私は首から下、太ももまで手術した
全身の30%、1度から3度まであるうち、3度まで火傷していたら生死の保証ができない
私はまさにその状態だった
腕、首、両腕から手にかけての火傷をおおうために、背中と太ももの皮を使った
ベットから動けない私は、ベットの上で体を洗われる
これが非常に痛い
ぐるぐる巻きのガーゼと包帯が、体液で張り付いている
それを、ぬるま湯の精製水をかけて、ゆっくり剥がす
なかなか剥がれない
剥がれたら、濡らしたガーゼで洗っていく
感染症等にならないように、毎日洗われる
その痛みは尋常ではなく、私の叫び声は廊下まで響き渡っていた
その時の記憶は痛いとしか覚えていない
1度、父と姉がお見舞いに来ていたときに、体を洗う時間になった
私は、怖さと寂しさで、父と姉に
"帰らないで"
とお願いした
私の処置と叫び声を聞いて、父と姉はどこかに行った
処置が終わった頃、父と姉は軽く顔を出して帰っていった
私は、毎日怖かった
私はかなり悪い状態だった
首だけを動かし生活していた
一日中、天井を見ているだけの私を見て、看護師が、父に言ってテレビをつけてくれた
チャンネルは自分で変えられないので、ずっとEテレを見ていた
子供番組を見ながら、気を休めていた
もう1つ辛かったのが、二時間おきの体勢変えだ
床擦れしないように、看護師が二時間おきに来て、二人で私を右に向かせたり、左に向かせたり
これは夜中も行われていた
おちおち寝てはいられない
体勢を変えるのは、これもまた凄く痛い
"うわー"と声が出る
この頃はトイレは車椅子で連れていって
もらっていた
トイレに座らせてもらい、終わったら声をかけて、お尻をふいてもらう
ここで、私の悪知恵が働く
水分が1日100㏄に制限されていた私は耐えられなかった
車椅子用のトイレの手洗い場はセンサーになっていて、蛇口の水が出るところに手をかざすとその間だけ水が出る
一瞬手をかざし、出た水を飲もうとすると、水は止まってしまい、なかなか飲めない
でもチャレンジし続けた
1日に何度も看護師にトイレに連れていってもらい、チャレンジした
何回かに1度は少量飲めた
もちろん、トイレにいきたいのは嘘ではない
緩いうんちが少量出るのだが、少しの便意でトイレに凄くいきたくなってしまうのだ
看護師には悪いことをしたなと思ってる
そのうち、下痢止めを飲まされるようになった
私もトイレの手洗い場の水を飲むのもやめた
辛い体荒いや点滴の血管探しの後に5㎜ほどの大きさの氷をもらえるようになった
"氷をあげるから頑張って"と言われた
もちろん氷は私が頼んで売店で購入してもらっていたものだ
水が飲めない分、小さくても氷が欲しかったのだ
私の体はいつも暑くて、アイスノンを使っても、変わらなかった
唯一首の後ろだけは火傷をしていなかったので、アイスノンをその首に当ててもらった
少し気持ち良かった気がする
この頃も無理やりご飯を食べさせられて吐いていた
全体の8割食べなければ許してもらえなかった
でも、結局吐くから意味はないと思っていた
8割食べると、カロリーゼロのゼリーを食べる許可をもらえた
私はゼリーが食べたかったから頑張った
が、8割も食べると満腹でゼリーは入らない
残念だった
救急病棟にいる頃、私の体には色々な装置が取り付けられていた
その数が尋常がなくて、色んな看護師や先生が見に来た
私の足元には空気清浄機位の大きさの物が4つ置かれていた
これは体とどう繋がっていたのかわからない
が、4つもつけている人は私ぐらいで、珍しかったみたいだ
私はそれぞれに名前をつけて、友達と呼んでいた
体が動かないから、空想でごまかすしかないのだ
その頃の私の宝物は、父が売店で買ってくれた小さい時計だ
それをいつも目の届くところに置いてもらっていた
お父さんと一緒にいる気持ちになった
この時、母は別の病院で生死をさ迷っていた
火傷のショックと、以前脳溢血を患っていた為に飲んでいた脳の薬が体に合わず、かなり危ない状態になっていたらしい
気丈な姉も泣いていたという
助からないかもしれない状態だったらしい
が、これは私には伝えられず、入院していることだけ教えてもらっていた
父は、"お母さんは元気だよ"と私に言っていた
でも、私は薄々気づいていた
父は、嘘をつく人だからだ
母も私の病状は知らなかったらしい
最初、脳外科に入院した母は、意識が混濁し、全然良くならないのを内科の先生が気付き、"これは脳外科で出ている薬のせいだ!内科でなら治療できる"と言ったそうだ
なかなか母を手放さない脳外科の先生に、弟が"脳外科のせいでおかしくなってんだから、さっさと内科に移してくれ!"と先生に怒鳴りこんだらしい
それで、母は内科病棟に移り、脳外科の薬をやめたら、すぐに元気になったようだ
私が母と会話出来たのは、入院して3ヶ月たたない頃、普通病棟の重症患者用の部屋に移った頃にに母が自分の病院から私の病棟に電話をかけてくれたからだ
お互い無事を確認し、それから度々母から電話がかかってきた
嬉しかった
飛び飛びの記憶だが、救急病棟にいたときの記憶はこれが全部だ
後は何も覚えていない
結局は、痛い記憶しかないのだ
次は一般病棟まで記憶が飛ぶ