◆自分を悪く言わないようにできたタヌキのお話 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

書いた日:2015年のいつか

編集追記:2022年6月11日


これは

いつも自分にがっかりしていたタヌキのお話


自分を責めるのかあたりまえになっていて

よくわからなかったところから

自分が自分に何をしているか理解して

自分をいじめる行為を

やめた時のタヌキのお話です。




本当にダメな人間なんていうのは居ないので

自分なんて、と、

落ち込んでいる人がいるなら

そんな風に思わなくても大丈夫だよ。と

伝えたいのです。



もう一つ、書いてみたいのはね

自分を責めるのか常になっていたり


セルフイメージがかなり低い状態の時というのは


自分がそんな状態にあることに

気づいてすらいないということ。


気づいてないんだよなぁ。




自分は、なんて未熟なのだと思う。

だけど


だいたい誰でも、

どんな時でも

未熟なのであって


そこを責める必要はなかったのだよね。



声は相変わらず聞こえるけれど

気にする必要はなかったし



あまり深く考えすぎず

苦楽を全て楽しめた方が

人生は楽しいし


人の世界や意見に影響されずに

自分の人生を積み重ねていける気がするよ。



せっかく生まれてきたんだからさ

楽しもう。

そう思う。


無理にとは言わないけども。






世界は広いし。


例えば今、


人間関係で苦しんでいるのだとしたら


その人間関係というやつもさ

たくさんある人間関係の中の

ごく一部なんだもの。



単にそこで

息がしにくいというだけで

居場所を変えたら息がしやすくなることってある。



世界が変われば

常識も変わるし

当たり前も変わる

案外簡単に変わる。


だから、自分が息をしやすい場所へ

移動したらいいよね。



居場所というのは、

必ず見つかると思う。


見つかると思って

過ごしてたらいいと思うのです。




見つからなくても構わないけどね、


見つからないって

嘆いて過ごすのではなくて


そのうち見つかるもんだと思って

淡々と過ごしたらいいよね。




どんな人にも

世界中にどこかひとつくらいは、


自分が居心地よく過ごせる、

そんな場所はあると思う。



気の合う友達だってきっと居るはずだ。


めげずに場所を探すのも良い。

作るのも良い。




それはそうと、

私たちのような年寄りは別にいいけど

もうそんなのは過ぎたことだけどね


けど、


小さな子どもたちや

まだ思春期の子とか


若い世代のお母さんたちとか

とにかく、若い世代の人たちが


すっかり自信をなくして、

毎日落ち込んでいるのかと思うと、

悲しくなる。


やりきれない思いになる。




だって全部が未来なのにね。


そんな風に落ち込んでいるしかないなんて

お先真っ暗だもの。




で、

そういう、お先真っ暗な落ち込みを

気持ちの問題だよって

切り替えていこう!なんて

簡単に言う人もいるけど、

そうじゃないよ。




世界が真っ暗なくらい

真っ暗闇な時は

気持ちなんて切り替わらない。



だって、

切り替わる為の光が

すでにもう無いんだもの。




気持ちを切り替えようなんて

気持ちの切り替えが出来るだけの光が

あったから言えただけで、


真っ暗闇というのは

どこを見ても真っ暗なんだから。




その

経験がないのに

気持ちを切り替えようなんて

言ってはいけない。




絶望すぎる。

わかってもらえない

絶望の闇。



真っ暗闇の絶望の淵。

そういう時は

自分の気持ちだけで解決なんてのは

難しいし出来るわけがない。



闇には闇しかないんだから。





闇を過ごす時。

そこを耐え抜く時。


そこをなんとか乗り越えられるように。


そこを生きている人が

なんとかその闇をやり過ごせるように。

そこをなんとか、

神様頼みますよ。と、祈ってる。



どんな暗闇にいる人にも

光を届けてくれる人は

きっといるもの。



キャンドルの明かりみたいに

優しい光がいいなぁ。




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たぬきの話でも書こうか。

自分の話は恥ずかしいから。


昔々あるところに

自分というのはできそこないで

全くダメな狸だと思い込んで

苦しい毎日を過ごす

たぬきがいました。




たぬきが言うには


“今となっては、

なぜそんな風に自分に思って

苦しかったのか分からない。ぽんぽこ。”

だそうです。


たぬきは、不思議と

いつも自分にがっかりしていたのです。



例えば洞穴に帰って夜眠れない時もね。


あ〜ねむれないねむれない!

と、

眠れない自分に怒って 焦って

がっかり。



あ〜、なぜ眠れないのかな?
あんなことがあったからかな?

こんなことが原因だろうか?


だとしたら、

こんなことぐらいで眠れなくなるなんて

なんて自分は情けないんだろう。あ〜


と、

がっかり。



しょんぼり。



すぐに問題を探しては

そして勝手に解釈して答えまで見つけて

自分を責めて

自分の頭をぽんぽこ叩きます。




ずっと自分責めていたから

とうとうたぬきは鬱病になりました。



鬱病の発作が起きたときなんかも


なぜだ?

