私は不眠症、鬱病、不安症、醜形恐怖症等々
精神病を患っている
最初の自殺未遂は21歳の頃だ
私は当時、学生時代から付き合っていた彼と婚約して一緒に住んでいた
と、同時に不倫をしていた
職場で知り合った先輩だ
彼は心臓が悪く、いつも紫色の唇をしていた
そして、一日中ガムを噛んでいた
私はどうも、体の弱い人に萌えるタイプのようだ
不倫男性とはシフトを合わせて、一緒に休みを取っていた
それに気づいた会社の人に、勤務先を別々にされた
それまでは、時間を合わせて二人で同じ電車で通勤したり、私のロッカーに彼が毎日手紙を入れてくれて、待ち合わせやコミュニケーションを取っていた
職場を別々にされてから、私は少しずつ壊れていった
元々、仕事の忙しさから不眠症になって、薬を飲んでいた
彼となかなか連絡とれなくなり、自宅に電話して奥さんが出るとガチャ切りしていた
その頃は婚約者とは全く体の関係は無く、気持ちもなかった
婚約者が実家に帰省した時に、私は貯めていた薬をたくさん飲んだ
帰って来た婚約者が私を見つけて、車で病院に運んでくれた
胃洗浄されて、そのままそこの病院で入院した
私は何で救急車を呼んでくれなかったのか、怒っていた
何故そんなことで怒っていたのかは今ではわからない
その後、別の病院に転院し、退院した
私は実家に帰った
実家に帰ってから、私は物を食べなくなった
体重が35㎏になったときに、精神病院の閉鎖病棟に任意入院した
先生からは40㎏になったら退院していいと言われていた
隣のベットの患者は一日中手を叩いていた
その他にも変な人が多かったと思う
父がよく洗濯物を取りに来てくれた
弟は彼女をつれて来て、私から二万円ほど借りて遊びに行っていた
まあ、バイト代が出たら返してくれていたのであまり気にしていなかった
何週間かたち、私は退院したいと申し出た
たくさんの精神病院患者と一緒にいるのが怖かったからだ
元々任意入院だったので、あっさり退院させてくれたような気がするがよく覚えていない
私は精神科に通い続けて、薬での治療をしていた
私はその後、一時持ち直し、新しい彼氏が出来て仕事と彼氏が安定剤になっていた
それでもたまに病院に通っていた
劇団員が精神科を紹介してくれた
私の話をたくさん聞いてくれて、優しくて、それまで出会ったどの先生より尊敬できた
でも、この頃、仕事もうまくいかず、彼氏もコロコロ変わり、不安定なことが多くなった
自分は醜い、汚い、臭い、嫌われている、毎日が不安で、仕事に行きたくなくて、階段からわざと落ちたり、腕を叩きつけて骨折したこともあった
私が死んでも誰も悲しまない、、、
そんな考えが私を支配していたように思う
はっきりとは覚えてないが、、、
薬はどんどん強くなり、今はこれ以上強くできないほどの量だ
だが、私は眠れない
先生は、私に出している薬は、普通の人が飲んだら、2日間は確実に起きないと言っていた
でも、私は眠れない
事故の後、退院してから、私は自分の体に悲しみと辛さと汚さと痛みを感じ、何度目かの自殺未遂をした
私はドクターヘリで運ばれた
胃洗浄をした
この時は呼吸は止まっていたそうだ
私はまた生き残ってしまった
私と母の約束は、"死ぬときは一緒"だ
そんな母が肝硬変で入院した
母はアルコール中毒だった
お酒を毎晩らっぱ飲みしていた
担当の先生からは、"このままだと月単位の寿命"だと言われた
私は悲しくて、母を説得し入院させた
この時、姉は冷たくて、"自業自得じゃない?"と言いはなった
母が退院して、少ししてから、父と母は腰の手術の為に同時に遠くの病院に入院した
退院してから、1年ほどしてから父は前立腺がんで前立腺を全摘出した
そして、母がその数ヶ月後に腸閉塞と言われて入院した
1ヶ月飲食禁止された
よくよく検査したら、大腸がんだったのだ
リンパにも転移していて、手術で取ったが、再発の可能性があり薬をのんでいる
母と私は約束をしているので、母が死ぬとき、私も死にたい
母がいない人生はたえられないからだ
今でも私と母は特別な関係だ
内緒話や緊急事態は二人で乗り越えている
私は本当は今すぐ死にたい
でも、死は無だ
私が事故で死にかけたとき、私は無だった
死後の世界なんてない
死んだから楽になれるわけではない
意識も存在も消えるのだ
何もない
暗い闇
自由も感覚も何もない
怖い
私は今も自殺したいという衝動と無の世界を覗いてしまった怖さの間で迷っている
これまでに、10回近くの自殺未遂をおこしている
だが、もうそんなことをする年齢ではない
自分をとめるのに必死だ
大人の自分を保つのに必死だ
誰かとめてほしい