも彼等と同じように生きてゆこうと思います。


坂村真民 一日一言より


いつだったか、手相を見て頂いた時に、鑑定士の方が私に木の話をしてくれたんです。



話の前後を省くのでよく分からなくなってしまいますが、

わたしの持つ性質について、励ましの言葉を下さってそして、こんな事を教えてくれました。


「あなたは木に抱きついて、要らないものは吸い取って貰ってそれから家に帰るとかね、そういう事をしたら良かったんです。そういうことを、本当はあなたはね、小学校の入学式で、担任の先生から教えて貰うべきだった。そんな言葉を子どもの頃に大人からかけてもらえたら良かったよね。」


その言葉を聞いて、何故だか涙が出て来たのを思い出しました。

木って、すごいですね。


子どもの頃に大人から安心を与えて貰えるというのはその子の人格を育てることにおいて、とても大切なことです。

子どもの頃に、こんな木の話を聞けたら楽しかっただろうなぁ。


それと、何年も昔のことですけど、アファメーションについて困っていた時も、木と対話する話に出会って、それに救われたことがあって、私は木や植物に随分助けられる人生なんだなぁと思います。


明日公園で木と話してみよう。