2017年8月4日の言葉です。
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◆こころの傷を癒す時、回復のために本当に必要なこと。
こんにちは。
色々な所で、回復するための、よりよく生きるための、色んな方法を見かけます。
たくさんの情報で、
混乱しちゃうね
今日は私の思ったことを、自分の体験や、虐待サバイバーからの回復途中の目線も交えて、書いてみたいと思います。
◆
もしかしたら、解決しようとしない方がいいんじゃないのかな?
私の生きづらさの問題は
問題点を探してしまうことなんじゃないだろうか?
はじめから、そうはっきりと意識出来たわけではありませんでしたが、
そう思いついた時から、私は自分が何を問題視しているのかを観察し、見つけては許し、ジワジワと楽になって行ったように思います。
問題視を止める事は、心に張り巡らされた監視の目が消え、自分を縛り付ける鎖がほどけるような体験でした。
問題視しないこと。
これは、周りの方に支えられる毎日の暮らしの中で感じて行った事です。
誰にも何も言われず、過剰に注意されることなく、嫌味も言われず、攻撃もされず、日々当たり前の生活を送って来れたある日
自然と
ああ、私の問題って、自分を問題視する事が問題だったんだ。と、気づいていけました。
(こんな風に文字にして書いて見ると、当時の生活は、当たり前に人に与えられるべきである、安全で、なおかつ安心できる生活環境というものが無かったんだな。)
緊張してたんだね。
こんな風に、ただただ穏やかさの中にいるということが、ゆっくりゆっくり私を癒してくれました。
ゆっくりゆっくりというのもポイントで、
早く治りたい、癒されたい!解放されたい!と思ってしまうけれど、切り傷だって完全な皮膚に戻るまでには時間がかかるのだし、大怪我なら尚のことなのですよね。
心のことって、時間がかかることが多いです。
ぼちぼち行きたいですね。
時間のかかる自分を許す必要もある。
ましてや、自分の傷の大きさに気づく感覚さえ麻痺してしまいがちな私たちは傷の痛みを、ちゃんと自分のものとして感じるまでにも時間がかかりますもんね。
傷ついている自分がいるのは、自分が弱いからではないし、弱いから痛いではないよ。
痛いという事を安心して感じられるようになっていくと、回復への許可もおりて、そこからリズムよく、心が開放されていくように思います。
私自身、「痛くても良いのだ」「大丈夫なんだ」と、感じられるようになって、その感覚を信じられるようになった時から、回復するスピードが早くなっていったような気がする。
◆
穏やかさの中にいれば、少しずつ傷は癒えて、整い、自分が育っていく。
私はそう信じてる🌷
先日、たまたまフラワーエッセンスのバッチ博士の本を読んでいたらね、バッチ博士のこの言葉が目にとまって、それが、なかなか良かったです。
“ ここで自分の欠点を見つけた際に忘れてはならないのは、欠点と直接対決したり、意識して無理やりに欠点を押さえつけたりするのではなく、欠点と拮抗する徳を着実に育てることで自分の性質の中から自然に悪い要素を洗い流すという療法を取らなければならないということです。
このほうが欠点と戦うにはずっと簡単で効果的です。
自分の欠点を気にせず、欠点が来る隙もないほどの徳を育てる努力を意識的にすることが本当の勝利です。 ”
欠点と戦うことは、より問題を大きくするし、苦しいんだよね。
そんなことより欠点のその反対側を育てようというような事が書いてあったことについて私はとても嬉しくなりました。
『それだそれだ、素晴らしい』
すごくホッとしました
例えば自分なんてダメだ、、、と思ってしまう場合、そんな自分に抵抗して
自分をダメだと思わないようにしようとしても
身体は固くなる。
それより、そんなことは忘れて、わたしが(あなたは)自然にしていればいいのです。
ただ花を眺めていればいいのです。
ゆったりした時間に
会話したりね(o^^o)
ふと、思い出すことがあるかもしれません。
涙が出てくることもあるかもしれません。
ゆったりとした場や空間は
傷を癒すのに適しています。
私たちの回復は
螺旋階段を登るようなものだと、
昔、何かの本で読んだか、教えてもらったことがあります。
同じところをぐるぐるしているようでも
