◆被虐者にとって愛や優しさは居心地の悪いもの。 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

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おはようございます☕️

随分前の記事です。
今、関心のあるがいらっしゃるか分からないですけど、回復に関するお話は、書いた時から、時々手直ししては更新しています。

こういう細かなところを、丁寧に見ていけると、随分最悪の状態からでも、回復していけるものなんだなと感じています。




『被虐者にとって、愛や優しさは居心地の悪いもの。』2016年6月23日

【安心について】
被虐待者にとっては『安全で安心な場所』というものが必ずしも居心地の良いものとは限らないという、当事者にとって、とても混乱しやすく、躓きやすいところについての話。



私の当時の主治医の先生と私の会話より~

先生『今日はカウンセリングでしたか?』

私『はい。(カウンセリング)疲れましたぁ。いっぱい話しました。
毎回、今日は何にも話すことなんてないと思っていても、話すと出てくる。も~キリがないくらい出てくる。

先生『そう、、、それは、日常の中で抑え込んでいるモノがたくさんあるってことなのかな?』

私『ううん、違うんですよ。あのね、最近書類をね、たくさん書かなくちゃいけなくて。それであの、私、書類アレルギーなんです。北海道で一人でたくさん書類を書いたじゃないですか、薬をてんこ盛り飲みながら、朦朧としながら、たくさんの手続きを。
あれからもう、書類を見るのも嫌で。
書類はただの書類だけど、それに付随して、呼び覚まされる記憶というのがあって、
そういう、今現在の出来事から呼び覚まされる過去のこととか、小さい頃に感じることの難しかったこと、今になって気づくこととか、そういう気持ちを整理整頓するというか、そんな気持ちをカウンセリングで話してます。」

〜中略〜
「先生、私は、安心感の種が少ないみたいで、大嫌いな書類を見ていたら、不安な気持ちになって来たんです。
パニックというか、PTSDというか。

原因はなにか?なんて考えても仕方ないことを考えてしまったりして、更にどんどん不安な気持ちになって来てしまって。

気がついたらまるで、毎日は実は薄氷の上、みたいな感じです。
あれ?さっきまで安全で楽しい原っぱに居たはずなのに、そうか、ここはまだ薄氷の上だったの?そんな感覚になります。
なんだか急にね、景色だけがガラッと変わってしまうんじゃないかって、怖くなるんです。

私は何も変わらないのに、のほほんと平和に楽しくしていたら、景色だけがガラッと突然地獄になるんじゃないかって、まるで、突然ページが変わったみたいに。そんな風になってしまうんじゃないかって、不安感が常にあって、、

そのイメージがしんとくて。
なのでそういうのは無くしたい。もうそんな記憶要らないです。』

先生『安心感の種かぁ。。。』

私『そうそう。安心感の土台みたいなもの。
あの、アメリカのね、虐待治療の専門病院ではね、まず、なでなでするとか、背中をトントンするとか、そういうコミュニケーションの治療をするそうです。例えば言語に障害があったとして、いきなり言語のリハビリをしても良くならないんだって、最初にね、トントンとかナデナデとかそういう治療があると、その後の治療が上手くいくんだそうです』

先生『僕はそれは大賛成だなぁ~~、そういうね、言葉にはならない、コミュニケーションというか、安心感の部分というのは、大きい。
そこには凄まじいものがあるんです。そういう部分を少しずつ積み上げることが大事です。』


私『私は、今の暮らにになって、少しずつ、安心感を覚えてきました。けど、
例えば子ども時代に辛すぎる経験が多かった人特有だと思うんですけど、
先生、安心ってね、全然安心できないじゃないですか⁈

先生『そうそうそう、そうなんですよ。
虐待を受けた人は安心感というのが怖いので、そこで、誰かに尽くすことで不安感を消そうとして尽くしすぎてしまったりね、するんですよね。』



【安心感って、全然安心じゃない】

それを知ったのは随分前だけれど
知った時に心底ホッとしたのを、
今でも鮮明に覚えています。

安心できなくて当然なのです。


しかしわたしは安全な環境ができたら
もっとホッとするものだと思っていたのです。

安全な環境があればすぐにホッとして
安心して生きていけると思っていました。

けど、実際は安心は居心地が悪く、安心どころか、怖く感じてしまい、本当に驚いたのです。

安心した場所というのは、なんだかふわふわしていて、何となく居心地が悪い。

ギチギチに縛られて鎖で繋がれていたほうがよっぽど安心。

だからって、
そんな風に不自由で不安感いっぱいの生活はあまりいいもんじゃない。


だから安心というものを、私の心と身体がちゃんと、安心安全なのだと分かるまで、覚えるまで、
ゆっくりゆっくり積み上げるしかないのだよね。


安心に安心できるようになるまで
まるで修行のように辛い時もあるけど。


撫でられると気持ち悪い。
ゆっくりしてるのも怖い。

微笑みかけられるのが、薄気味悪く感じてしまって気持ち悪い。
許されるのも、抱きしめられるのも怖い。


そこから少しずつ少しずつ、
安全で快適であるということは、こういうことなんだ。っていうのを覚えていく。


安心できない気持ちって
それをどう扱うか
なかなかに大変でしたけれど、


安心できない気持ちは
そのままに、見守りつつ

安心というものを、
自分の心と身体が
安心安全なのだと分かるまで、
覚えるまで、
ゆっくりゆっくり
積み重ねるのが良いみたい。




安心が定着してきた頃

今まで気になっていたことが
特には気にならなくなっていました。




被虐者は、ネガティブなものに気を取られやすく悪い面を見る癖がある。

誰かのちょっとした失敗も許せなかったり、悪者とみなすと、トコトン悪く言う癖が出たり。

例えば政治家の悪事。善意の何かの裏の顔。悪に対して、徹底して裁く。

敵視するその気持ちは、それはきっと正義感からなんだけども、少し歪んでる。

私も昔はずいぶんそうだったし、
傷に触れるとそんな気持ちを呼び覚まされた。

それは、きっと、
もともと持っている不安や憎しみが
そうさせるし、
そういう敵がいたほうが安心なんだと思う。


そして、安心感に安心できるようになって来た時、
自然と敵は消えていく。
気にならなくなる。

今までは絶対に許せなかった人のことも
絶対やってはいけないと思ってることも
ダメなことをしてるあの人のことも
気にならなくなっている。


自分の内側の傷が癒されると同時に
自分を取り巻く外の世界にある嫌なことが消えるんだなぉ。
不思議。


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安心ということが、全然安心じゃなかった私ですが今ではぼんやり、ソファーで寛げるようになったし、自分のしたい事が前よりは思いつくように。穏やかに過ごせるようになりました。


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