多分あのことが原因だ。
こんな事、いちいち気にしてしまうのが嫌だ。

感情なんてなくなればいいのに。

と、ぽんぽこ叩きました。


たぬきは

いつも自分を責めて

虐めて、焦っていました。




たぬきはその当時を振り返って
“自分を許すこと、そのままでいる事。

それがなかなか出来なかったのさ。ぽんぽこ ”と

言います。





ある時、たぬきは

人間という生き物について学びました。

人間はポジティブな想像より

ネガティブな想像の方が得意な

生き物なのだと知りました。



本能的に、命を守る為に

ネガティブな想像をするものなのだそうです。



たぬきは、人間がそもそもネガティヴなのだと知り、人間でもそうなんだ。と

ホッとしました。



そしてこんな事を想いました。


こんなことか起きたらどうしよう?と、

つい悪い想像をしてしまうけど


けど、

ぼくに想像する力があるなら、

良い想像も出来るはず。



なのか。


そうなのかーーー。



たぬきは少し考えが広がった感じがしました。


そしてたぬきは、

自分はたぬきだけど、人間じゃないけど

良い想像はあまり、慣れてなかったけど、

良いことが起きるかもしれない。
やってみよう。と思いつきます。



そうしてその時にそう決めてから、

自分に対する悪い想像はなるべくやめることにしました。

たぬきだけれど、やってみることにしました。



想像することも妄想も

なるべく幸せな想像、楽しい妄想に

切り替えていくことにしました。



許すこと。

ちょっと変えてみること。

キラッと光った希望。




たぬきは

何かわからないけど、

希望のようなものを感じました。





ある日の夜のことです。

またまた眠れない時のこと


たぬきは
目の前に居る自分をイメージしました。


目の前に

眠れないでいる自分のことを

リアルにリアルに想像してみました。


自分の目の前に

眠れずもがくたぬきが見えてきました。

まず、単純に可哀想だと思いました。




鬱々と落ち込んで眠れないでいるたぬき。
そのことを考えてさらに眠れないたぬき。

たぬきは想像の中のたぬきに向かって

おーい、たぬき

眠れなくていいよ~。と言いました。
自然と、そう思っていました。


不思議とその瞬間、

今まで、眠れない自分を
自分で責めていたのだと理解しました。


やっと理解できました。



眠れなくていいよ。

そう声をかけた瞬間、

たぬきは自分に声をかけられ、びっくりしました。

そして

とても安心しました。

ポロポロ涙がこぼれてしまいました。



たぬきはその日はじめて

自分に許しを与えたことを感じられました。

身体がぽかぽかしました。

たぬきにも出来ました。



やっと、自分と一体化した気がしました。

不穏な気分になる言葉じゃなく

自分にとって安心できる声をかける感覚が芽生えたような感じがしました。



たぬきはうれしくなりました。

眠れなくてもいいのです。



遊ぼう!別に眠れなくても良いや。

遊んでいよう。


眠れなくても誰も困らないのだし。





それ以来

たぬきは
ダメな自分としか思えなかった自分のことも、
もしかしてそんなこともないんじゃないか?と思えるようになります。



悪い想像をしていることに気づくたびに、

考えることを切り替えて過ごしました。



なるべく希望を持ちました。
きっと良くなるし、未来は明るい。

回復を願いました。




すると、その頃

なぜだったのか、キッカケは忘れたけれど


“ 未来というのは良くなる方向しかないんだ。
良くなるようにしか出来てない ”

と、単純に、アホのように
確信してしまったというのです。



たぬきはある物事を理解しました。


“ 切り傷が勝手に回復に向かうように。

なんでも良くなるものなのだ。”



希望を持ち続け、回復を願うなら

怒ってても悩んでても眠れなくても
良い方向にしか行かないんだ。

なんだか凄いなーーー。

自然とそういうものなのだ。




それから

たぬきは楽しい日が増えました。



穏やかな気持ちで

過ごすことができましたとさ。






以上が、タヌキのお話でした^ ^





それから私は

回復している。


回復してるのか分からなくて困っていた時より

良いのか悪いのか分からなくて混乱していた時より


元気に生きてる。

気楽に生きてる。





私たち一人一人は生まれた時から
多分、凄いのだ。



ひとりひとり、色んなことを学んで

辛いことも乗り越えて。



みんながみんならしい経験を積んでいて

凄い人も凄くない人もなくて

みんなみんな、

それぞれに体験出来ることをしている。




このことを初めて書いた日から何年も経って思うんですけど、


どうせ思い込むなら楽しい想像が良いですね。

もちろんそれが、難しい時はできなくたって構わないけどさ。




不安は今だって、

こんな年になったってよくわきあがるけどね



そんな時も

まぁなんとかなるんじゃない?

と深く考えないようにして

自分がしたいことをするようにしてます。



それから

ネガティブなことって

あまり考えすぎるのもよくないんだけど


ポジティブに切り替えようと

躍起になって、

それで苦しむ場合もありますよね。


無理やり事実を捻じ曲げると

それはそれで

“ 心 ”というのは苦しくなるみたい。


ポジティブな考えに変換するのではなくてね

自分がしていて楽しい空想がいいみたいよ。

その違いは微妙でも大きなものです。



ポジティブにしなければいけないんじゃなくて

楽しい想像でもしてみようかな?

どうだい?と、自分と相談する形式にしています。



あと、それよりもっと混乱が起きているときにはね


わたしはね



「実際に起きたこと」と

「空想のこと」に、分けることにしてます。



ネガティブなことって


実際に起きてないことは

明るめに考えたほうがいいし、


実際に起きた悲しみや怒りとか

そういう感情は


無視したり、ポジティブに切り替えたりしないで

ネガティブな感情にそっと寄り添うのがいいみたい。

それが

寄り添うってやつのコツかな〜って思います。



心の中に起きてる出来事を

実際に起きたことと、

空想とで振り分けると少し楽になるのは

混乱した私に、

友達が教えてくれた大切なことです。


 

 

◆◇◆
 
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