窓際のトットちゃん | アラフィフの日々の記録 

アラフィフの日々の記録 

50歳を過ぎた看護師です。旦那さんとは、長年別居しています。家族のことに悩みながらも、これまでの全力疾走とは違う、無理の無い、自分らしく生きる道を模索している、日々の記録です。

2024年になって、10日も過ぎています。


早いです…


今日は、小豆を炊きました。



自分のために

焼網でお餅を焼きました。

梅昆布茶も

美味しかった!



時間があったら、

したいことは



読書、

添加物を避けた

ささやかなご飯を作る、

掃除をする🧹 



これだけで、相当幸せだと思います。



2日の日に、

「窓際のトットちゃん」の映画を

子どもたちと観て来ました。


子どもたちに付き合ってもらったような感じですが、子どもたちと一緒に映画が観られて、

とても幸せでした。



有名な黒柳徹子さんの

実話なのに、

一度も本を読んだことがありませんでした。




何故、戦争が起きてしまったのだろうと

その後、いろいろYouTubeで観たりしました。



戦争が起きる前の日本人と

起きてからの日本人では


変化があったと思います。



戦後よく復興できたな…と

自分の父親世代や、その前の世代の方達のことも

尊敬します。



祖父母や父母から

何か大切な話を聞かずに

私は大人になってしまいました。



一緒に生活をしていた時は

祖父母、両親をなかなか尊敬出来ませんでした。



今、読んでいる本の一節に


「内的な人間としての興味、関心

自分から何かをしたいと言う

内側からのこの気持ち、

これを身近な大人が持っていると言うことが

見えないかたちで子どもを守る


大人が唯一子どもを守る力」

になるそうです…


確かに。


「じぶんを教育する、じぶんを育てることは、

生きている間、ずっと続くことだ

大人が子どもに出来るのは

それを子どもが一人でできるようになるまで

ちょっと応援するくらい」

(「おとながこどもにできること」

ローター・シュタインマン)



確かに。


なかなか子育て真っ只中では

思えなかった…


社会に出すことをゴールにしてしまっていた。



「見えないかたちで、子どもを守る」と言うのは、

それが、不安を乗り越える力になるのだそうです。



興味、関心に赴くままに生きることは

出来ていなかった。

物理的にも難しいし、

自分で禁止もしていた。


今は

ようやく小さな自由を手に入れたかも知れないけれど、まだ道半ば。



真似をしたいと思う大人に

出会えることは、子どもにとって

重要なことだと、


これまでの自分の人生を振り返っても

確かにそうだと感じました。



こんな大人になりたいな、と

思える大人



その方が居てくれたおかげで

自分は迷子にならずに生きて来られた。



今度は、自分がそうなる番になりたい。