過去の記事より、『ブレない自分になりたい』という願いについて思うこと』
2018年7月
-----
よく、ブレない自分でいたいんです。
という言葉を耳にします。
私もすぐに消えてしまう自分や、ブレてしまう自分を感じては、「ブレない自分」というものに憧れ、そうなれることに希望を抱いていました。
『ブレない』為に、自分の心を整えてみたり、鍛えてみたり、試行錯誤していた頃、あることに気がついたんです。
今日はそれを書いてみたいと思います。
⌘
ブレていない状態に憧れを抱く人は、周りに影響されて自分を見失ってしまったり、ネガティブな囁きに騙されて自分のしたいことが出来なくなったりすることにがっかりしていて、そうじゃなくて、真っ直ぐにすっきりと、自分自身を感じていたいと願っているのだと思います。
周りとの境界線が曖昧だったり、影響を受けやすくて、自分自身でいることが難しいと感じたり、
それによってすごく疲れやすかったり、外出も嫌になって来たり。
そういう現実があるから、ブレたく無いのだと思います。
そして、
ブレなかったらどうなるかなんて、はっきりと分かっているわけではないけれど、ブレていない方が何だか良い気がしてブレない自分になるんだ!と、自分を鍛えたり、整えたりするのだと思うのですヨ。(多少違うかもしれないけれど、そのまま進めます)
しかし
理由があってブレてしまうのであって、ブレているということ自体が間違いだということでは無いのではないだろうか。
もしたしたら、ブレていること自体が自分を助けているのかもしれない。。。
そう思ったのです。
なぜブレなければならないのか?
無意識の立場に立てば、正当な理由があり、だいたいは、自分を守る為にそうなっていそうです。
ですからせっかくブレているのに、ブレててはいけない!ということで、「ブレている自分」を責めたり、ブレないようにと、なにか負担をかけたりしてしまうと、余計に辛くなるのだと思うのですよ。
ブレているその奥に何か理由があるのだから、その奥の何かを見つめないことには、現実では同じことが繰り返されます。
(ブレてしまう理由の一つには、受け入れられないのではないだろうか?という強い恐怖心が隠れていたりします)
意識の方ではなくて
無意識の方では、ブレている必要を感じている自分がいるのかも知れないし
ブレていることで、自分に知らせたいことがあるかも知れない。
ブレているように感じたり、見えたりしていたとしても、無意識では、その時その時で、必要な選択をしているのだということです。
ブレブレが直ることは、自分自身が楽になる。だったり、何かしら自分にとって良いことに思うかもしれないし、強くなれるというか、周りに影響されず、楽になれるような気がしないでも無いのですが、(それは多分きっと事実なのだとは思うけど)
無意識的には、正当な理由があってブレてるのですから、
自分自身が、その理由を気づいてあげて、受け入れ、認めていかないと、
刈っても刈っても草が生えてくるみたいに
それは、キリのないことなんだと思うに至りました。