前より少し薄皮が剥けて自分に近づいているのだ。
いつも同じ事が繰り返されているようにも思える。けど、一回も同じではなかったはずです。
ひとつひとつ、
向き合った所が違うんだと思います。
ですから、欠点を無くそうと戦ったり、早く手放してしまいたい思い癖や、鎧のように貼り付いた自分の癖を、早く剥がそうとしないであげて欲しいなぁと思います。
私もやりがちなのだけどね。
必要があって貼り付いているんだもの。
きっとそれは、必要じゃなくなったときに自然と消えるんだよね。
自然と消えて無くなるまでは、貼り付いていても大丈夫なんだと思うな。
必要があって、あるんだもの。
その、貼り付いているものを、ブロックと、呼ぶ場合もあります。
ブロックがある自分で大丈夫。(段階があるからね。まずはそういう自分のままで大丈夫ってことを知ることからなんだね)
わたしは、この、『欠点と戦わない』というバッチ博士の考え方の元作られたフラワーエッセンスに随分救われてきたんだなぁ。
お花の力って凄いなぁと、改めて思います。
欠点が出てこないように抑えつけたり、自分に足りないものを努力して付け加えることにエネルギーを注ぐのではなくて、
反対側にあって、まだ未知である素敵な性質を育てようという姿勢。その姿勢や考えが好きです。
素敵だ。
ブロックや思い癖はそのままに自分の得意なことや好きな事に力を注いでみると良いんだよね。これはとても良いですね。
本を読んだり、手を動かしたり、何だって良いから、自分の好きなこと、好きだったこと。
自信がついたり、楽しい気持ちになれたり気分転換にもなるし。
◆
癒すための本や、楽に生きるため、よりよく生きるためというテーマを扱った書物やブログは世の中にたくさんあるけど、読むと混乱するものも多いです私。
心理や心の仕組みは、面白く、なるほど、と思うことも多いけど、まず、ゆっくりと労る時間が大切なんだと、体験から知っています。
傷ついてしまったバランスの取れていない心の状態のまま、心の仕組みを知っても
自分のマイナス点や情報を当てはめてしまうだけだし、混乱してしまう場合も多いよね。
何事にも段階があるから
心が傷つき、心の筋力が弱まっている時、
バランスが崩れている時は
仕組みを知ろうとするより、ゆったり出来るのがいいね。
人それぞれ、色んな段階があり
みんな途中なんだもの。
深く傷つき、癒されようとするときは心の仕組みを知る必要もないし、よりよく生きるための勉強をする必要もないよ。
ただ、花を眺め、海に行き、風を感じて
ゆっくり休めばいいよ。
本当にそれだけだなーって、思います。
別に深く傷ついてなくてもね 海や山に行くだけで、元気になれるよね。
遠くまで行かなくても
近所の公園で十分さ。
自然というのは、不思議。
自然って本当に自然です。
自然と無理なく癒してくれます。
◆
情報が溢れる社会なので、
色んな人が色んな事を
時に自慢げに、仕組みを書いたり伝えたりしているけど(笑)
しかしそれは、深く傷つき。癒やしが必要な人には(クライアント、お客さん、色んな言い方がありますが)知る必要のないことかもしれません。
大丈夫なんだと知って、待てば良い。
〇〇しないと〇〇になる、なんて
決して煽らないで欲しいなぁ。
そんなことを、ここ最近は思っています。
あれこれ気にしないのが一番良い。
わたし、
傷ついた心を癒すのなら
ただ、美味しく食べて
よく寝て、遊び、笑い、
脅かされず、安心のなかで過ごせること。
それで十分なのだと思っています。
ひとつひとつ、そのための環境を、
自分のために与えることって
けっこう難しいのかもしれない。
あれこれ言いたがる人って多いしね。
まず、安心に慣れること。
それも、被虐者にとっては
感覚的に難しいものだと、回復しながら
私は知りました。
けど、大丈夫で、安心感が定着するまで少ししんどいかもしれないけど、私たちはちゃんと安心して行ける。
とっても大切なことは
たぶん、
信じてみること。
欠点を見つけるたびに、
不安に襲われるたびに、
だから、私はダメなんだと、
そう思ってしまうかもだけど、
それでも、
きっと何とかなると、希望を失わないことは
とても大切なこと。
きっと何とかなるよ。と、未来の自分が
今の私に微笑みかけてくれるような。
そう信じていることで
たったそれだけで、何とかなって来たような気もします。