父が旅立ちました。 | Milky Way☆彡 宙(そら)を奏でる点描曼荼羅画 名古屋 光のおむすび認定講師

※ 今日の日記は、死についての内容があります。

苦手な方はこの先読み進めないようお願いします。

 

 

 

 

8月12日、

その日も朝8時過ぎに父の入所する老人保健施設の方へ、

母と一緒に出掛けるところで、職員の方からの電話が鳴りました。

 

「息をされていないようです・・・」

 

 

 

午前8時40分。

入所させて頂いていた介護老人保健施設の一室で

父が85年の生涯を終えました。

 

朝8時に職員の方が歯磨きをして下さったときは

自分から口を開けてくれて

わずかに笑顔もあったそうです。

 

約30分後に、他の職員さんが様子を見に来て下さったときには

すでに息をしておらず、父はひとりで旅立ちました。

 

すぐに私たちが駆け付けた時、

父はとても穏やかな表情で、ただただ静かに眠っていて

母がよく頑張ったねと父の頭を優しく撫でました。

 

 

 

 

 

 

 

父は誤嚥性肺炎からの嚥下障害でした。

入退院を繰り返し、3度目の入院は嚥下訓練の食事とリハビリ、

点滴による治療を続けておりましたが、

最終的には何も食べられなくなり、低栄養状態に。

 

家族で幾度も幾度も話しをし、重い決断の中、

胃瘻や経管栄養などの延命治療を行わないことにしました。

 

最期は点滴をしない自然の看取り

 

私たち家族のその気持ちを、こちらの施設に受け入れてもらっての

穏やかな穏やかな平穏死でした。

 

 

 

 

入所してからの父は、体に繋がれるものは何もなく

一日の大半を穏やかに眠って過ごし、

私たちの呼びかけに一瞬目を覚ましては、またすぐに眠るという

本当に静かな時間を過ごすことが出来ていたと思います。

 

意識が薄らいで来たらそう長くはないので

24時間いつでも呼んで頂けるようにお願いしていたのですが、

それさえもわからないほどの早さでした。

 

颯爽と駆け抜けていったとても格好いい父でした。

 

職員さんたちが、

昨夜もまったく苦しそうな様子は見られなかったと、

眠るように逝かれたのだと、

代わる代わるお話しして下さり、一緒に涙して下さいました。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

康平を亡くしてから、親を失うこと、

家族の中で年長の者から順番に逝くということ、

それは覚悟はできていたつもりだったけど

看取りの決断は、やはりとても重いものでした。

 

でも、今は、それが私たち家族にできた最善だったと思っています。

 

 

 

お父さん、康平にはもう会えましたか?

康平が一番に迎えに来てくれたよね?

今頃ふたりで何してるのかな?

 

こちらのことは心配しないでね。

いつまでも家族仲良くやっていくからね。

 

行ってらっしゃい。

もう少しだけそちらで康平と待っていてね。

 

また会えるときまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考)

 

 

「平穏死」を受け入れるレッスン 石飛幸三

 

 

 

 

たんぽほ先生の最新看取り事情 

最期は点滴をしない自然の看取りの選択肢

 

 

 

NHKスペシャル 老衰死  穏やかな最期を迎えるには